第5話

僕は始め言っている意味が分からなくて目をしばたかせたけど、「むふー」と満足げに鼻息を漏らす素甘さんを見て、意識は急覚醒する。


「ちゅ、中央なんて行けるわけないじゃないですか!」

思わず少し敬語になってしまったけど、実際その通りだと思う。


東南西北―――じゃなくて、東西南北の方角切れ込みは、地図をよくよく見てみると半ばあたりに石橋みたいなものがあった。少なくとも、そこは渡れるのだけど...。


不安げな表情をする僕の顔を見たか、素甘さんも一瞬不安げな表情を浮かべたけど、すぐに気を引き締めたらしい。さっきのような不敵な笑みを再び顔に張り付けていた。


...でも、それは『張り付けた』だけ。瞳の奥は少し不安そうに揺らめいていて、ぎゅっと握りしめられているその手は細かく震えているようにも思える。情緒不安定かな?―――って、無責任に言えたらよかったけど。


でも何か声を掛けられると言うわけでもないし、今声を掛けても、なんというか...逆に無理した笑顔の仮面しか見せてくれなくなる気がすると言うか...。


「てぃっ」

だから、そんな声と共に由那さんが素甘さんを殴りつけていたのは、見ていなかった。


「いっづぁぁぁ!?」

素甘さんの悲鳴に思わずそちらを見ると、頭を両手で押さえる素甘さんと、元々素甘さんの頭があった場所に拳を振り下ろしている由那さんがいた。


突然の凶行に驚きつつも、僕は小さく由那さんに頭を下げた。

多分、僕が動けなくなっていることを見て、しかもその原因も理解しているからこそ、大好きな姉の頭を殴るなんてマネをしでかしてくれたのだろう。


そこに、同人音楽グループ・シャムの絆など存在しない。



「ううう...」

涙目を浮かべつつ、頭を押さえている素甘さん。庇護欲をそそられるそんな姿に、思わずきゅんと来てしまう。


(...いやいや、僕は女で...あれ?)

素甘さんにきゅんと来たことに対しての否定を頭の中で行い、そこで僕は首を傾げる。僕は男、な筈だ。なのに、『僕は女』?それじゃあまるで、僕が本当は分かっているのに男って言い張っているだけじゃないか。


...仮に、僕が本当に心の底から女だと認めていたとして。それで、ライトに恋愛感情を抱けるか?...ないね。ラノベなんかじゃ幼馴染の女の子に『...好き』って言われている男とかよくいるけど、僕はライトに好感情を抱いていても友達、もしくは生意気な弟としか見れない。


...べつに、僕はライトとの関係を『姉弟』なんて思っちゃいない。あくまでもそれは肉体的な話で、精神的には『兄弟』...のはず。

―――そう、だよね?


不安が頭をよぎる中、僕はふと包み込まれるような感覚を覚えた。目を開けると、そこには素甘さんが僕を抱きしめている姿が。


慌てて離そうとするけど、俯いて悲壮な感じの表情を浮かべ、小さく震えている素甘さんを無理に離すことは出来ず...そのまま、素甘さんにされるがままにされてしまう。


でも、なんだかそれがうれしい気もするような?

「...那岐姉にぎゅってしてもらえるなんて...!万死に値する...っ!」

ふと上げた僕の視線の先、呪い殺そうとする視線を向けてきた由那さんは見なかったものとしておこう。


素甘さんがちょっと精神不安定になっている様なので、由那さんが切り上げようとしたところで。僕は由那さんを引き留めていた。

「...せめて、住居設定くらいしませんか?」


住居設定というのは、結構重要なものだ。

ライトにそう教わって、僕はこの言葉を伝えたのだ。

ライトの実体験をここに紹介する。


―――


あれは、俺がいつもみたいに狩りをしていた時だ。

住居設定しないと云々、ってことを言われたがんなこたしったこっちゃねえ。

そう思って、テントで住居設定しねえでログアウトしたら、どうなったと思う?


...まあ、流れで分かっているからだろうが、俺は初期スポーン地点まで戻されたよ。

俺がいたところ、第6エリアって呼ばれてるとこだったんだぜ?最速で言っても、〇一日はかかる距離だ。

あれ以来だな、俺は面倒臭がらずに住居設定した。


―――


ま、最後はもう終わるからって住居設定しないでログアウトしたけどな、と笑いながら言ったライトの言葉を伝えると、由那さんは「...なら、少しだけ無理させるか」と泣きながら笑っている素甘さんを引きずって僕の後についてきた。


「...那岐姉って」

「どうしました?」

素甘さんを引きずりながら由那さんが言ったのは、独白めいた言葉だった。僕は思わず足を止めて、振り返りつつ聞く。


「結構、ヤンデレなんですよね。しかも心が脆いタイプの」

「だから」という言葉の後に続いたのは、僕の目の前で止められたナイフだった。


「...冗談きついですよ?」

軽く笑いつつ言ってみるも、由那さんの目はガンギマリしている、つまり...こじらせ状態。


「冗談?それこそ冗談じゃない。私は...那岐姉を邪険に扱うゴミカスが存在しちゃいけないって思っているだけだ―――!」

先程よりも早いナイフが、しかし今度は確実に首筋を切る様に振られた。次いで、由那さんがオレンジプレイヤー―――友好存在に害意を持ってダメージを与えたものとして、表記される。


素早く僕の体力を見ると、HPバーを表す緑の色付きの平行四辺形のバーの、右端から数ドットが削れていた。風圧か、それとも掠ったのかは分からないのだけど、少なくとも切られたのは間違いないようだ。


「那岐姉が、那岐姉があんなにお前に縋っているのに!それなのに、お前はそれを邪険にした!万死に値する!」

そのまま高速で由那さんの指が空を叩くと、由那さんは突如動かなくなった。


思わず観察をしていると、由那さんはどうやら何かをぶつぶつと呟いている様子。

「...滲み出す混濁の楔 不遜なる乱光の瞳 響き・逢い・朽ち・果て・途切れ・怒りを具現する

擱座する銀の蛇 自壊する赤き器

刮目せよ 刮目せよ 紅き月に挑みし者の末路を 銀嶺【先駆】」


〇棺のパクリみたいな台詞と共に、僕の首の真横を風の刃のような物が通り過ぎる。

...由那さんこわあ。


思わず戦慄していると、由那さんが「...那岐姉...!?」と驚いたような声を上げていた。その視線の先は―――僕?


くるりと一回転する様に周りを見渡すけど、素甘さんの姿は見えない。

首を傾げつつ由那さんを見返すと―――


―――此処だよ?

「...!?」

耳元から、素甘さんの言葉が聞こえてきた。


驚いて首を真横に向けると、「えへへー」と無邪気な笑みを浮かべている素甘さんの顔が。

「これだったら、無視できないよね?無視したら、耳噛み千切ってでも私の方むかせればいいだけだし」


無邪気な笑みが、無邪気な狂気が初めて怖いと思った。

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2024年9月20日 19:17 隔日 19:17

SternenschwertOnline 宵月ヨイ @Althanarou

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