第4話 報告
「あら、本題の方でいいわよ」
ジェニはにっこりと笑った。どこかその笑い方は、怒っている時のイーレに似ていた。
所長のエド・ロウは、ディム・トゥーラからの問いかけるような視線を避けた。妻の行動を止める気はないらしい。
――この狸親父め
さすが、ロニオス・ブラッドフォードと双璧をなす喰えない人物だ。
『そういう評価はやめて欲しいなぁ』
エド・ロウからの念話をディムは無視した。
「で、いいかしら?」
「なんでしょう?」
「貴方が地上からよこした報告書に目を通したわ」
「はい」
「これだけの
「それなりの時間が必要でした」
「わかりやすいし、地上の状況はよく理解できたわ」
「ありがとうございます」
「いろいろ聞きたいこともあるので、貴方を呼び戻したのは、サイラス・リーの覚醒のためだけではないのよ」
「……」
わざわざジェニ・ロウは端末から空中スクリーンに報告書を映し出した。
それはまるで論文の
あの時は、なかなか
「……あの?表現や内容に不備がありましたか?」
「いいえ」
「よかった」
「完璧すぎるのよ」
「え?」
「完璧すぎるの。貴方が地上からよこした報告書、途中からロニオスの手が加わっているわよね?」
「――」
予想外の指摘に、ディム・トゥーラは絶句した。
なぜ、バレたのだろうか。
「途中から文体の癖が変わってる」
「――」
ジェニ・ロウの鋭さに、ディム・トゥーラは舌をまいた。さすがロニオス・ブラッドフォードの優秀な元副官といえる。それとも、彼に散々振り回された過去が
「シャトルとともに
「……………………伝言?」
「状況が落ち着いたら、会いに行くけど、その時逃げたらただじゃすませないわよ、って」
「……………………」
ロニオス・ブラッドフォードが伝言を聞いたら、間違いなくその尻尾を太くすることだろう。
尻尾の太さの最高記録を
そのころ地上にて、居住スペースとして改造されているエトゥールの聖堂内では、愛らしい赤子の相手をしていた猫姿の
「まあ、お
ファーレンシアは、純白の白猫の変化に
『いや……そんなことはないのだが……こう背筋がぞくりと……なぜだろう?』
「それはいけません、風邪の引き始めでしょうか?
『ウールヴェは風邪などひかないと思うのだが…………
ディム・トゥーラが手厳しい事情聴取という名の追求を受けている間、サイラスはディム・トゥーラの用意した地上の言語メモリーをダウンロードし、言語を習得した。
その他にも地上の大陸全土の地図と、カイル達が滞在している国と、その周辺国の関係性や風習を頭に叩きこんだ。
サイラスの記憶では、
確か、シルビアの
そのあと、情報を取得できたのか、関連資料は膨大であり、意味不明のものも多数あった。
エトゥールという国の社交に関する取り決めや風習は特にわけがわからない。
自分は何かやらかしていないだろうか?
いや、きっとやらかしているな。
やらかしているに違いない。
そこまで考えて、サイラスははっとした。
「ディム、俺の
「死亡時に現地でロストしている」
ディム・トゥーラは事実をそっけなく告げてきた。
サイラスは記憶がないことが判明した時と、同等の精神的ダメージを受けた。
せっかく、あそこまで
あの長棍はイーレからもらったもので、物に執着しないサイラスが珍しく大事にしていたものだった。
イーレの長棍から
それはサイラスの癖を解析し、サイラスが目指すイーレの舞踊のような立ち回りに矯正した。だが、未だに本家本元に及ばない。その距離を埋めるために、サイラスは日々鍛錬に明け暮れたのだ。
その結果、それなりに扱えるようになった。
凶暴な野生生物には、
師匠であるイーレを褒められた嬉しさがあったが、師匠本人には伝えてない。伝えたら『師匠の教えがいいから』と自画自賛に走るに決まっている、とサイラスは思っていた。イーレから与えられた長棍は師弟関係の象徴であり、サイラスの存在証明の象徴でもあった。
その大事にしていた長棍がロストした。相当、稀有な状況だ。イーレが死体から回収してくれそうなものなのに……。
どういう死に方をしたのだろうか?
どこで長棍をロストしたのだろうか?
イーレは長棍を無くしたことを怒るだろうか?
長棍を粗雑に扱っただけで、昔は殴り倒されたのだ。破門を宣言され、また一から地獄の入門試験ということもありうる。
お先真っ暗だった。
サイラスは再びため息をついて、資料を読みすすめた。
与えられた資料の中には、サイラス個人に関するものは、なかった。精神的配慮に違いなかったが、死亡状況はわからない。
記憶があれば、そんな配慮は無用のはずだった。
いや、まいったまいった、馬鹿な死に方をしちまったなあ。全くだ。回収処理が大変だったんだぞ――そんなふざけた会話をするのが先発隊の常だった。イーレだったら、修行が足りない、と言うかもしれない。
――俺は地上で、どう過ごしていたんだろうか?
失われた記憶の空白の数年がサイラスを不安にさせた。師匠の不在がそれに拍車をかけた。
**********
見渡す限りの荒野の盆地の中心部にそそり立つ、幅広い高さ1000メートルの円柱岩石の上にかつて王都であった街が、乗っている。
それはそこだけ隆起したのではなく、周りがえぐれた結果であった。そのありえない風景が、神聖なものとして、遠方からの目撃者達には映るのかもしれない。
『天空の城』は『エトゥールの
周りは消滅したにもかかわらず王都だけが残存したことは、世界の番人の審判、精霊の奇跡とまで称されたが、ある意味それは正しかった。あの時、大災厄の元凶ともいえる恒星間天体に向かったのは、世界中の
外部から訪問できない街が、王都として機能するわけもなかった。
災厄後の食糧などの物資が運び込めない都など論外なのだ。もちろん、導師達が所持している移動装置を使えば、荷物や人の移動は簡単だが、入場管理に手間暇がかかる。そんなことに人手を割ける余裕はない。他国の間者や犯罪者達の侵入と暗躍を許すわけにもいかない。
今現在、エトゥール王であるセオディア・メレ・エトゥールは、消滅をまぬがれた王都を放棄し、アドリーで復興の陣頭指揮をとっている。それは当然の選択ともいえた。
エトゥール王への評価は、様々だった。
――復興計画と民への支援の速さといい、なかなかの手腕だ。さすが精霊の祝福を受けた賢王だ
――いや、アドリー辺境伯である義弟を妹姫ともども、孤立したエトゥール城に幽閉することで、アドリーを没収して遷都をもくろんでいる。なんという鬼畜な王だ
――そうではなく、人々の命を救ったメレ・アイフェス達に敬意を表するためにエトゥールの王城を譲渡したのだ
大災厄後に人々が口にした噂は、少しずつ正しく少しずつ間違っていた。
「鬼畜はあっていますね」
エトゥール王の妹姫で『精霊の
民の間に、流れている噂についてリルが語ると、ファーレンシアはそういう突っ込みをしたのだ。
「リルもそう思いません?」
「ファーレンシア様……」
賢者の養い子であっても、商人で平民という身分のリルが、王についての酷評に同意できるわけもない。同意を求めないでください――と、リルは内心思った。
リルは今、ファーレンシアと一緒にアドリーを訪問している。訪問先はエトゥール王の伴侶におさまっている治癒師のメレ・アイフェスであるシルビアだ。
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