第3話 選択

「サイラス・リー。貴方の記憶の消失はイーレと同現象との判断は、しがたいわ」

「……と、いうと?」


 サイラスは首をかしげた。


「イーレはオリジナルのほとんどの記憶を保持していなかった。貴方は降下前までは完璧に保持しているわよね?」

「確かに……ディム・トゥーラがカイルのお守りをしていたことは、よく覚えているぜ」

「そういうことは忘れろ」


 ディム・トゥーラは端末でサイラスの頭を軽く叩くことで、発言をたしなめた。


 ディム・トゥーラの反応がいつもと変わらぬことに、サイラスは、ほっとした。違う反応だったら、保持している記憶にすら、自信をなくすところだった。

 ディム・トゥーラがカイルのお守りをしていたことは、観測ステーションメンバーの周知の事実であり、『何か起こればディム・トゥーラ』が合言葉になっていたことを本人達は知らないだろう。


 イーレと記憶喪失のパターンが違う――その指摘は正しかった。


「すると、俺の記憶の消失は、記憶保存の不備?」

「そんな事例は今までない」


 ディム・トゥーラは、全否定してきた。

 ジェニ・ロウもそれに賛同した。


「ないわね。だけど、イーレと共通するところもあるのよ」

「どんな?」

「イーレはこの惑星で死んでいるの、貴方同様にね」

「はあ?!」


 サイラスは驚きの声をあげた。


「いや、この惑星の探査は初めてだよな?!」

「そこらへんの裏事情は、そこの狸親父エド・ロウに聞いてくれ。それより本当に記憶を失っているんだな」

「いやいや、待てよ。エレン・アストライアーがここで死んでいるって、どういうことだ?」


 イーレの原体オリジナルの本名は、エレン・アストライアーということをサイラスは知っている。

 原体オリジナルの記憶がないイーレは自身を『ポンコツ複製体クローン』と呼んで、原体オリジナルを嫌っていた。

 年齢は揶揄からかいの材料にできても、原体オリジナルについては話題に出すのを控える――それがイーレと付き合うルールでもあった。そのルールを教えてくれたのが、ジェニ・ロウだったことを、サイラスは思い出していた。


 その原体オリジナルがここで死んでいる。この探査惑星がイーレと深い因縁いんねんがあることは、驚きだった。


「…………、そのことを知っていたのか?」

「惑星降下後に知った」

「イーレは?」

「彼女も降下後に知った」

「ディム・トゥーラ、そこまでにしなさい。記憶にない事実を伝えることは、認知をゆがめることもあるのよ。貴方の伝えることは伝聞でんぶんであって、本人が経験したこととは微妙にことなる。気をつけなさい」


 何かを言いたげだったが、ディム・トゥーラは最終的に口をつぐんだ。


「俺は聞きたい」

「やめておきなさい。イーレみたいに不安定になるわよ」

「――」


 サイラスは初めて、イーレの悩みの真の部分に触れた気がした。5年分の記憶が欠落しただけで、世界が違う気がするのだ。

 原体の記憶がないとは、どれだけ不安なものだろうか?

 自己を証明するものがない。

 知らぬ間にもう一人の自分が行動して、周囲の人間に認知されているのだ。


 


 これはキツい。

 哲学的な分野に足を突っ込むようなものだし、極めて不快な命題だった。


 イーレはずっとこんな重いものを背負っていたのか。

 サイラスは判明した事実に愕然がくぜんとしていた。


「……俺はどうしたらいいんだ?」


 自身のことも。イーレのことも――。


「イーレは心配いらないわ。ディム・トゥーラの報告によると、極めて安定しているから。問題は貴方よ」


中央セントラルの管理官は容赦ようしゃがなかった。


「サイラス・リー。貴方の道は二つあるわ。このまま中央セントラルに戻り、記憶喪失の原因を究明する」

「それってほとんど実験動物モルモットだよな?!」


 サイラスは叫んだ。


「イーレが散々やられたヤツじゃないかっ!」

「ええ、そうよ」


 ジェニ・ロウは否定しなかった。責任者であるエド・ロウは黙ったままだった。


「……もう、一つは?」

「惑星に降りる」

「――」

「ディム・トゥーラは、貴方を迎えにきたのよ。記憶障害が出るとは計算外だったけど」

「………………迎えにきた?」

「記憶があれば、絶対に地上に戻る道を選ぶと思ったからだ」


 ディム・トゥーラがぼそりと言った。

 おかしな確信だった。なぜ、自分が惑星降下の道を再び選ぶと思ったのだろう、とサイラスは疑念を抱いた。


「なんで?イーレが地上にいるからか?」

「それもそうだが、他にも――」


 言いかけて、ディム・トゥーラは再び口をつぐんだ。


 イーレが地上にいるなら、付き従い地上に降下するのは当然の選択だったが、ディム・トゥーラの言い方は、微妙にニュアンスが違った。


 いったいどういう意味だろうか――。


「俺は降下する」

「そう」


 ジェニ・ロウはあっさり承諾しょうだくした。


「手続きがあるから、1週間ほど待機しなさい」

「……1週間」


 サイラスには、なぜだかそれがとてつもなく長く思えた。


「なぜ、待機が1週間も?」

「何言ってるの、通常より短いわよ」


 ジェニ・ロウは、サイラスの顔面に指をさして、子供に言い聞かせるように言った。


「やることは山ほどあるでしょう。肉体のリハビリは必要だし、無理をして無駄に体内チップを消費しかねないわ。念のため、言語も再習得しなさい。そこも欠落している可能性があるから、ディム・トゥーラにコピーをもらいなさい。あと最低限の地上風習も、ね。

「…………………………」

「ジェニ、そんな突拍子もない注意は――」

「いるわよ。この子、そういう前科があるの。前に言ったでしょ?だから、再生体クローン培養槽を中央セントラルから観測ステーションに運んだのよ。英断だったと思うわ。中央セントラルで記憶の欠落が発覚していて理不尽な足止めを食らっていたら、大暴れしていたわ」

「……………………」

「……………………」

「サイラス・リー、いいこと?シャトルや観測ステーションに被害を及ぼしたら、イーレに言って、永久破門してもらうから覚悟しなさい」

「……………………」


 サイラスはひるんだように黙り込んだ。

『永久破門』が脅し文句として有効なのか、とディム・トゥーラは記憶の片隅にめもった。


「ディム・トゥーラ。貴方には申し訳ないけど、もう少しこちらで付き合ってもらうわよ。サイラス・リーの準備はもちろん、聞きたいことが山ほどあるのよ。ロニオスのこととか、ロニオスのこととか、ロニオスのことをね」


 問題の人物の名前の連呼に、今度はディム・トゥーラの方がひるんだ。


「ロニオスって誰だ?」

「あ~~」


 サイラスの当然の質問が飛び、ディム・トゥーラは視線を彷徨さまよわせた。ちらりとジェニ・ロウを見ると彼女は、ディム・トゥーラにうなずいてみせ、許可を出した。


「……ロニオス・ブラッドフォード。ジェニ・ロウやエレン・アストライアー達のプロジェクト・リーダーだった人物だ」

「………………それが、どういう関係が?」

「さっき、ここでイーレの原体オリジナルが死んでいると言っただろう?」

「あ……ああ」

「彼等が惑星探査の初代チームになる。ここだけの話だが、あの惑星にいた」

「……………………は?」


 サイラスは、ぽかんと固まった。

 わけがわからないことに加えて、情報量が多すぎた。

 ディム・トゥーラは、困ったようにジェニ・ロウに助言を求めた。


「ジェニ、認知をゆがめるとしても、今の背景情報を伝えないでいることに限界があるのですが……」

「まあ、確かにそうね」


 ジェニも深い溜息をついて同意した。


私生活プライベートに関わることを除いて、背景を語ることは許可するわ。記録はオフね。口止めも忘れないで」

「了解しました」

「……え?……あの、イーレの原体オリジナルはこの惑星で死んで、当時の関係者が生存していたってこと?」

「まあ、そうだ」

「500年前の話だよな?イーレの実年齢から行くと――」


 禁断の話題を出して、サイラスははっとした。蒼白になって口を押える。


「あ~~、大丈夫だ。俺もカイル達も知っている。まあ、正確な年齢を知っているのは、カイルと主治医のシルビアぐらいかもしれない」

「カイルがなんで?」

「同調能力で、イーレの実年齢を見事に当てて、過去に殴られているらしい」

「うわっ…………カイル、すげえ、勇気あるな……尊敬しちゃうぜ……」


 サイラスの漏れ出た本音の感想は、イーレとの関係性を示していた。

 怖い物知らずの先発降下隊員に称賛される勇気って、どのレベルだ、とディム・トゥーラは内心呆れた。


「勇気というより、馬鹿なだけだろう」

「――前々から思っていたけど、ディムって、カイルにだけ厳しくない?」

「…………そんなことないぞ」


 突然の話題の転換に、ディム・トゥーラの反応は遅れたものになった。


「本気で怒り狂うのも、カイルに対してだけだし」

「…………………………おい」


 ジェニ・ロウが面白そうな顔をしていた。


「そうなの?」

「そうなんだよ。普段は冷静に陰で観測ステーションを牛耳ってたくせに、カイルがからむと豹変するんだよなぁ」

「あら、そこは詳しくききたいわね」

「ジェニ、今はそんなことどうでもいいでしょう」


 ディム・トゥーラはさりげなく方向修正を試みた。


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