第2話 欠落

「待ってくれよ、本当に何を怒っているんだ?」


 サイラスには、なぜディム・トゥーラがこれほど怒り狂っているのか理解できなかった。いったい、どこで地雷じらいを踏み抜いたのだろうか?


「だから、ふざけるな、と言ってるんだ」

「ふざけてないし。だいたい死んだ時点の記憶は、心的外傷トラウマを配慮して消去され別保存なんだぞ。俺がいつ、どんな原因で死んだか、俺にはわかんねーって」

「……それは知らなかった」


 サイラスは、ちっと舌打ちをした。


「これだから、危険任務をしない高級官僚エリート様は……」

「なんか言ったか?」

「ナンニモイッテマセン。オキニナサラズ」


 サイラスは古代遺物アーティファクトの音声応答を真似てカタコトで答えた。


「サイラス、ここから先は冗談は、ナシだ。俺はさっきから、お前の発言が気になっている。クローン再生における時差の発生は、理解しているか?」

「肉体複製における必要時間の件だよな?」

「そう、お前が死んでから1年経過している」

「あれま、ちょっとかかりすぎじゃね?」


 死亡事実からの時間経過に対して、サイラスは当然の反応だった。肉体複製にかかる処置期間は、半年が平均である。


「それに対しては、すまないと思っている」

「なんで、ディムが詫びるわけ?許可責任者は所長だろ?」


 サイラスは肩をすくめて、不問とした。

 所長のエド・ロウは、師匠であるイーレとの旧友関係にあったが、曲者くせものであることは彼女から聞き及んでいた。


「所長はたぬき親父おやじだから気をつけろ、って、イーレが口癖のように言ってたぞ」

「……………………その貴重な証言は数十年前に言って欲しかったぞ」

「なんで?」

「…………いろいろとあるんだ」


 珍しくディム・トゥーラは、顳顬こめかみに手をあてて、項垂うなだれている。サイラスはその反応に笑った。


「イーレならいくらでもネタを提供してくれるぞ」

「そんな気はした」

「まあ、半年か1年かは、誤差の範囲だから気にしないけどな。つまり、俺は世間の情報から1年取り残されているってこと?」

「そうなる」

「1年程度ならたいして――ああああ!!手足の強化パーツの新バージョンを逃しているのかっ!!」


 サイラスが突然、発狂したかのように叫んだ。

 ディム・トゥーラは、危険な任務を率先そっせんして行う先発降下隊員の脳筋のうきんすぎる思考に、呆れた視線を投げた。


「一番に気にするところは、そこなのか?もっと気にすることがあるだろう?」

「…………中央セントラルの流行を把握し損ねた、とか?」

「そうじゃない」

「…………有給休暇の消滅」

「違う」


 ディム・トゥーラは呻いた。


「イーレが弟子の不在にキレているとか?」

「キレてはいない。サイラスの再生状況を逐一尋ねてた」


 サイラスは、それを聞いて機嫌を直した。

 覚醒時の立会いはなかったとはいえ、ドジを踏んで死ぬ羽目に陥った弟子を破門にすることはなさそうだった。


「で、現状は?ディムが俺なんかにかまっているってことは、カイル・リードは無事に回収できたんだろう?でも、イーレが地上に降下したのはなんでだ?1年で惑星の調査は進んだわけ?あ、もしかして中止撤退して、もう次の惑星のプロジェクトが始まって、違うところに移動してる?」


 なぜだろう?ディム・トゥーラの顔色がどんどん悪くなっている。


「ディム?もしもーし?」


 反応がなくなったディム・トゥーラの眼前で手をふる。立ったまま失神しっしんしているのでは、とサイラスは不安になった。

 なぜか茫然自失していたディム・トゥーラは、ヨロヨロと通信端末を手にした。


「ジェニ・ロウ、所長、すぐに来てください。もう、俺の手に負えません。重大事故発生――


 どうやら、自分は何かやらかしたらしい――サイラス・リーの本能が警告を発していた。





「…………ちょっと、待って…………頭の整理が追いつかない」


 多少のことでは動揺しない。

 未知の惑星に調査降下する先発隊は、勇気と度胸と緊急時の判断力が求められる。降下したら肉食恐竜ダイナソーに囲まれたこともある。その状況で楽しめる脳筋ではないと、務まらない部署だ。

 だが、さすがにこの異様な状況は動揺する。サイラスが面白がるレベルを遥かに超えていた。


「大丈夫か?」

「……なんか、怒り狂ったイーレに背後に立たれているような気分だ」

「その表現はどうかと思うが、激しく動揺して生命の危機感をいだいてる、という解釈でいいか?」

「……多分、あってる」


 サイラスは力なく肯定こうていした。


 再生体クローンの記憶の欠落――鈍いサイラスもこれが大問題であることは理解できた。

 絶対的な管理と安全性が保障されたクローン技術そのものの前提がくつがえされかねないのだ。

 イーレの記憶障害の存在が大問題になっていたのは、原体オリジナルの記憶が欠落しているという前代未聞の症例だったからである。

 何回再生されても、オリジナルの記憶がよみがえらなかったことは異常であった。

 11回目の複製体クローンであるイーレの方が原因追求の材料になるのを嫌悪して、肉体の成長を子供の年齢で止めてしまったと、サイラスは聞いている。


「つまり俺には惑星を降下してからの記憶が欠落している、と。しかも5年以上経過しているわけだ」

「そうなんだが……本当に断片でも覚えていることはないか?」


 ディム・トゥーラの質問にサイラスは腕組みをして考え込んでしまった。何か夢をみたことを起床直後に忘れたような気分だった。確かにわけのわからない喪失感は存在していた。

 だが、なんの手がかりも思い浮かばなかった。


「あ、実はイーレが俺をからかうために壮大なドッキリを仕掛けて、隣室でモニタリングをしているってことは――」

「ない」

「…………イーレならやりかねないと思うんだけど、さ……」

「……時々、お前達の師弟関係はおかしいと思うぞ」


 ディム・トゥーラの容赦ようしゃない言葉が降ってきた。

 おかしな師弟関係を継続している本人の身になってほしい――サイラスは心の中で思った。


「サイラス・リー」


 それまで黙って端末を手に記録を検証していた黒髪の美女が呼び掛けてきた。サイラスはこの中央セントラルの制服をきている人物を過去に見たことがあった。


「えっと……あんたには見覚えがある。イーレをよく訪ねてきたイーレの友人だよな」

「あら、驚いた。別れた女性の顔は覚えていないのに、私のことは覚えているのね?名前は憶えている?」

「覚えていない」

「ジェニ・ロウよ。ついでに貴方の上司であるエド・ロウの妻でもあるわ」

「ついで……」


 妻の発言に、狸親父である上司エド・ロウは嘆いた。


「は?!所長の奥さん?!研究都市で見たことないぞ?」

「驚いてくれてありがとう。私は研究都市ではなく、中央セントラルの管理官だから、見かけたことがないのは当たり前ね」


 サイラスは慌てて口を抑えた。

 研究予算などつけるのは中央セントラルであり、管理官は研究や予算管理が正しく使われているか監査する立場の人間だ。

 先発降下隊所属のサイラスのクビなど、素行不良を理由に一発申告で飛びかねない。


「……ジェニ・ロウね。覚えておくよ」

「いや、問題発言は他にもありますよ?別れた女性の顔は覚えていないって……」


 ディム・トゥーラはジェニ・ロウの言葉に思わず突っ込んだ。


「あら、別に私がサイラス・リーと交際していたという意味ではないわよ?この子、交際した女性と別れると顔を忘れるらしいの。興味のない人物の名前も覚えようとしないって、イーレが言ってたわ」

「カイル・リードの真逆か……」


 カイル・リードは一度あった人間の顔と名前を忘れない。

 座っているサイラス・リーに全員の視線が集中した。

 後ろめたさに負けたのはサイラスだった。

 彼は片手をあげて弁解をした。


「……業務で必要な人間の顔と名前は憶えているよ」

「その消去癖は私生活プライベート限定なのか」

「もちろん。ちゃんと降下任務の時は、詳細に漏らさず報告しているだろう?」

「…………どこから突っ込んでいいかわからない」

「さて、サイラス・リー、貴方に確認することがあります」


 ジェニ・ロウは高らかに進行を宣言した。


「貴方、クローン再生は初めてではないわよね?」

「もちろん」

「今までクローン再生で記憶障害のトラブルは?」

「あったら、イーレみたいに有名人じゃね?」

「確かに……イーレとの生活は覚えてる?」

「殴られた回数は覚えてないけど、ね」

「軽口がたたけるとは、結構。イーレの実年齢を覚えてる?」

「……………………それを言わせて、俺にもう一度、クローン再生を味合わせたいわけ?」


 婉曲的な『イーレに殺される』という表現にジェニ・ロウは声をあげて笑った。


「そういえば、ババア発言してイーレに殴られていたわね」


 ジェニ・ロウは端末で顔を隠して、思い出し笑いに耐えていた。


「まさかの再生ポット行きだったよ。あのさー、やっぱりイーレは隣室に潜んでない?」

「いないわよ」

「そういえば、イーレの実年齢の情報をくれたのも、ジェニ・ロウだった」

「思い出せるようね。やっぱり、記憶の消失は地上降下後に限られるわけ……か」


 ジェニ・ロウは端末に何かを記録していた。 


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