【新連載】【エトゥールの魔導師2】エトゥールの養い子〜貴方と手を繋ぎたい〜

阿樹弥生

第1話 再生

――私のせいで私の大好きな人は死にました。



 リルはずっと後悔していた。

 やしなおやが死んだのは、自分のせいだ。

 ただの平民が偉大な賢者メレ・アイフェスやしなになった結果、養い親は自分をかばって死んだ。あの時、私が一緒にいなければ、養い親であるサイラスは命を落とすことはなかったのだ――と、彼女は自分を責め続けていた。


 孤児であったリルを孤独から救った養い親は、数年の共同生活ののちにこの世から去った。

 リルは再び孤独な生活に戻るかと覚悟したが、実際は孤独ではなかった。養い親サイラスの仲間達が、残されたリルを支えてくれたのだ。


 これは導師とか賢者の意味がこめられた尊称で呼ばれる『メレ・アイフェス』達とそのやしなになった少女の物語である。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎


 ゆらゆらと目の前に金色の波が揺れる。

 それは見覚えのある光景だった。綺麗きれいなので、そのままいつまでも見あげていたい、という心理的欲求をいつも味わう。開発者が母親の胎内たいないを再現したとか言うが、真実かどうかわからない。

 だが、安心するのだ。


 サイラス・リーは、ぼおっとした頭でその光景見ていた。


 起き抜けの寝ぼけに似た状態だった。少しずつだが、思考が働き始めた。

 ここはどこだ?

 なんでここにいる?

 答えを求めて、経験からくる記憶を求めるのが、本能というものだろう。

 サイラスはようやく状況を把握はあくできた。


 液体に全身がかっている。

 上方の鏡面が裸の自分を映し出していた。

 黒い髪と瞳、きたえた細身の肉体。筋肉と反射速度を調整し、選択した20代の身体だ。


 外見年齢の選択は、自由があった。自由がありすぎて500歳越えのババァが、十代前半の肉体を選択するような理不尽極まりない詐欺さぎのような事態も発生する。

 それでも自由なのだ。

 中央セントラルの自由の定義は、いささか歪んでいるかもしれない。サイラスはそう思う。


 そんな思考をしながら、サイラスはようやく自覚した。

 やばい。これは複製体クローン培養槽の中で、俺はその培養液の中にいる、と。


 どこかで死んだらしい。いったい、どこでだろうか?

 サイラスは考え込んだが、答えらしき光景は浮かんでこない。


 経験から言うと、このあと苦しい思いをするはずだ――サイラス・リーの予想は数分後に見事に当たった。

 強制的に肺呼吸が開始され、結果として酸素濃度が飽和している再生液にむせる羽目に彼は陥った。

 肺呼吸を開始する前に、なぜ再生液を排水してくれないのか?これは毎回サイラスが疑問に思う点なのだ。


「ゲホゲホゲホゲホ」

「とっとと起きろ、この馬鹿が」


 ポットの上扉が開放されて声がふってきた。

 冷たい不機嫌な声だ。聞き覚えがある。誰の声だっけ――

 差し込んできた天井のライトの光がまぶしすぎて、話しかけてきた男の顔が逆光になりよく確認できない。


 もう少し光量を下げていいのではないか、とあとで医療班のシルビア・ラリムに進言しておこう。


 サイラスが再生ポットの中でむせながらなんとか上半身を起こすと同時に、再生液の排水が始まり、濡れた身体を乾燥させるための心地よい温風に包まれる。いつもの過程だった。


 サイラスはもう一度、そばにいる男の顔を視認しようとした。


 茶色の髪、茶色の瞳、長身、チンピラのように鋭い視線、顔はいいから、もう少し愛想がよければ俺より女性にモテモテだろうに――余計な感想をサイラスは抱いた。


「うるさい」


 筒抜けだった。

 この目の前にいる男は――ディム・トゥーラだ。サイラスは記憶から認知した。

 観測ステーションに在任している所長エド・ロウの片腕。影で観測ステーションを牛耳っている中央から派遣されている未来の技術官僚テクノ・クラート。中央で5本の指にはいると言われている優秀な精神感応者テレパシスト。そしてカイル・リードの今や専属支援追跡者バックアップという貧乏くじを引いた男だ。


「ディム・トゥーラ」

「よし、俺を認識できたな。ここはどこかわかるか?」

「再生ポットの中――じゃないな。これ、クローン培養槽じゃね?」

「ほう、よくわかったな」

「微妙に違うんだよね。構造が、さ」

「それは知らなかった」


 知らないということは、再生ポットもクローン培養槽の経験もないらしい。ある意味うらやましい発言だった。


 空になった培養槽の中で半身を起こしたサイラスは、ディム・トゥーラから衣服を受け取った。女の前とは違い、男の前で素っ裸でずっといるメリットはないし、その趣味もない。


 服を着ながら、サイラスはディム・トゥーラを視認した。いつも短い茶髪が無造作に伸びている。清潔感は変わらないが、この男が髪を伸ばすとはどういう風のふきまわしか?


「ついにモテを追求するために、髪を伸ばすことにしたの?珍しくない?」

「寝言は寝て言え。こっちの方が都合がいいんだ」

「都合?」


 ディム・トゥーラが合図をすると、男性の医療担当者がサイラスの身体の確認を始めた。

 シルビア・ラリムではないのか……。

 いつもは、師匠であるイーレとワンセットで医療担当の銀髪の氷姫が面倒を見てくれていたが、どういうことだろうか?


 主治医のシルビア・ラリムを口説くと、イーレに半殺しにされるのはわかっていたし、「難攻不落の氷姫」とあだ名される彼女は、そもそも口説き文句になびくような存在でもなかった。

 なにか医療担当者が交代になるような不祥事を自分はやらかしただろうか?



 …………過去の行いを省みると心当たりがありすぎて、サイラスには理由を絞り込めなかった。



 瞳孔検査、筋力検査、麻痺の有無、知能検査……あらゆる検査に当事者のサイラスの方が飽きてきた。イーレが登場しないことにも不満がつのる。


「だいたいなんで、男性の医療担当者なわけ?華がない」

明後日あさっての方向の文句を言うな」


 ずっと立ち会っているディム・トゥーラの反応は相変わらずそっけない。

 いや、何かイライラしているようだった。

 また、カイル・リードが何かをやらかして、後始末に奔走しているのだろうか?


「観測ステーションでは、サイラス・リーに女性医療担当者をシルビア以外つけるな、とイーレから厳命されている」

「なんだよ、それ」

「お前が女性医療担当者に口説かれて、ほいほいと関係を持つからだろう」

「それは研究都市での話だろ?」


 当事者に反省の色は見られない。


「観測ステーションでは、狭い世界だから女性に口説かれても関係を持つなって、イーレに厳命されていたし」

「…………だからトラブルが未発生だったのか……今度、イーレに感謝しないとな……」

「もしもし?だいたい、俺から口説いてないよ?最初から遊びだって宣言してるし、それを相手も了承しているし」

「それがどうして、毎度男女トラブルになるんだ?」

「たいてい、女の方が『私とイーレ博士のどちらが大切なの?』って言いだすか、結婚を前提に付き合いたいと言い出して、ジ・エンド」

「――そういうことか」 


 ディム・トゥーラは、深い溜息をついた。

 サイラス・リーの価値観である「師匠最優先」を覆すことは、普通の女性では難易度が高すぎることは理解できた。

 サイラスは唇を尖らせた。


「俺は悪くない」

「悪いか悪くないかは、イーレに判断をゆだねようか?」

「それで、どのみち俺はイーレに殴られるわけね……イーレはどこだ?」


 サイラスの言葉に、ディム・トゥーラは唇に人差し指を立てて、静かな警告をした。

 ディム・トゥーラがプライベート・モードに切り替えたことにサイラスは気づいた。記録を残したくないらしい。

 たかがイーレの話題で不可解な行動だった。

 それとも、イーレは別室からモニタリングをしていて、悪口を言ったとたん、長棍片手に殴り込みにくる準備をしているのだろうか。


 ――ありうる。


 だが、ディム・トゥーラは意外なことを言った。


「イーレは戻っていない」

「あ、そうなの?薄情だなぁ……弟子の再生退院に立ち会わないのかよ。一応でも俺の後見人なんだぜ?」


 サイラスは子供の様にむくれた。


「彼女は多忙だ。実際、治安が悪くなってな……」

「治安?研究都市で暴動でも起きたわけでもあるまいに……治安が悪くなる要素がどこにあるのさ」

「馬鹿、地上の話に決まっているだろう」

「地上?」


 サイラスは眉を顰めた。同じくディム・トゥーラも眉を顰めた。


「まだ、記憶が混乱してるのか?」

「地上って、なんの話だ?」

「イーレがいる地上の話だ」

「はあ?!」


 サイラスは驚きの声をあげた。


「地上嫌いのイーレが、地上に降りるわけがないだろう?!」


 ディム・トゥーラは、サイラスの顔をじっと見つめる。


「時系列の混乱か?最後の記憶はなんだ?」

「えっと…………」


 サイラスは記憶をたどった。


「倉庫で体内チップの在庫をかき集めてたな。あ、そうそう、地上で発見されたカイルの馬鹿が体内チップを全消費して、お前が青ざめていたんだ」

「……………………そこは消去していい。それから?」

「在庫チップを持って、シルビアが地上に降下した。降下なら俺の方が専門なのに」

「それから?」

「――そうだ、シルビアの移動装置が帰還寸前に破壊されたんだ」


 サイラスは手をうった。


「あってる」

「そんで、ディムが残留研究員達をいいように、こき使っていたな。地上文献なんて、どうやって入手したわけ?」

「そこは消去でいい」

「そうそう、移動装置を改造して耐久性をあげたよな?思い出してきたぞ」


 ディム・トゥーラが、なぜかほっとした表情を見せた。


「ああ、俺は退屈で死にそうだったから、降下に立候補したんだ」

「あってる」

「それで、降下して――死んだ」

「…………………………」


 ディム・トゥーラはサイラスを睨んでいた。


「そういう、おふざけはいらん」

「へ?」

「時間がもったいないと言ってるんだ」

「え?いや、なんで怒っているんだ?」


 カイル・リードは、ディム・トゥーラをよく怒らせていたが、意外に彼は度胸があったのでは、とサイラスは思った。

 ディム・トゥーラの怒りの威圧波動は、周囲を圧倒していた。怖いもの知らずの先発降下隊の一員であるサイラスでさえ、冷や汗をかいた。

 目の前に人喰い虎か灰色熊がいるような絶対絶命の危機だった。

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