1-9


「今日は部室にきますか」と伊万里は聞いた。彼女はとうの昔に昼食を済ませており、いつまでもぼんやりと空を眺めるだけの活動を延々と続けている。それほどまでに空が好きなのか、それとも退屈でしかないのか、俺にはよくわかっていない。


「正直、わからないといったところですね」と俺は彼女の言葉に返した。


 毎日、ぎりぎりのところまで書類仕事をやっていて、昨日あたりはそろそろ締めがつくのではないか、と見当をつけてはいるものの、仕事というものは新しいものが追加されることが大半だ。昨日であれば部活動の一覧を作成し、その活動費であったりを整理したわけだが、今日はまた違う活動が俺の時間を奪っていくのかもしれない。いや、奪ってくれるのかもしれない。


「そうですか、そんなに忙しい感じなんです?」


「生徒総会が近いってことで慌ただしくしてますね。……あまり本命の生徒会役員が来ないので」


「あー……」


 サボる人って結構いますもんね、と彼女は言う。俺はそれに頷いた。


「何か科学同好会でやることでもありました?」


「いえ、別にそういうことはないです。ただ、誰か来るのかなぁ、と気になったので高原くんに声をかけてみただけです」


「……そうですか」


 実際、科学同好会でやることなんてたかが知れている。いつも行っていることとすれば、伊万里と他愛のない雑談を繰り広げたり、持ち帰るのが嫌な課題をそこで済ませたり。五月に至ってもそんな活動内容が変わることはない。


「まあ、暇しているとは思うので、気が向いたら来てみてくださいよ。なんとなく待っておくので」


「期待されているのだったら、なんとか暇を見つけておきます」


 俺はそう言いながら、手元にある弁当のすべてを平らげた。彩のない肉弁当が空っぽになるのを視界に入れて、重苦しいものが身体の中に含まれる感覚を、少しばかり気持ち悪くなりながら俯瞰で見つめた。






 それからも淡々と時間は過ぎていった。昼飯を食い終わった後、教室に帰っても暇だから、という理由で伊万里と一緒に空を眺めていた。特に会話が生まれることはなく、ぼやっと青い空と継ぎ接ぎの白い雲を見て意識を浮かべていた。


 チャイムが鳴った後、伊万里の「それじゃあまた」という言葉を合図に俺たちは解散をした。また、という言葉を使っていることに俺は気が付きながら、そこそこに物理室に来ることを期待しているのだろうか、となんとなく考えてみる。


 もし仕事がたくさんあるのだったら、息抜きに彼女のもとへ行くのも悪くはないのかもしれない。この学校の中で居心地のいい場所なんて、物理室と誰もいない生徒会室くらいだから、気が向いたら俺は向かうことにしよう、と心の中で決めてみた。


 思考を繰り返しながら渡り廊下を歩いていく中で、特別教室での授業らしい生徒が数人ばかり慌ただしい様子で駆けていく。俺はそれを見送りながら、自身の教室との距離を概算して、それから放課後の過ごし方を見定めていく。


 ……まあ、結局生徒会の仕事を手伝うのが相場だろう。俺は息を吐いた。






 滞りなく授業は進んでいき、そうして今日の日課のすべてを完了した。帰りのホームルームでは、最近コンビニでたむろしている生徒が多く、近所から迷惑だと通報を受けている、という話題が挙げられ、帰る際には真っすぐ道に変えるようにと全体でアナウンスされた。まっすぐ家に帰れという言葉に心のどこかで、従えないな、と歪な反骨精神で返しながら、ホームルームは締めくくられた。


 だんだんと夕日が落ちる速度が遅くなっていく。四月の当初こそは冬を思わせるように、夕方の時間は短くすぐにやってきていたけれど、今度は春から夏へと移動する季節の流れを俺は認識せずにはいられない。汗ばむような季節がやってくると嫌な記憶ばかりが頭の中に過るから、なんとも言い難い感情が俺の心を巣食ってしまう。


 ぼんやりとしていても仕方がない。こうしている間にも時間は過ぎて逝く、時は金なり、という言葉を慎重に扱うのであれば、さっそく俺は鐘を浪費していることに変わりはない。有り余るだけの時間ならば不要だな、とは考えているものの、それでも予定がもともとあるというのならば、時間を無駄遣いすることは許されないような気もしてくる。


 俺は生徒会室へと向かった。






 生徒会室の前に立って、ドアから覗ける窓から部屋の中を見渡してみるものの、中には誰もいなかった。一番乗り、ということらしく、生徒会室には鍵がかかっており、俺がドアを開けようとする力は鍵によって抵抗され、その力の行き場をなくしてしまう。


 面倒だな、と思う。きっと、昔であれば独り言のひとつくらい出していたのかもしれないけれど、ここはぐうっとこらえて、せめて心の中で呟いてみる。


 鍵がかかっている、というのであれば、自然とおこなわなければいけない行動は、鍵をとりに行く、に限定されてしまう。鍵を取りに行く、という行為自体は面倒くさいものでもないし、簡単に済ませることができるけれど、職員室に行って鍵を借りる、というのがどうも足を重くする。


 昔から職員室という場所については苦手で、早朝にも入った大人ばかりいる空気が俺にとっては耐えられない。浮かべている作り笑いが歪んでしまいそうになるのを自覚してしまうほどに。


「……物理室に行くかな」


 逃避行動として選択したのは、伊万里と約束みたいなことをした物理室である。何かやるべきことを見出しているわけでもないし、彼女に呼ばれているわけでもないと思うけれど、こうした時は適当な場所で適当な時間を過ごしてから、誰かが鍵を開けてくれることに期待するしかない。


 そう思って踵を返し、特別棟の方へと足を向ける、が──。


「……お前も独り言とか言うんだな」


 後ろを向けば、どこか怪しむような視線で俺のことを見ている赤座がそこにはいた。



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