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 貼り付けたような笑顔を浮かべながら、俺は校門前にいる彼らに向かって歩みを進めていく。大して重くもなかった学生鞄が自分の手から離れて、身軽になったような感覚を反芻しながら、笑顔のままで俺は「おはようございます」と丁寧さを意識しながら頭を下げた。


「おっす」とやる気のないことを示すような言葉を返す赤座だったり、「おはようだな」と軽快に返す常法寺だったり、「おはよう!」と元気よく返してくる女子生徒であったり、それぞれの個性を生かしたような、そんな挨拶が頭の中にしみる感覚がする。俺はそれに改めて会釈をして、彼らに並ぶようにする。


 彼らは雑談をしている最中だったようで、特に赤座と女子生徒については楽しそうな表情を浮かべて、挨拶が終わった後には本題に戻るように会話を続けている。その隣に位置して挨拶運動をすることには気が引けたから、とりあえず俺は常法寺の近くに移動して、ただ目の前の景色を静かに見つめ続けた。


「雑用なのによくやるよな」


「……まあ、常法寺先輩にお願いされていることなので」


「まだ雑用なんだから、これは参加しなくてもいいって言ったはずなんだけどな」


 常法寺は半ば呆れるように苦笑をしながらも、それでも俺の存在を歓迎してくれるように肩をぽんぽんと叩いてくる。そんな言葉や態度で気分が高まるわけでもないけれど、「家にいてもしょうがないので」と話さなくてもいい事情を口に出してしまう。なんとなくの無意識だった。


「生徒会の仕事を手伝ってくれるのも、なんだかんだ家に帰りたくないとかだもんな。まあ、人にはいろいろな事情があるから詮索とかはしないよ」


「……はは」


 乾いた笑いが口から出てしまう。反応としてはもっと最善があるだろう、とか頭の中でわかってはいるものの、特に思いつく言葉もないから、それくらいの反応しか俺にはできない。


 家に居たくない、その詳細を語ることはできるが、精神的には語りたくはない。人の口には戸が立てられない、というのは俺の人生経験から学んだ、ひとつの事実であり、それを覆すことはいまだにできそうもない。


 人に期待をするなんて、そんなの無駄でしかない。期待をするから裏切られるのだから、裏切られたくないのであれば、期待をしない。それが一番効率的で楽な生き方なのだ。


 だから、自分のことを話すつもりはない。


 これまでも、これからも。





 しばらく俺は口を開くことはなく、目の前の景色をただ視界にとらえ続けていることに時間を使い続けた。隣にいる常法寺や赤座、そしてヒロミと呼ばれている女子生徒の会話が耳に入っては来るけれど、盗み聞きというのも悪い気がするので、適当にどうでもいい思考に意識を絞って、何も考えないようにする時間が過ぎていく。


 景色を見ていても退屈な時間しか過ごすことはできない。たまに高校前を通る車のナンバーを見つめて、ぞろ目かどうか、という賭けを何度か繰り返して、結局それに負けている。そんな時間の使い方をしていていいのか、と自問する自分もいるけれど、やることが極限までないのだから仕方がない──。


「──高原くんも、そう思うよね?!」


 そんなとき、俺に向けて声がかけられていることに気が付いた。


 ぼうっとしていた頭を振って、そうして声をかけてきたほうへと視線を向ける。表情が硬くなっていないか、ということに即座に意識を向けて、頬の筋肉の感覚に笑顔を浮かべている自覚を持ってから、その声の主の視線を追いかけるようにした。


 話しかけてきたのは、ヒロミという生徒だった。黒髪とは言い難い茶髪の雰囲気、短めにそろえてはいるものの、どこか陽気な雰囲気を持ち合わせている、典型的なコミュニケーション強者というような、そんな感じがする見た目をしている。


「えっと、……すいません。ぼうっとしていて……」


 俺がそう返すと、彼女は「あ、そうなんだ!」と返しながら、言葉を続けていく。


「いや今ね? 赤座と話していたんだけど、今時携帯を持っていない人とかいないでしょ、って話になってさ!」


「……あー」


 なるほど、と付け加えようとしたけれど、ろくに聞いていない会話に、わかったような口を聞いても心象が悪いだろうから、適当に間延びした声だけを返す。


 そして、改めて言葉の整理をしたうえで、俺なりの言葉を返さなければいけないことを考える。


「でも、僕、携帯持ってないんですよね」


 俺の言葉に、えっ、と返すヒロミと赤座。常法寺については一度聞かれたことがあったので、特に何か反応をするわけでもなく、ただ俺の様子を見つめるようにしている。


 ……そこまで携帯を持っていないって、おかしなことなのだろうか。


「あっ、もともと機械が結構苦手で、使うことに億劫になっちゃって、結局携帯を持っていないんですよ、僕」


 赤座とヒロミの反応に、何かしらの言い訳をしなければいけないと、それっぽい言葉を付け足してみる。実際には機械が苦手とか、そういった事情などは一切ないけれど、これくらいの言葉で飾っておけば、なんとなく彼らなら納得するだろうと思った。


「そ、そうなんだ」と気まずそうに返すヒロミ。赤座は俺から視線をそらして、遠くのほうを見つめるようにする。




 ──ほら、俺に話しかけたからこうなったんだ。




 心の中で、ぽつぽつと滲むように、言葉が垂れて落ちていく。




 ──俺に何かしらの期待をするくらいなら、俺には不満だけ期待しておけばいい。そうしたほうが、俺もお前らも救われるのだから。




 そんな気持ち悪い心の言葉が、俺の頭から離れることはなかった。


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