一/誰も知り得ない虚

1-1


 生徒会役員の朝は早い。


 そんなことを口頭につけて人に話せば、少しくらいは面白いと思ってくれるかもしれないが、実際は生徒会役員ではない俺の言葉は、ただの嘘となってしまうのだろう。


 俺は生徒会に参加はしているものの、それはそれとして生徒会役員ではない。常法寺が次の生徒会に推してくれるということは確定しているものの、実際に選挙がある日までは、俺はただの生徒会役員の雑用係でしかないのだ。


 だから、きちんとした表現として挙げられるのは『生徒会役員雑用の朝は早い』となるのだろう。……まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど。


 目覚まし時計が時間を知らせるよりも早く起きることが多くなった。それは日常的な習慣というよりも、朝が来ることが億劫になっている自分の心が、朝を拒絶した故にたどり着いた逃避のひとつでしかない。


 幾ばくか早く起きたところで、やるべきことも見つからないから、布団の中で熱にくぐもってみる。けれど、一度覚めてしまった意識は再び夢の世界へと入ることを拒み、布団の中に浸している関節部分が熱をもって、意識をより覚醒させてくる。嫌な目覚めではないけれど、嫌な感覚だ。自分が真っ当な人間ではないことを認識させてくるような、そんな気がするから、俺はせめて目覚まし時計が鳴るまでは眠っていたかった。


 きっと、こういう時に普通の高校生ならば、手持ちで買い与えられているスマートフォンなり、携帯なり、ゲーム機なりを使って時間をつぶすのだろう。


 だが、俺はそれらを持っていない。携帯については中学生の時に解約することになったし、ゲーム機については居間に置いてあるから、そこまで手を伸ばすことは億劫になってしまう。


 それならば、どうするか。


「……起きるか」


 結局、やることがないのならば、やることを見出せばいいだけなのである。俺はそうしていつも通りに朝の目覚めを正しい行いとするべく、きちんと起床した。





「本当に早起きできるようになったね」と母は言った。


 自室から居間のほうへと下っていけば、そこには父と母がいる。母はまだ朝食を作っておらず、テーブルの上に珈琲を並べて、父と談笑をしているようで、俺が顔をのぞかせれば、二人は当たり前のように、おはよう、と挨拶をしてくれる。俺はそれに同じような挨拶を返すと、とりあえず自分の分のコーヒーを作るべく、ケトルのノブをひねった。


「まあ、習慣だよ」


 俺はそれだけ返した。本当に習慣であればいいのだけれど、実際は朝が嫌だから起きているだけ、という情けない原因でしかない。


「それでも、きちんと起きるのは偉いよ」


「そうそう。毎日頑張ってるなぁ、ってお父さんと話していたのよ?」


 俺はそれに苦笑しながら、ありがとう、と返した。


 頑張っていることを褒められるのは、素直にうれしい。自分が信頼している人間からそんな言葉を紡がれることを、心の底から信じることができる俺がいる。


「今日は生徒会の挨拶運動があるから、ちょっと早めに出るよ」と俺が母に声をかけると、母は間延びした声で、はいはい、と返した後、飲んでいた珈琲をテーブルに置いて、台所へと向かう。


 俺はそれを視界に入れた後、とりあえず身支度でもしなければなぁ、とぼんやり考えて、洗面台へと向かう。


 これが、俺のいつもの日常だった。





「本当に早めに出るのね?」と母は言った。


「まあ、朝練とかある人に向けても行っているらしいから」と返答する。


 実際、生徒会の挨拶運動というものは、だいぶと早めから行われる。どれくらい早いかを表現するならば、教師が通勤するよりも前に生徒会が校門を開けているほど、というくらいだろうか。


 俺の言葉に、父と母はにっこりとした。「無理はするなよ」「自分のペースで頑張りなさいな!」とそれぞれの応援のような言葉をもらった後、彼らを背にして、俺は玄関のほうへと向かう。


 身支度は済ませた。まだ生徒会役員ではないけれど、きちんと風紀を正した服装でないと、常法寺が突っ込んでくるから、ネクタイを首まできちんとしめて、ワイシャツの第一ボタンまでしっかりとつける。少し息苦しいような気もするけれど、それはそれで気が引き締まる感覚はするから悪くない。


 俺は玄関前にある鏡を見ながら、自分の様子を確認する。


 気だるげな眼、憂鬱そうな表情。やる気がないような、そんな雰囲気のある高校生。鏡の中にある自分の姿を確認して、切り替えるようにしながら──。


「──あっ」


 ──そんな切り替えを意識しているタイミングで、上の階から降りてくる足音が聞こえてくる。意識はしないようにしていたけれど、それでも俺の存在に気づいた彼女は確かに気づきの声を上げた。


「──おはようございます。皐さん」


「──っ」


 俺の言葉に、彼女は特に反応しないまま、そのまま居間のほうへと歩いていく。舌打ちをするような、そんな音だけが聞こえてきたような気がするけれど、それでも俺は気にしない。


 ……これでいい。どうでもいいから、これでいい。


 俺は妹の様子は気にしないようにして、改めて自分の意識を外向けに変えることへと集中をした。


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