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◇
「いつも、無理していませんか?」
伊万里はくすぐるような笑みを浮かべた後、悪戯っぽい視線をこちらに向けてくる。彼女をからかっていたはずなのに、いつの間にか立場というものは逆になっていて、その楽しそうな様子が心臓に針を突き立ててくる。
彼女の視線に応えたいという気持ちはある。気持ちはあるものの、それでも俺は目を合わせることができないまま、とりあえず景色の中にあるブランコだけを見つめることを繰り返している。
「……別に、無理なんてしてないですよ」
彼女の言葉にそう返した後、改めて思考を自分の中に反芻する。
俺が吐き出した言葉の通りだ。無理なんてしていない。無理なんてしていないつもりなのだ。
──本当にそうだろうか?
心の声が呟いた。人格に反するように、本物の自分が浮き出て、それを自覚させるように呟いていた。
俺は、それを無視した。
「それだったら、どうして下手な敬語を使うんですかねぇ」
彼女の揶揄う雰囲気は止まることはなく、いつまでも俺をくすぐるように笑い続けている。
「……下手?」
「はい、めちゃくちゃ下手だな、って思います」
彼女の言葉に、俺は意識を引っ張られてそう返すけれど、その声音はどうしたって低くなっていた。喉の力が引きつっているせいで、どうも上ずった声しか出てこなかった。
だが、伊万里はそんな俺の様子など気にすることはなく、当たり前のように言葉を続ける。
「なんというかですね、取り繕ってます、という雰囲気が高原くんには前面に出てるんですよ」
「……」
「仮面、っていうんですかね? あからさますぎるくらいで、とても目立ちます」
彼女は俺の芯を貫くように、言葉を続ける。
「敬語って便利ですよね。敬語で振舞っていれば、相手は勝手に距離をとってくれます。それが親しい人間でも、親しくない人間でも、使っていれば一定の距離というものが生まれますから。……私の場合は自然と敬語になっちゃって、それで距離が生まれているわけですけど、高原くんのは『あなたとは距離を縮めません』と意思表示をしているようにも感じます」
長い台詞を彼女は並べた後、伊万里は力を抜くように、ふう、と息を吐く。俺はそれに言葉を返さないまま、ただ目先のブランコだけを見つめている。
俺が言葉を返せないのは、彼女の言葉のすべてが図星でしかなかったから。
俺が言葉を返したくないのは、そのスタンスがぶれることを自分で許したくないから。
信念を固くするために、俺は言葉を返さない。それがぶれてしまえば、俺はどうしようもなくなってしまうのだ。
「──でも」
伊万里は、声を発する。
「そんな振る舞いだからこそ、私は高原くんが信用できます」
「……信用、ですか?」
信用、という言葉が耳に届いた瞬間、それを疑いたくなる自分がいた。別に俺が彼女を信頼するというわけではなく、彼女が俺を信頼するというだけの話なのに、それを疑ってしまう自分がいた。
それは、俺が俺自身のことを信じられないからなのだろうか。よく、わからなかった。
「はい」と彼女は返事をした後、俺が視線を送り続けているブランコの方へとゆっくりと歩いていく。
俺が視線をそらさないように、彼女は俺の視界にとどまり続けることを選択したように。
「もしかしたら、これは信用とは違うかもしれません。けれど、一定の距離があって、そこから距離が長くも短くもならなければ、私は心の底から安心できるんです」
彼女は、俺の視界を独占しながら、言葉を紡ぎ続ける。
「人との関係を、……距離を意識するから、人間関係は苦しくなるんだと思います。だから、一定の距離を意識していれば、それで苦しくなることはありません。高原くんが一定の距離をとってくれることをこれからも続けてくれるのならば、私はそれを信頼します。どれだけ下手な敬語でも、取り繕った振舞でも信用してあげます」
「……それは、信頼と呼べるものでしょうか?」
「さあ」
伊万里は、興味がないように声を返した。
「けれど、きっと高原くんと私は同族でしょう? それならそれでいいじゃないですか」
「……期待されているってことですかね?」
「期待なんてしませんよ」
彼女は、途端に空白を見せつけるように表情を殺した。
「人に期待をするなんて、そんなの疲れるだけでしょう?」
俺は、その言葉に目を奪われていた。
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