0-9
◇
「最近の調子はどうですか」と俺は彼女に聞いていた。昔でもないけれど、過去のことを思い出した拍子に彼女へと聞きたくなってしまったのかもしれない。無意識に近い感覚で吐き出した言葉、言葉を紡いだ後で自分は何をしているのだろう、と少しばかりの後悔の念に苛まれた。
会話とは意思疎通のかけ橋であり、その発展は仲の良さにつながっていく。俺は彼女とは知人という関係だけで収めていたいはずなのに、その関係を超えてしまいかねない言葉を彼女に吐き出している。そんな自覚が、自分の中で気持ち悪かった。
「……最近の調子ですか?」
俺の言葉に、彼女は歩き続けながら、特に気にしないというように言葉を続ける。
「別に、普通ですよ。これと言って何か変化があるわけでもないし、面白いこともないですし、ただただ毎日同じことの繰り返しって感じです。それ以上も以下もないですね」
なるほど、と俺は返した。自分もそんな感じだから、彼女に聞かれることはないにしろ、同じ質問をされたのなら、そう返したのかもしれない。
暗がりの道、歩き通していき、見慣れている道から見慣れない道へ。霧がかかるように街灯の明かりは細部にまでは力を発揮せず、もやもやとした暗闇が世界に蔓延り始める。住宅街の道に入り込んだというのに、どこかここは異世界のように暗さしか存在しない。
「あっ」と、そんなときに伊万里は声を出した。感慨深いという様子でもないけれど、確かに彼女は声を出していた。彼女の声に沈んでいた視線を上げると、入り組んでいた道の先の中には、乏しい明かりに照らされている公園が視界の中に入る。
「入ります?」と俺は彼女に言った。伊万里は躊躇うように頭を掻いた後、「いや、別に入りたいわけじゃ」と少しだけ慌てた様子で取り繕っている。
彼女のこういうところは、嫌いじゃない。
「まあまあ、どうせ暇ですし、とりあえずって感じで入ってみましょうよ」
「……なんか言葉の感じが癪ではありますが、し、仕方ありませんね。暇ですし、一応入ってみますか。一応」
そうして、俺と彼女はひと気のない公園の中で腰を落ち着けることにした。
◇
公園の中には街灯が二つ立っている。街灯の一つは点灯することはなく、心細いとしか言えない光だけが、子供たちの遊び場だったものを照らしている。
寂しいだけの風景の中にあるものは、象の鼻を模したような滑り台と、錆びついているように見える朱色のブランコ。おそらく塗装が剥げたのだろう。年季の入っていることだけがよくわかる公園の外観を、俺はベンチに座りながら呆然と眺めていた。
伊万里はというと、俺のまねごとをするように、同じくベンチに座りながら、公園にある数少ない遊具を見つめてぼうっとしている。その視線はずっと象の滑り台だけを見つめていて、ふと俺に悪戯心が湧いてしまう。
「遊ばないんですか?」と俺は揶揄う雰囲気で伊万里に言った。伊万里はそれに一瞬背中を弾ませた後、不満そうな顔で「別にやりたくないですし」と返してくる。
「それにしては視線が釘付けでしたけど?」
「……単純に、なんか古そうだな、と思っただけです」
「……ブランコを見ての感想だったら納得できるんですけどね」
ブランコの錆びついた色合いに比べれば、滑り台の塗装はまだ新しく見える。象の灰色が際立っているのに、それを見て古い、というのは違うだろ、と突っ込みたくなった。
「我慢せずに遊べばいいのに」
「が、我慢なんてしてません。私を子ども扱いするのはやめてくださ──」
むすっとした表情で返してくる伊万里が、俺には面白くて笑みを浮かべそうになる。けれど、それを彼女にそのまま見せるのは申し訳ないから、なんとか堪えながら頭の中で考え事をする。
伊万里の身長は低い、ということもあって、どこか子供のように扱ってしまう自分がいる。庇護欲、というものが生まれてしまうのかもしれない。そんな不思議な欲が目の前にあるからこそ、ついつい揶揄ってしまいたくなるような──。
「──今、高原くん。初めてタメ口で話しました?」
「──え?」
──俺は虚を突かれた思いがした。
「……いや」
俺は吐き出せる言葉を返した。単に言葉の綾というだけだったから、それだけを返せばいいと思った。
実際、それだけのことでしかないはずだ。
敬語を取り繕うことを今の定義としている俺が、敬語を取り払った振る舞いをするなんて、そんなことはないはずなのだ。
けれど、鼓動は揺らいでいた。
彼女の言葉に、自分が敬語じゃない振る舞いをしたのではないか、そんな自身に対する疑いや、どうしようもない焦燥感で心臓は揺らいで仕方がなかった。
「でも、実際タメ口でしたよ」
「そんなことはない、ですよ。ただの言葉の綾というか、別に無理に敬語で話さなくてもよかっただけで」
「じゃあ、タメ口ということで間違ってないじゃないですか」
彼女は、くすくすと揶揄うように笑った。無理に反論してしまえば、さらに墓穴を掘るのと同じだろうから、それ以上に言葉を返すことはしなかった。
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