0-8


 伊万里と一緒に帰るのは久しぶりのことであった。


 四月の中旬くらいまでは、なんとなくという感じで一緒に帰ることが多くあった。多くあった、というか、毎日というべきか。常法寺に生徒会への勧誘を受けるまでは、科学同好会に顔を出した後、流れで一緒に帰っていた。


 けれども、ここ最近は生徒会の事務作業に追われることが多くて、伊万里と帰宅する時間を合わせることができていなかった。そもそも、彼女が懸命に活動している科学同好会についても、今日のような顔出しくらいしかできておらず、なんとも関わりというものが薄くなっているような気がした。


 夜が世界を飾っている暗闇時、通りがかる車のひとつひとつが道先を照らしていく。赤いテールランプであったり、もしくは黄色い光であったり。それ以外にも、道先を照らしてくれる街灯の存在であったり、ただの信号機の彩であったり。


 その道中、特に会話が生まれることはない。互いに話すことがないから、話さないだけ。無理に話す関係ではないし、いつだって事務的な会話しかしたことがない。


 そんな知人としか言えない関係に、やはり発展性は見込めない。


 俺は、ぼんやりとそんなことを考えながら、暗がりの中にいる景色を視界の奥に落とし込んだ。





 彼女と二度目に出会ったときも、伊万里は空を眺めていた。少し灰色がかる雲の下、天気が不良であることを理解できるような景色の中で、彼女は初めて出会った時と同じように空を眺めていた。


 屋上に来る人間というのは、孤独に導かれた人間でしかない。


 あの生徒会長である常法寺が孤独であるとは思わないけれど、屋上に来るようになったきっかけなどを探せば、おそらく彼も孤独であったのだろう。そして、その例に漏れることはなく、俺は孤独であったし、伊万里も同じようなものだった。


 居場所を求めたわけではないけれど、それでも俺は屋上に再び潜っていた。単に教室で昼食時を過ごすことには抵抗があった。仲良くなり始めている教室の空気に嫌気がさしていたし、他人の顔色をうかがうような、そんな雰囲気に辟易していた。


 俺は、人と目を合わせることに恐怖を感じていた。


 視線には感情が宿る。それは好奇心かもしれない、喜びや怒りかもしれない、哀しみだって宿るし、恐怖だって宿る。視線はいつだって感情を伝えてくる。


 俺は人の目が怖い。そんな感情を持って接してくる人の目が怖い。視線が体に刺さるたびに、物理的に心臓を射抜かれているのではないか、そんな錯覚を感じたことさえある。


 どうも、人が苦手になってしまったのだ、俺は。


 俺はそんな空気から逃れるために、そして屋上という格好の逃げ場所にたどり着くために、その日も屋上に昇っていた。その先にいたのは伊万里だった。


「楽しいですか」


 俺は再び見かけた彼女に対して、とりあえず思いついた言葉を投げてみた。


 別に話しかけなくてもよかったはずだ。彼女と仲良くなろうだなんて、浮ついた思考は俺の中になかったし、ただ屋上という場所を共有するはぐれもの同士、はぐれたままでいてもよかったのだ。


 けれど、俺はそれでも話しかけた。初めて彼女と話した時、どこか心に落ち着いた感情を抱いたから、それに倣うように声をかけていた。


「さあ?」と伊万里は答えた。


「何もすることがないから、とりあえず空を眺めていただけです。別に面白い、というわけでもないです」


「そうですか」


 俺は適当としか思えない相槌を打って、同じように空を見上げた。片腕に引っ提げている鞄の重みを感じながら、それでも彼女と同じように空を眺めた。同じ感覚を共有したかったのだろうか、自分自身でも自分のことがよくわからない。


「空、好きなんですか」


 俺は彼女にそう聞いた。それに伊万里は「綺麗ですから」と返答をする。


 目の前にあるのは灰色だけ。そんな空を綺麗だとは思えなかった。ただ広がっている雲に対して、どこか自分も似通っているのだろうか、と荒唐無稽なことを適当に考えていた。考えが頭の中に過ったあと、久しぶりでしかない他人との会話に、感情の一部が高揚する感覚があった。


 だから、続けて言葉を発した。


「それなら、『空観察部』でも作ればいいかもしれませんね」


 冗談としか思えない言葉。今思えば、そんな言葉は嫌味だととらえられるかもしれない。


 だけど、予想に反して、伊万里は俺のそんな言葉に笑った。苦笑に近い笑みだと思った。


「それも、いいかもしれませんね」


 ──そして、その言葉の通りというべきか、それから彼女は科学同好会を作り上げた。


 これがきっかけになっているのかはわからない。けれど、確かにそんな会話から俺と彼女の科学同好会については始まったはずだった。


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