0-7


 暗がりの廊下を歩くことについても、いつの間にか慣れてしまっていた。


 こんな時間まで残る人間というのは、熱心に部活動に取り組む生徒か、俺や常法寺のように仕事を託されている生徒くらいだろう。


 暗がりのままになっている廊下の窓から外を覗けば、グラウンド付近にいる生徒が片づけをしている様子なども視界に入る。そろそろ完全下校の時間なのだから、だいたいの生徒が帰宅する時間のはずだ。


 まだ学校の中で明かりがついているのは、まだ常法寺が残っている生徒会室と物理室、そして普通教室等の最奥にある学年職員室くらいである。それ以外の教室、そして廊下も含めて電灯が光ることはなく、少しホラーな雰囲気を漂わせている道を、俺はなんとなく歩いている。


 そのまま帰るのも悪くはない。悪くはないけれど、どうせならば適当に予定を見つけるなりして、そうして時間をつぶしていきたい。常法寺に行く予定はないと言い切ったものの、それでも未だに物理室に残っている伊万里の姿がなんとなく気になるので、俺は渡り廊下を靴音を鳴らしながら歩いていく。


 やはり、生徒会室からは遠いな。


 俺はそんな感想を抱きながら、ようやく物理室のほうへとたどり着いた。





「そろそろ完全下校の時間ですよ」と俺は声をかけた。


 明かりがついている物理室を覗いてみれば、そこには中央の席を陣取って、勉強のような作業をしている伊万里の姿が目に入る。その作業している机の付近には、物理室でアンティークとしてしか使われていないニュートンのゆりかごがあって、それはちらちらという具合で揺れている。さっきまで彼女がそれで遊んでいたのではないか、と変な想像をしてしまった。


 俺の声に、一瞬伊万里の背中がびくりと弾んだ。弾んだ後、恨めしそうな顔をして、俺のほうへと視線を向けてくる。


「いきなりなんですか。びっくりしました」


「……ええと、すみません。完全下校の時間なので、まだ残っている伊万里さんに声をかけようと思ったのですが」


 俺がそう言葉を並べると、彼女は物理室前方にかけられている時計に視線を向ける。俺の発言について理解したみたいで、はっとした表情で「す、すいませんでした」と謝罪を並べる。そんな彼女の振る舞いに、面白いという感情を抱くのは失礼かもしれない。


 伊万里は俺に向けてそんな言葉を吐いた後、机の上に広げていた筆記用具を鞄の中にしまっていく。慌てて片付ける様子の中、物理室の備品であるニュートンのゆりかごも鞄の中へ入れようとしたけれど、思い出したようにすっとそれを机の上に戻して、すっと勢いよく立ち上がった。


「……まだ、なにか?」


 伊万里は不満そうな表情をしながら、こちらのほうへと声をかけてくる。


 ただ単に彼女の一挙一動を眺めるのが面白い、というだけでここにいただけだが、それを言葉にすることはできやしない。


 そこで心に思いついた発想を生かすために、俺は適切に言葉を吐くことにした。


「久しぶりに、一緒に帰りません?」


 俺のその言葉に、伊万里は躊躇うように目を泳がせた後、渋々と言った具合でうなずいた。





 物理室の鍵を事務室のほうへと返した後で、俺たちは下駄箱のほうへと向かった。その間、特に会話が生まれることはなく、ただ靴が床にはぜる音だけが響いていた。


 移動の最中、まだ生徒会室の明かりがついていることに気づいた。常法寺が取り組んでいる作業はそこまで時間を食うものなのか、それとも屋上で煙草を吸っているのだろうか、と意味のない想像を繰り返した。


 上靴から外靴に履き替えた後、俺たちはそのまま校外に出ていく。その道中、運動部に所属しているらしいジャージの生徒が紛れるように移動している姿が見えた。


 時刻は、おおよそ六時半に差し掛かろうとしているのだろう。時計は持っていないから詳細についてはわからないけれど、きっとそれくらいだ。


 その少ない人波に紛れ込むように歩きながら、校門の傍まで。


 その頃合いで、伊万里が口を開いた。


「どっか行きますか?」


 俺は唐突な彼女の言葉に一瞬戸惑ったけれど、彼女の言葉を咀嚼してから改めて「いいですね」と返してみる。


 家には帰りたくない。常法寺にも用がある、と取り繕ったわけだし、ついた嘘を本当にするためにも、どこかに出かけるというのは悪くなかった。


「それじゃあ、適当にぶらついてみるのはいかがですかね」


 どっか、と聞かれている手前、何も場所を示さないのは悪いような気がして、そんな言葉を返してみた。結局は寄る場所を思いつかない故の言葉だったのだけれど、それに対して伊万里は満足そうな声音で「そうしましょうか」と返してくる。


 伊万里と一緒に帰るのは、いつぶりだろうか。


 俺はいつかの彼女との下校道を思い出しながら、そうして先導をするように前を歩いていく。


 とりあえず、遠回りから始めることにしよう。


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