0-4


 彼女との関係性が発展するのを想像することは難しかった。何より、自分が彼女に対して振る舞いを変える、ということを想像できないままでいる。


 こうして科学同好会として活動を共にしている関係ではあるものの、それは仲がいいからとか、そういった友情の側面が含まれることはない。俺と彼女はあくまで知人以上友人未満の関係性でしかなく、互いが互いに妥協として選んだ人間でしかなく、そこに友愛などが介在するわけもない。


 それでも、俺が彼女とともに科学同好会として活動を行っているのは、俺と伊万里の間には利害関係というものがあるから。その関係がある限り、俺は物理室にも通うし、彼女と言葉を交わし続けるのだろう。ただ、そこには関係性の発展を見出すことがないだけである。


 この科学同好会の設立にあたっても、そういった利害関係が絡んでいたりする。互いが互いのために用意をした環境であり、それ以外の意味も存在しない。


 例えば、俺については家に帰りたくない、というシンプルな理由。その事情を自分の頭の中で想像をすると吐き気を覚えるので、なるべく考えないことはするけれど、ともかくとしてそんな理由があるからこそ、学校に長く居つく環境が必要だった。


 伊万里にどんな事情があるのかは知らないが、きっと似たようなものなのだろう。現状、こうして科学同好会が設立しているのは、そういった事情が絡んでいるからであり、それ以上のものはない。


「……それじゃあ、そろそろ戻りますね」


 物理室の窓から外を眺めるのにも飽きてきたから、俺は彼女にそう声をかけた。息遣いしか残らない物理室に残っていても、互いに得などないのだから、各々で別のことをやっていたほうが有意義だろう。


 俺の言葉に、彼女は「了解です」と返す。事務的な返事に俺は安堵をしながら、伊万里に対して背を向ける。まあ、もともと彼女に対しては背を向けてしかいなかったけれど。


 俺はそうして物理室を後にした。生徒会室でやるべきことはまだ残っていたから。





「仕事熱心だよな」


 常法寺は、はあ、と疲労を息に含ませながら吐き出すと、呟くようにそう言った。


 生徒会室の中にいるのは俺と彼の二人だけ。それ以外にいるべきはずの面子というものは存在せず、生徒会室にはむさ苦しいと表現するべき環境が整っていた。


「……そうですね」


 俺は一瞬、どのように返事をすればいいのかわからなかったから、曖昧な答えを口に出した。


 仕事が好きなんです、と返せばいいのか、そんなことはない、と吐き出すべきなのか。そんなことで一瞬迷ってしまった。けれど、そんな返答をすれば、どうしてここまで仕事をしているのか、その事情を聞かれるような気がしたから躊躇ってしまった。


 人とは深くかかわらない。


 俺の中に根付いているその信条を固くするには、会話の節々にも気を付けなければいけない。


 


 会話のキャッチボールというものがある。


 人との会話をキャッチボールで例えられた話ではあるものの、いわばそれは仲を深めるための儀式めいた部分がある。


 きちんと投げられたボールに対して、同じような力で返す。そうすれば、間に挟んでいる距離にきちんと応えることができるし、そうして自分と他人の距離感を理解することができるのだ。


 けれど、俺はそれをしない。したくない。


 他人との距離感なんて、理解したところで意味もない。仲を深めることに意義なんてなく、人との関係とは事務的であれば事務的であるほど円滑に進む。


 だから、俺は会話というものに積極的な姿勢を見せることはない。


 すべてが事務的であれば、それほど救われる現実もないのだから。


 俺のそんな反応に、常法寺は期待通りというべきか、そうかい、とつまらなそうな返事をする。気持ちの中に少しだけ申し訳なさが募るような感覚はするけれど、俺はその感情を無視して、目の前にある書類を見出す。


 すべての振る舞いは徹底的に。


 そんな信条を思い出しながら、俺は手早くとは言い難い速度で書類を片付けることにした。





 もともと敬語を使うことは苦手だった。


 人に対して敬う気持ちがないわけじゃない。ただ、いつも相手との関係性を特に鑑みることなく、感覚として話すことが多かったから、俺は敬語を使うことは苦手だっただけだ。もしかしたら、敬語を誰かに使われることも苦手だったのかもしれない。


 だが、高校に入学した時から、……いや、それよりずっと前から、そんな生き方を選択することの愚かさを自分で悟った。


 人との関係の中で、感覚的に言葉を使うなんて愚かなことでしかない。


 感覚的に言葉を使うというのは、その人間を信じることができるという意味だ。感覚的でしかない自分のそれを、他人に委ねることができるというのは、そういうことなのだ。


 俺は、もうその感覚を信じない。


 人を信用する、そんなきれいごとを語っていいのは、小説や漫画などのフィクションだけでいい。


 現実とはそれよりも愚劣で汚くて、醜く気持ちの悪いものである。その中に含まれている自分も、人も、あらゆるものが同列に愚劣で汚く、醜くて気持ちが悪い。


 そんなものばかりがあふれている世界に、感覚だけで触れてはいけない。


 距離を取らなければいけない。


 どのような行動に、言葉に、振る舞いに、その演出に、自分の意思が介在しないように、せめて自分の意思が直接触れないように、考えてから行動をする。


 だから、俺は振る舞いを考える。


 だから、俺は距離を取る。


 だから、俺は敬語を使い続けるのだ。

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