間話 オフショット・楓子と戸貝の日常
朝……というか昼。破滅的に眩しい。今日も太陽は仕事をしているようだ。起きて顔を洗い、遅くまでネトゲをし、妊活に付き合って明け方まで行為をしていた楓子の顔を見る。可愛いは可愛いんだが、いくつなんだろうか。日本人は幼く見えると聞く。俺の遺伝子も日本人のものだが……うーむ。
観察していると、彼女が身じろぎした。寝巻のジャージがずれて、黒の下着が見えている。
「風邪ひくぞ……」
毛布を掛けてやろうとしたら、腕を掴まれたのでそのまま持ち上げてみた。
「おわー……力も凄いっすね。敏捷もアタシが負けてますし、単純な身体能力はやっぱスゲーっすね」
「ただ近接格闘のセンスはそっちのがあると思うぞ。不意打ちとはいえ、俺が防ぐしかない蹴りは久々だった」
「っすかねー。いや、未だにあんな善戦できたの奇跡レベルで敵う気がしないっす……」
「まぁそうでないと幹部なんてやらんさ。それと張り合えてたんだから風魔忍者のクオリティには驚かされる」
「いや、アタシが最強だっただけなんっすけどね。歴代でトップらしかったっすよ、身体能力は。それだけにアタシらの子どもがどう育つかもう楽しみで楽しみで!」
「さいで……」
性的に子供ができない、俗に不能なやつもいるが、俺は精子は死んでいない。実際、ミリオン中期型で、当たったやつもいるのだ。透明少女で育てられているが、今のところ七人中七人が女性だ。呪われでもしているような確率だ。
「ま、起きたんなら飯食おうぜ」
「今日は何味にするっすか?」
「昨日豚骨だったから醤油にでもしとくか……」
「ダ・メ・です」
部屋にいたのだろう。夜から拳骨を貰う。軽いので避ける気にもならん。楓子も大人しくそうされていた。
「お昼は生姜焼きにしますので、少々お待ちを」
「わーい! やったぜ生姜焼き! ごろ寝してて飯が出てくんのサイコー!」
「カップ麺がいい……」
「どちらも別のベクトルでイラっとしますね……」
夜は溜息を吐きながら、食材を冷凍庫から取り出し解凍していってる。俺の家の冷蔵庫だというのにほぼほぼ俺が買って来たわけではない食材で埋め尽くされているのが何か嫌だ。
「顔洗って来いよ、楓子」
「そーするっす……」
行っている間に、端末をチェック。連絡は特になし。戸貝雪は今日は習い事で家にいるそうだ。というわけで、緊急時以外は、俺はオフということになる。
「夜、なんか予定あるか?」
「ああ、まぁ。買い物に行くくらいですかね。春キャベツの期限が怪しいので餃子を作りたかったのですが、ミンチが無くて……。付き合ってくれますか?」
「いいぞ。楓子もいくかー?」
「行くっすー! 愛用のスポーツドリンクが切れちゃって……。また海外からゲタレ送ってもらわないと。その間の繋ぎにアクエリかイオウォを」
「ふーむ、リコッタに車出してもらうか」
リコッタは一般アリス。ミリオン前期型でありとあらゆる乗り物の免許を持っているのが特色。機械操作は上手いが、家事一般が最悪で、相棒の家事能力に特化した同じくミリオン前期型アリスのレラと仲良く別荘などのハウスキーパーや送迎の仕事に勤しんでいる。今回彼女達もバックアップということでいつでも動けるように命令され、任務に当たって相当な金も降りている。少しは呼んでやらないと仕事をした気にならんだろうし。
「車ですか」
夜は眉をひそめた。こいつは夜や夕方、朝方に乗る車が嫌いなのだそう。対向車のヘッドライトや斜陽が真っ向から差す中は眩しすぎるらしい。
「お前サングラス掛けててもダメなのか?」
「厳しいですね。移動の間はアイマスクをするとしておきます。リコッタにつないでください」
「ああ、リコッタは夜を尊敬してっからな」
端末でコールすると、ワンコールで出た。
『どうも、那由他様。ご命令でしょうか』
「車を頼みたい。同行者は三名。夜・ミリオンと客人……? 透明少女の事情を知る人間だ。四十分後に頼む。ほれ」
「リコッタ、できるだけ大きな車を頼みます」
『はい! 夜様! スモーク仕様の車をご準備いたします!』
「装甲車とか中が部屋になってるような奴は持ってくんなよ」
『分かってますよ、那由他様。さすがにワゴン車くらいでしょう』
「ならいい」
この間、下手をすると戦闘ヘリが来そうだったから念のためだ。
『夜様、所用の後、一緒にお食事でも……!』
「ふむ。行っていいですか、絢。夜勤を代わってもらうことになるのですが」
「いいぞ、俺が行く。羽を伸ばしてこい」
「夕飯は作っていきますので、ちゃんと食べるように」
「えええ……俺のカップ麺生活は?」
「そんなの許しませんよ、お姉ちゃんが」
『那由他様、あんまり夜様に手間をとらせてはいけません』
「いいのです、リコッタ。ワタシが好きでしているんですから」
『ああ、やはり夜様はこの世が遣わした最後の天使……!』
勝手に妄想をしているようだが、放っておこう。
「絢にいちゃーん! あーそーぼー!」
「一名追加で」
『聞こえております。砂羽もですね。相変わらずおモテになりますね』
「どうかね。ま、頼むよ、リコッタ」
『気は乗りませんが、了解しました』
「お願いします、リコッタ」
『お任せあれ!』
こんにゃろう素直で可愛いなぁぶん殴ってやりたい。
通話を切って、俺は一般的な装いをしていく。黒のジーパンに白いシャツ、その上から淡いピンク色のシャツを纏い、時計を身につける。洗面台で洗顔してた楓子の後ろから鏡台に手を伸ばし、扉になっているそこを開いてワックスを取り出した。髪を濡らし、適量を手に馴染ませてからパパっと身支度を整える。
「ほー、そういうのはやんなそうだったっすけど」
「あんまり好きじゃないけど、やらないと夜のやつがうるさいんだ。カッコいい俺でいてくれないと困るんだと」
「よく分からんっすね」
「お、どっか行くの!? あたしも行きたい!」
砂羽が顔を出してそう言い放つ。起き抜けにこいつのアッパーテンションは少々しんどかったが、溜息一つで済んだ。
「って言うからお前も行くっつっといたぞ。ていうかお前は俺ら以外の連中と遊べよ、現地でのコミュニケーション能力はお前の方が上だろうし」
「だって絢兄ちゃんは短期しかいないんだもん。絢兄ちゃんと遊びたい」
「はいはい、お前はしょーがないやつだな……。買い物に行くんだが」
「アイス奢って!」
「しゃーねーなー……」
「わーい! 絢兄ちゃん大好きー!」
首に腕をひっかけられる。そのままぷらぷらと彼女を持ち上げることになるが、椅子に座ることで砂羽も大人しく床に降りた。
「そうやって甘やかすから好かれるのですよ。はい、ご飯です」
目の前に食事が置かれる。日本人のDNAだからか、味噌汁の匂いを嗅ぐとなんだか腹が減ってくる気がする。湯気をあげる出来立ての生姜焼きが、香ばしい芳香を放っていた。つやつやの白飯もありがたい。キュウリの浅漬けなど、箸休めもちゃんとあるのが夜という人間を表していた。マメで、気遣いにあふれ、それが独善的ではない。
「おう、サンキュー」「どもでーす!」
俺と楓子はそれを食べていく。楓子は特に幸せそうだ。欠食児童のような豪快な食欲を見せている。が、所作が豪快なだけで、常識的な分しか食べないのが楓子だ。
「食べ終わるまで夜姉ちゃんゲームしよ! 鋼鉄製のゲーム機、メイリンがくれたんだぁ!」
「あの人は砂羽を甘やかしすぎですが……まぁいいでしょう。ワチャモンは持ってますね? 勝負です」
「よっし、負けないぞー!」
ワチャモンねえ。
大人気コマンドバトル、ワチャッとモンスターの略称だが、さて。搦め手が得意な夜が一見有利な気がするが、読みの鋭い砂羽も中々強い。俺は半ばでめんどくなって一撃必殺型になってしまい、楓子もゲームをするようで、見たところ臨機応変だ。初期厳選を欠かさず相手によって手持ちと戦術を変えるガチゲーマー。
こちらから見える夜の画面をチラ見しながら飯を食べ進む。三度の勝負の結果、今回は砂羽が勝ち越したようで、夜は微妙に悔しがっていたのだった。
買い物は手近なショッピングモールで行うことになった。
ヘヴンズモール。略称、ヘズモ。この世の天国、という御大層な目標を掲げたショッピングモール。遊具の広場もあったり、夏場にはプールもあったり、近辺にグランピングの施設があったりと、複合的なレジャーも備える。二十四時間やってる温泉が目玉。
地域住民は行き先に迷ったらここにくるらしい。実際、雪や砂羽、夜が牛丼を食べに行くとなった際、人目のある場所として選んだのもここだったそうな。いやそれでも牛丼に行った経緯が理解できないが。あの戸貝が牛丼を喰ってる姿が想像つかん。
スーパーに寄ったのだが、案の定、チラチラ見られていた。夜のサングラス、容貌の整った楓子と砂羽、挙句にスーツ姿の麗人っぽい雰囲気のリコッタが三歩離れてついてきてる。中でも、唯一の男であると認識されているだろう俺に衆目が集中している。
その視線に耐えるには、厳しいものがある。キネモの時の俺ならまだしも、平時だと辛さしかなかった。
「やっぱ俺一人で買い物してくるわ……。お前らと一緒だと目立つ」
「えー! やーだー! 絢兄ちゃんにポテチとアイスとコーラとお菓子買ってもらうんだい!」
「アイスだけじゃなかったのかテメェ! やけにカゴが重いと思ったらホイホイ入れやがって! フリースポットWi-Fiみたいにご機嫌な感じじゃねえんだよ!」
気づかない俺も俺だが、そこそこの数のお菓子やドリンクが入っている。夜はカートを押してるし……。楓子はドリンクの箱を夜のカートの下の方に積んでいた。
「あそこはデータ抜かれ放題で危ないですよ?」
「モノの例えだ。学生時代世話になったやつは腐るほどいるだろ、日本だと」
「まぁそれもそうですね」
「はぁ……。非常食もかっとこ」
「チョコですよね? 一応通りかかった時に入れておきました。どうぞ」
「サンキュ」
袋に入った包み紙にくるまれたチョコの袋を渡され、カゴに入れる。
「さすが夜ねーちゃん、夫婦みたいだね」
「ダメ亭主を支えるのも大変です」
「呼吸するように俺をディスるじゃねえか」
「あたし妾がいい!」
「何その宣言!? 何で俺の評価を間接的に貶めようとする!?」
「アタシはセフレでいいっすよー」
「いやいやいや! 周囲の男連中の目が殺し屋の目をしてるって! なんだこのとばっちり!? なんでだ!?」
「美少女に好かれまくったイケメンの末路……ご愁傷様です」「諦めなよ兄ちゃん」「多少のことがあっても大丈夫っすよー、アタシらがいるっすからー」
「もうヤダこいつら……」
一人の方が気軽な買い物だった気がする……どうしてこうなった。どうして……。
悔やんでいても腹も膨れなければ未来への貯蓄も増えない。寿命は普通なら減っていくのみであるため、行動あるのみ。
さっさと買い物を済ませるに限る。
「俺は先にレジに行くぞ」
「はい、砂羽とアイスでも食べながら待っててください」
「そこのベンチで待ってるぞ」
レジで会計をして、買っていたちょっとお高いアイスをご機嫌で受け取る砂羽と一緒に、ベンチで俺は吸うタイプのアイスを握った。冷たい。まだ少し硬いため、あまりでてこない。
「えへへ、絢兄ちゃんとこうして過ごせるなんて、久々だよね」
「だな。最後は……いつだったか。潜入任務で日本支部に来て、休暇貰った一ヶ月くらいだったか? 十五歳くらいの」
「だねー。あたしのアイス一口食べる?」
「貰う。ほれ」
カップのアイスを手渡されたので、自分のアイスを砂羽に差し出す。
「やった! むむむ、出てこない……」
「お前握りしめるなよ。お前の握力で握ったら潰れるぞ」
「分かってるって!」
ホントかよ。小さい頃に何度かやらかしてるからな、こいつは。
こいつの握力は林檎なんて話にならんくらいだからな。俺も可能ではあるが、こいつは学校でも鋼鉄の箸を自前で持ってきてるからな。並の箸だと折れてしまう。学校の机なども握力で抉れるのではなかろうか。力が大きい分、振り回されっぱなしだった。いつか透明少女の教育機関で兎を飼う実習があったが、砂羽はこわごわとそこで自分の力の制御を学んでいった。こいつも努力家なのだ。
その過程を見てきたから、半ば不安で半ば微笑ましい。平和だ。視線を下げると、彼女の白のチョーカーが目に入る。個性なし。能無しの白。砂羽が無能扱いされて、実は俺がホッとしていた。こんなやつを薄汚い殺しに巻き込まないでくれて本当に嬉しく思う。
とはいえ、本人的には屈辱だったようで、俺を打倒すると宣言して、実際に殴り掛かってくるのでめんどくさいが。
「んー、おいしい。チョコもいいなあ!」
こうして能天気に笑ってくれてるなら、俺が全ての闇を引き受けようという気分になる。
まさか、俺のこの気持ちすらもアリス・メイソンの手中なのだろうかと思わなくもないが、別にそれならそれで構わない。愛しい人の手の中なら、どう踊ったって恥ずかしくはない。最高の演者になってやろうというものだ。
「絢兄ちゃん、どうしたの?」
「ん? いや、何でも。アイス美味いな」
「美味しいよね! 最近温かくなってきたしさー」
「おりゃこの間まで寒いとこにいたからな……。一週間の休暇も時差ぼけで寝て起きて歯磨いて飯食って寝てたら終わっちまった。だから、まぁ、感謝してるよ。一緒に過ごしてくれて、俺も嬉しい」
そんなことを言って自分のアイスを奪い、食べていたアイスを砂羽に返した。丁度いい具合になっている。吸っていると、砂羽が頭を俺の胸辺りにすりつけてくる。
「何だよこれ。お前は人間に懐いてる草食動物か」
「愛情表現とマーキングかなー。好きだよ、絢兄ちゃん! あたしが一番じゃなくていいけど、たまーに思い出してもらえると、その、嬉しいから」
「……ミリオンナンバー中期の連中は、みんな好きだ。あいつらに地獄は見せたくない。だから、俺は強くなった。……お前も安心して暮らせ。妙な場所に生まれちまったけど、俺たちゃ、兄妹で、家族で、他人で、恋人のつもりだ。アリスが一番好きなことは揺らがないけど……お前らも、守りたいって思う」
んー、と少し微妙な様子の砂羽。
「嬉しいけど、ちょっと違うなー。あたしは、絢兄ちゃんと一緒に戦って、絢兄ちゃんを守りたいんだ! だって、透明少女の一員だから! 夜姉ちゃんだってそう。……みんな、絢兄ちゃんのことが好きなんだ。だから、お世話したり、一緒に遊びたかったり、一緒に仕事したりしたいの。覚えといてね!」
アイスのスプーンをつきつけ、彼女はウインクして、溶けかかってるアイスを掘りにかかった。
……相変わらず、気概だけはいっちょ前だな、砂羽のやつ。
そう思いながら、近づいてくる夜達に片手を挙げて応えるのだった。
深夜。
眠れない時というものは、確かに存在する。
交感神経が高ぶっているとか、自律神経の乱れとかで、俺達は簡単に不安になってしまう。健康体であろうとも、そういう鬱々とした悩みはどこにでもついて回る。
まして、思春期真っ只中という俺達ミリオン中期型、後期型、更には護衛対象の戸貝雪もその対象だろう。別になってても不思議ではない。俺は仕事の邪魔なので大体強引に落ち着かせているが、それができないやつらの方が大多数。そのため、透明少女はなるたけ替えを用意している。
それはともかく。
「戸貝、ほぼほぼ毎日男を呼びつけるのは感心しない」
俺は窓枠に腰掛け、室内で嬉しそうにしている少女――戸貝雪に咎める視線を向けた。怖いと連絡してきたので、俺は見張りの構成員に連絡を付けて、戸貝雪の部屋まで飛び上がってやってきたのだが、待っていたのはお茶まで用意してもてなす準備万端だった戸貝の姿。不安そうな姿もないので帰ろうとしたのだが、お茶を一緒にということだった。それでも帰ろうとしたら「怖いなー! 寂しいなー!」とか言い出して泣き真似なんかするので尻でも引っ叩いてやりたい気分になったが、仕方なく付き合うことにした。
そんな経緯なのに、何故か彼女はより一層にんまりしていた。張り倒してやろうかこいつ。
「お友達ですし、不安があったら毎日連絡して呼んでいいと仰ってくれたじゃないですか!」
「まぁそうかもしれんが……。こうも頻度が多いとな。それも、理由が、寂しいからとか、心細くなったとか。知らんわ、護衛がわんさかいるだろうが」
「でも、あの時戦ってくれたのは……那由多くんだけでしたよ?」
「……そうかもだが」
あー、もう。賢いやつってのはどうしてこう会話を煙に巻くのが上手いんだ。
やりにくさに後頭部を掻きながら、俺は溜息を吐いた。旗色が悪い時は、さっさと撤退するに限る。
「んで? 今晩は何をする? ゲームか? カードか? 麻雀でもいいぞ、最近覚えた」
「では、これを!」
戸貝が取り出したのは、チョコ菓子だった。チョコレートコーティングがほどこされた細長い棒菓子。
「これをお互いが先端を咥えて食べ進め、先に離した方が罰ゲームで何でも言うことを聞くんです!」
「それ、俺に色んな意味で逃げ場なくね……?」
「ダメですか?」
「そんな無垢っぽい瞳には騙されんぞ、耳年増が。どう足掻いても俺が不利なゲームはやめろ。他のにしろ、他のに」
「むう、意外と女性慣れしていますね。これで落ちるとばあやが言っていたのですが」
誰だよこんな思春期暴走天然女にそんなややこしいこと吹き込んだやつ――とはいえ、ばあやと言われる人物には心当たりがある。透明少女、オールド初期……七十歳を迎える構成員が確か侍従の長として配属されていたはずだ。旭・オールドだったか。いや、現地での名前は羽川旭だったか。今度無駄口叩くなと言っておかねば。
「では、眠くなるまで一緒に本を読みましょう」
「分かった、それでいいならそうしようか」
「言いましたね!」
グルン、と棚が回転して、小難しそうな本とは真逆の、少女漫画コミックスがずらりと並んだやつが出てきた。うわぁ、すげえ数だ。どれから手を付けていいか分からないくらい膨大だ。
「さあ、読みましょう!」
「……ふむ」
俺は一冊を手に取る。少女漫画と言う類は久々に見る。脳内花畑こと特効女神が好きで、思春期の彼女に押されるがまま俺も読んだ記憶がある。その時の続巻が見えたので手に取ったが、なるほど……ヒーローと別れてしまったか。でもどうせ別の誰かかよりを戻して付き合うかのどっちかなんだよな。孤独に生きていく的なエンディングはあんまり見たことがない。
特効女神はその特性上、ドロドロの殺し合いには参加せず、致命傷を負った構成員の完全治癒を目的に配属される。昔、大きな傷を負った俺へ治癒を施してくれて、彼女も未知なる男性という生き物に興味津々で、まぁ、色々なことをした。お互いに首輪がないので、こっそり脱走してみたり。若かったな、あの頃は。とはいえ、全てアリス・メイソンの監視下で行われていたことで、大冒険だった一ヶ月の脱走も特に逃亡とは捉えられず、のこのこと戻った俺達はお咎めなしという、逆に自責の念が湧く処分をされたのだ。
元気にしてっかな、ジェラルディンのやつ。
「面白いですか?」
「ん、まぁ、それなりだな。どうしてこう、恋愛話ばっかに持っていくのかね」
「全てとは言いませんが、少女漫画を構成するにあたって大事なのはときめくロマンスなのです!」
なるほど、この数だ。少女漫画に一家言あってもおかしくない。ほどほどに少女漫画というものをようやく理解しながら、俺は巻数こそ少ないが好きだった話の本を手に取る。
「俺はこの漫画好きだな。古いけど、主人公とヒロインが寂しい形で終わるやつ。感動の再会から一緒に暮らすかと思ったらあのラストだ。いいねえ」
「悲劇がお好きですか?」
「いや、漫画の構成として好きという話だ。俺はハッピーエンドが好きだぞ。ビターテイストはあまりな。現実が苦いのに、それ以上をフィクションを経てまで望むのは理解に苦しむ」
「同感です。やっぱり、恋愛は甘酸っぱくて素敵なものでなければ!」
恋愛にプラスの憧れ。日本の少女にはよく見られる光景だった。それも家が厳しい金持ちの家では。潜入で何度かそういう連中と知り合いになったが、何故かどいつもこいつもいつか王子様が現れるのだと信じて疑わない。賢いと思っていた戸貝だったが、意外とそこらへんは年相応だ。
「戸貝もそういう相手ができるといいな」
「今のはときめきポイントマイナス七億です」
「急に大暴落するじゃねえか謎のポイント」
「うん、やっぱりわたしは救世主よりも……こうやって等身大で話してくれる那由多くんが好きです。す、好きとは言っても、やっぱりそういう意味ではまだ早いというか!」
「分かってる。お前は身近になった異性に浮かれているだけだ」
「今のもときめきポイント大マイナスです!」
「えー、めんどくせえよ……。そのポイント廃止しよう、聞いてるだけでだるい」
「ではときめきキラメキポイントを導入しましょう」
「進化しやがった!? なんで!?」
「ふふっ、驚いたのでわたしの勝ちです!」
「何でもいいよ、お前が笑ってくれてるなら」
「……ときめきキラメキポイント、八億差し上げます。差し引きゼロです」
「そーか、ありがとよ」
随分と気軽なポイント付与に驚く。些細なことで、怒ったり、喜んだり、悲しんだり。日本の普通の高校生って、こういう感じなんだな。
透明少女という閉じたコミュニティにどっぷりと属していた俺には真新しい視点だ。何が琴線に触れるのかはよく分からないが、今のところ、話していて飽きが来ない。クソみたいな女性も数多くいるが、透明少女でそんな真似したら即アリスが処断している。こうしている感想は、非常に戸貝雪は素直で、良い子で、茶目っ気があって、魅力的な女性だということだ。平和な世界だからこそ生まれたその優しい性根は、どうも特効女神を思い出させる。
だからこそ――守ってやりたい。金にくらんでこんな奴に刃を向ける連中は、唾棄すべきゴミだ。今も俺の幹部の私室では掃除が行われているだろう。ゴミは然るべき処分を受けるべき。
地獄というゴミ箱に、葬列を作ってやらねば。
「戸貝、おすすめの本はないか?」
「あ、でしたらこれとか! 好きなんですよ、十二支を据えた話!」
こちらの思惑など知る由もない戸貝は、まっすぐな好意を俺にぶつけてくる。応えるわけにはいかない。護衛対象に手を出すようになったらいよいよ終わりだ。そういう性のコミュニケーションが必要であればそうするのだが、彼女はそれを望んでいないだろう。
そう、彼女で言うところのときめきやキラメキやらが、まだ足りていない。
彼女から渡された本を読む。創作の世界で奮闘する主人公やヒロインを眺めつつ、彼女を盗み見る。
楽しそうに俺の隣で本を読む彼女は、物語にのめり込んでいっている。それでいい。こっちを見なくていい。汚い裏側なぞ、知る必要はないのだから。
奇しくも、渡された漫画のヒロインも言っていた。謎は、謎のままだからこそ、美しいのだと。内心で同意しつつ、俺は紙面に視線を落とした。
そうやって、俺達は眠くなるまで本を読み散らかしたのだった。
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