二話 透明少女 1

 後日。日本支部に招集された俺は、廊下を歩いていた。機械的な室内にそぐわない深紅の絨毯がブーツの底から押し上げるような心地を感じさせる。


 壁に寄りかかっていた、銀髪の成人女性がこちらを見て、微笑みを浮かべた。成人女性とは言ったが、身長は百四十ギリギリだ。透明少女の構成員で低めか普通くらいの背丈である。組織員の顔も童顔気味で、普通に十代前半で通じる容姿だ。その割に化粧に熱心で、真っ赤なリップが印象的。


「ハーイ、救世主様」

「……婉曲湾曲(ラウンドアバウトカーブ)か。どうして日本支部に? 護衛はいいのか?」

「あんたの予備役よ、救世主。アリス・メイソン様は保険を忘れない。那由他が一、しくじった時の保証ってわけ。どんな相手が来ようと、あたしがいれば殺されはしないしね」

「持続時間を伸ばす訓練をした方がいいぜ、湾曲婉曲。そんなだから六位から変動なしなんだ」

「七位に言われてもね」

「そりゃそーだ」


 お互いに笑いあう。


 彼女は婉曲湾曲。個体名、ヨーシャ・ミリオン。強力な念動力を持つ、ミリオン前期型の構成員だ。俺とは製造型も年も近く、気軽に接することができる幹部だ。彼女以外には過去に物や人を送れる、時空干渉(タイムインターベンション)という能力者が俺と同じくミリオン中期型の二位。触れたものを一瞬で治癒できる一位の特効女神(ゴッドメディスン)という能力者がミリオン前期型にいる。他はサウザウンド。ちょっと気軽にはいかない。


 ヨーシャの念動力は凄まじい威力を誇るのだが、使い過ぎると俺と同じく頭痛を伴って脱力感という名のノックバックが来るらしい。使いどころが難しいが、炭素からダイヤモンドを生成できるほどの強力な圧力を掛けることができる。それを利用した障壁は、弾丸など意味をなさない。一瞬であればナパーム弾であれ無力化できる。


 こういう派手な能力こそ幹部に相応しい。俺のようなのは異端だ。完全に戦闘特化で、ただ強い兵でしかない。しかし、俺は選ばれてしまった。結果で応えるしかない。


「幸運を祈ってるわ、可愛い男の子の後輩だもの。ま、あんたが死ぬわけないけど」

「俺は死なん。アリスが悲しむからな」

「そ。それでいいのよ、あんたは。ちゃんとアリス様を支えなさい。いや、一緒に支えていくのよ。いいわね?」

「勿論」


 お互いに軽くキスを交わし、俺は指令室へと赴いた。

室内にはアリス・メイソンその人の姿を確認できた。彼女の言葉を待つ。


 豪奢な椅子にちょこんと座る彼女は、俺に書類を投げて寄越した。電子は痕跡が残る。物理的に焼却できるアナログな手法を、アリス・メイソンは好む。


 紅茶の入ったカップに口を付けて、それを傾ける彼女を視界に収めつつ、同時に書類に目を走らせた。豪奢な皿に華奢なカップを置いた彼女は、俺が一瞥したタイミングと同時に喋り出した。


「相手の組織が判明しました。相手は、武装集団『鋼の剣』。新興組織ですね。とはいえ、実情は違うのですけどね。透明少女のように自身で武力を持たず、風魔忍者を雇って使役しているようです」

「やっぱ忍者だったか……。風魔、って言えばジャパンアサシンでもかなりの能力だよな、確か。伊賀とか色々あるが」

「ですね。油断なきよう」

「ちなみに、どうやって吐かせたんだ?」

「透明少女の自白剤は強力なのは、知ってるでしょう?」

「ああ、強烈だよ。初っ端はきつかったからなあ……」


 慣らされたが、あれで意識不明のままのやつも出ている。非人道的な行いだが、その程度こなせないでエリート、ましてや幹部の構成員に選ばれるはずもない。二回目からは制御できたが、俺も一回目は心底しんどかった記憶がある。意識を保とうとしなければ朦朧として、まともに思考が行えなくなる。砂羽はダメで、夜も一度目は吐いていたからな。


「まぁ、組織の頭なら耐えるかもだったが一般構成員は無理だよな」

「そういうわけですね。戸貝雪には懸賞金が掛けられているそうで……追手が来るでしょう。それと、妙なことを言ってましたよ。最高の種のためと。まぁ、全員今は気絶しているのでこれ以上は難しいでしょう。敵も構成員が帰ってこないのを知って、過激になることでしょうし。再三の警告ですが、気を付けなさい、絢」

「ああ。でも戦闘で心配にはさせない」

「そこは私も信じています。貴方が一対一で後れを取るなど信じられませんので。幹部の末席ですが、救世主と呼ばれる貴方が。イレギュラーでもない限りは……」

「不吉なことを言うなよ……」


 お手上げのポーズを取りつつ、俺はその部屋を出ようとする。


「絢。今回呼び出した理由です」


 投げられたそれを背面キャッチする。袋だ。中身を見ると、青い丸薬が入っていた。


「予備の特効薬です。渡しておきます」

「そんなにヤベーのか?」

「過ぎたるは猶及ばざるが如し、ですが。今回は持っておいて損はないでしょう。その薬を使わないことを祈っております」

「ああ、なら俺は今日も無敵だ。愛しい人の祈りより効力のあるまじないなんてない」

「出かかってますよ、キネティックが」

「おっと。完全に同調させるとマズいからな。……ほどほどに気を付けるさ」

「結構」


 振り向いて微笑み返してから、俺は気を引き締めつつ室内から出る。


「それと、挨拶のキスで唇が赤いですよ。婉曲湾曲ですね。するのは構いませんが、私の前では極力見せないでください。嫉妬しますので」

「それは悪かった」


 しかし彼女の目の前で口を拭うわけにもいかなかった……というのはいいわけか。唇を今度こそ拭いながら、俺は改めて意識する。


 風魔忍者か……。用心しておかなければ。





 学校に通っていて、昼休みになった。夜に任せているので、この時間は俺はフリーだった。――はずだったのだが。


「ねーねー、雪ちゃんのご飯なーに?」

「今日はなんか幕の内弁当を意識したらしいけど……」

「今日はワタシも自作してきました。そちらの玉子焼き、形がきれいで美味しそうですね、雪様。ください」

「いいよ! 夜さんのハンバーグくれたら!」

「構いません。庶民的なものなので、お口に合うか……先日の牛丼のように、あまり好きではないものを食べさせるわけには……」

「あ、あはは。あんなことがあったら食は進まないよ……。まぁ、狙われてることは分かったから、わたしは元気でいることが大事だと思います! なので、食べます!」

「いい心がけです、雪様」「うんうん、雪ちゃんもっと食べて一緒におっきくなろうね!」

「うるせェェェェ!」


 身を起こして叫ぶ。もう何日も連続して俺の机と周囲の机連結させてそこで飯を食いやがる。こいつらキョトンとしてやがるのがムカつく。マジでムカつく。


「暁、砂羽、戸貝! お前らなぁ! 静けさと平穏を愛する俺の前で日々昼休みも朝の時間もワイワイやりやがって! うるさいんだよ! テメェらの席でやれ! 食事なんざ必要なエネルギー摂取してから歯ぁ磨いて終わりだろうが! 何故に賑々しくする! 嫌がらせかテメェ!」

「あー、とうとう兄ちゃんキレちゃったか……」

「砂羽、よくあるの? 那由多くんがこう怒っちゃうこと」

「珍しいけどたまに。基本的にどうでもいい星人だけど騒がしいのと理不尽なのが嫌いみたいでさー」

「その二つ好きなやついると思ってんのかクソボケェ!」

「夜姉ちゃん!」

「なるほど」


 砂羽が上半身に拳を、夜が足を蹴りで狙う一瞬。刹那に、俺は伸ばされた腕と足を引っ張って二人を机の上に叩きつけてその上に座り込んだ。驚く砂羽と、今更驚く必要もないと言わんばかりに溜息をつく夜を睨みつける。効果はないだろうけど。


 クラスメイト達の、おおお、というざわめきが聞こえる。戸貝雪も驚いているようだ。


「テメェら公衆の面前でなら俺が反撃しないとでも思ったのか。判断が甘いぞ」

「キャラが違いますよ、那由多君。君は女の人の尻に敷かれるタイプでしょうに」

「やかましいわ! 砂羽、テメェも教室では仕掛けてくんなっつったろーが!」

「あ、あれー? そうだっけー……いだだだだっ、ごめん絢兄ちゃん!」

「はぁ……無駄に労力使わせるな」


 俺は机の上から降りて、教室を出る。


「あ、あの、どちらへ?」

「お前らのいない所だ」


 こんなんじゃおちおち寝れもしない。


 昼休み終了まで、俺は屋上の日陰で寝ることにした。


 ……目立ち過ぎたか。しかしいざという時、ここまで動ける奴だと認識されていないと不都合が生じるかもしれないし、まぁいいだろう。


「あー……」


 自分自身でやっといてなんだが、女子二人に対して殴った挙句上に座るとか。どんなやつなんだよ。そんな学生いねーわ。


 俺は正直言って、最低だ。自覚はある。身勝手で、コミュニケーションもロクにとれない。戦闘に関してもそうだ。女性相手の暴力に抵抗感はないし、命令されれば老若男女問わず始末するだろう。殴り合いや切り合い、撃ち合いは強いかもしれないが、それだけだ。


 でも、そんな最低な俺だからこそ、変身ができる。最強無敵、完全無欠のヒーローに。


 キネティックモード。風魔忍者に、この武器がどれだけ通用する……?


 俺は最強だという自覚がある。透明少女の中で、単純な戦闘能力についてなら、だが。


 俺の武器とするキネティックモードは、理想の自分になり切ること。厳密には変身ではなく、単なるなりきりなのだが、別人の思考にまで常識が覆るので、変身と同義だと俺はそう思う。現実と理想を認識できて、それの乖離した差だけ、俺は強くなれる。それがキネティックモードのからくりだ。


 これ抜きでも、多分俺はエリートの少女程度の実力は出せるだろうけども。これが無ければ幹部ではなかったと思うが、ホント、多用したくない。後で自分の姿を思い返して煩悶するのが常だからだ。


「……」


 屋上のドアを開ける。五月を告げる爽やかな風が吹き抜けていくのを感じて、俺は日陰のところで座り込む。


 ……授業はサボろうか。それがいいだろう。


「あー、くそ。学生ってめんどくせえんだなあ……」


 目立たない学生を演じるつもりが、夜や砂羽のせいで台無しだ。


 目を閉じる。眠りが訪れるのは、そう遅くもない。いつでも、どんな体勢でも睡眠がとれるように訓練されてある。逆に、休憩なしの継続戦闘は五日程度。透明少女幹部の中でも最長の継続戦闘能力も誇るのだが……俺は戦闘能力以外ほぼ特徴がない。


 他の幹部は、念動力が使えたり、発火能力者だったり、頭痛で死にそうになるという俺と同じデメリットを持つ少女なのだが時間逆行能力を使えたり――色々派手だ。ただ、時間逆行という反則過ぎる能力を持つその幹部は自分自身が時間軸に干渉できずに、他人やものを逆行させて送り込むほかないのだ。時間移動に耐性が付いていないと無理らしい。一度、試しに人間を過去に送り込んだことがあるらしいが、記憶障害で自我が崩壊したそうだ。実質、あまり使用されない能力ではある。


 あまりにも致命的な失敗でなければ使用されないのだ。


 それはいいか。今回の任務には関わってこないだろうし。


 すっと、俺は睡眠へと落ちていった。

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