間話 オフショット・アイス争奪戦争

「あー、やっぱ日本に来たらこれだろ!」


 カップラーメンを啜りながら、空調の効いた室内でゴロゴロしつつスマートフォンでゲームに興じる。まぁ、透明少女の私室でも似たようなことをやっているのだが、日本はとりわけ平和だ。操る言語が複雑なのが若干面倒だが、それは的確な言葉が見つかりやすい利点がある。ただ、数の数え方は未だに慣れないが。例えば、五という数字。いつつ、とか、ご、とか。二つになったら五五でいつついつつとなり、対等という意味になるとか。面白い部分でもあるし、面倒な部分でもあった。そこらへんの言語教育は幼少の頃に全て叩き込まれる。


 だから、日本語で繰り出されるゲームにも違和感なくのめりこめる。


 今日は戸貝雪は家から出ない日程。習い事とか色々あるのだそうだ。エリートアリスも何名か表向きに屋敷に配属されているので、安心安全。アリス・メイソンに許可も貰い、俺はゴロゴロとしたオフを堪能していた。


 ふと、扉が開く。


「絢、洗濯に……あーもう、またカップラーメンばかり……。太りますよ」


 夜が洗濯用のかごを持ってやってきていた。少し所用で一日留守にしていただけなのだが、俺の部屋を見て溜息を吐いていた。いや、食器洗うのめんどくせーし、カップ麺は容器捨てるだけじゃん? ごみを放置してないだけほめてほしい。


 部屋を片付け始める彼女に、俺は声を返す。


「その分トレーニングしてるだろうが、夜。ってどうやって入った」

「合鍵作りましたので」

「しれっと何してくれちゃってんのお前」

「はい、ワタシの部屋の鍵です。いつでもどうぞ」

「お前なぁ……」


 お返しに、と言わんばかりに投げ渡されたそのカギをとりあえすキーチェーンに掛けて、溜息を吐いた。


「砂羽にも渡しておきましたので」

「ホント何してくれてんだよ!」

「絢にいちゃーん、あーそーぼー!」


 きちゃったよ。


「ああ、もう。俺のゲームしてごろ寝してカップ麺食う休日がおじゃんの巻……」


 ていうかなんで俺の家に集まってくるんだよ……。


「お前らも思い思いの休日過ごせや」

「絢兄ちゃんと過ごしたいし」

「ワタシは絢をお世話したいので」

「ああ、そう……」

「うわー、嬉しくなさそー。なんなのさー、二人の美少女だよ!? 健全な男子ならもう酒池肉林だよ!」

「俺は董卓かなにかか……。なら久々にするか?」

「うん!」

「冗談だから脱ぎ始めるな! お前どうせ一発で精魂尽き果てるだろうが、スタミナなし! 俺が物足りんわ!」

「ではワタシと?」

「お前はいじめて欲求がエスカレートし過ぎて乱暴にさせるだろ。ああいうの苦手なんだよ……」

「とか言って始まったらアナタもノリノリじゃないですか」

「するテンションじゃねえの。俺はもうこの部屋に一生引きこもってたい。砂羽もゲームなら付き合ってやる……いや、やっぱなし。お前は俺の電子機器にさわるな、破壊魔め。お前ガキの頃から熱くなったら握りしめるだろ、何度コントローラー壊れたことか……」

「えー、つーまーんーなーいー! じゃあ組み手しようよー!」

「もうめんどくせえな、帰れっつの。それか静かにしてろ!」

「はーい。アイスでも食べよ、夜姉ちゃん」

「そうですね、砂羽」

「相変わらず無遠慮だな……」


 俺が買って来たものだというのに。何でこいつらが勝手に食べてるんだろうか。謎だ。


「あ、これフランジェの高級アイスだ!」


 フランジェとは、高級アイスクリームを製造するメーカーだ。カップ一個が千円以上する超贅沢品。俺は頑張ったご褒美にと買ってあるのだが、隠してたんだぞ。こいつら俺の冷凍庫ひっくり返して探してたのか。


「砂羽、それはワタシのです。渡しなさい」

「ヤだもんねー! 夜姉ちゃんもうおっぱいも大きいんだし成長しなくていいでしょ、ここは発育がちょっと足りない妹にこのミルク味のアイスを譲るべきだと思う!」

「ならば、いざ尋常に!」

「勝負!」

「てめえら部屋で暴れたらキネティックモード使ってでも叩きだすぞ」

「……そこのトランプで勝負しましょう」

「だね。負けないんだから!」

「いや、そもそもそれ俺のアイスだろうがふざけんな」

「もうあたし達のものだし!」「ですね」

「いよいよもってふざけんなよコラ」


 何かカードで対戦しているアホ。乱雑に突っ込まれているアイスを見て少し憐憫の情が湧いてしまった。強く生きろ。


「ポーカーで勝負しようよ!」

「いい度胸です。さあ、行きますよ」

「よしこーい!」


 …………。


 馬鹿はほっといて、どうせ食べられる運命ならば、俺が食っても問題あるまい。


 そもそも原因はこれなのだから、これさえなくなれば、俺は静かに過ごすことができるし、丁度口の中がカップ麺の残滓で塩辛かったんだ。ここに冷たく甘いミルクアイスを入れたらもう。


 俺はもそもそとアイスを食べだした。勝負は、と見れば、意外にいい勝負が繰り広げられている。


「ツーペア!」

「ツーペア。くっ、やりますね……。よし、フォーカード!」

「フォーカード! うわ、わたし達意外と仲良しだね! でも次は負けないよ!」


 フォーカードなんて滅多に引けないのだが、透明少女に属し活躍するのであれば、そういう要素も必要になってくる。夜も砂羽も、そういう偶発的な運はあるようだった。


「いい度胸です。フラッシュ」

「フラッシュ! 次!」

「キタ、ファイブカード!」

「くーっ!? あ、でもこっちも来ちゃったもんねー! ロイヤルストレートフラッシュ!」

「いかさましたでしょう、ロイヤルストレートフラッシュなんて」

「そっちこそ! ファイブカードなんておかし……ああああっ!?」


 砂羽が俺のほうを見て叫びをあげる。夜も愕然としていた。


「な、な、何食べてるんだよぅ、絢兄ちゃん!」

「いや、これ俺のだしな。お前らに盗られるくらいなら俺が食うわ」

「絢、こんな狡い手を使うなんて。お姉ちゃんは落涙を禁じ得ません」

「だから俺のものをいつ俺が食おうが関係ないだろ」

「絢兄ちゃん高給取りなんだからもうちょっと妹に優しくしてよ!」

「そうです、姉を敬うべきです!」

「ああ、もう。うるせえなあ……」


 お前らも買えない給料じゃないだろう。


 一般アリスも、普通にしてたら困らない額は振り込まれているはずだ。エリートの夜なんか、それこそ贅沢ができるほどに。


 まぁ、確かに。幹部の俺はその桁を遥かに超えるんだけども。


 毒薬入りの首輪が、全透明少女構成員に付けられている。それは、三千億払うことで取り払うことができる。エリートが三十年かけてようやく達成できるか、という金額だ。俺のような幹部でもない限りは、望み薄だろう。


 けれども、三十年もかけて透明少女で死なずに活躍し続けていれば、もうそこから抜け出すことは能わない。透明少女の庇護下の生活に慣れ切ってしまい、せっかく引退したエリートが自ら首輪を付けに来る例もある。


 今まで自由になってそのままどこかに行った構成員は、片手で数えるほどしかいないそうだ。


 いつアリス・メイソンの不興を買って殺されてもおかしくないが、一般アリスですら生活に不自由しないお金を享受できる。不幸だとは、思わなくなっていくのだ。


 気づけば、少女たちは透明な檻の中にいる。


 ちなみに、俺には首輪はない。アリス・メイソンの遺伝子によって反応する注射が、意味をなさないからだ。俺はアリス・メイソンの遺伝子から作られていない。よって、活殺自在の首輪は俺には効かない。


 別の方法で俺に首輪を付けようと進言した構成員がいたが、アリス・メイソンの強い拒否によって、俺は最初から自由が与えられている。


 これを俺は恵まれてると思っているし、少し寂しくはあった。俺とアリスを繋ぐものが、本当に希薄な気がして。


 色んな意味で、俺はアリス・メイソンに贔屓されている。それは間違いない。が、その外野を黙らせるには、俺は強くなるしかなかった。


 彼女のお気に入りになるべく、そして時折憂うかのような表情を見せる彼女の剣になるべく、トレーニングと研鑽は欠かさない。いかなる刃も、彼女には届かせない。


 それが、那由多絢である俺の全てだ。


 まぁそれは、今はどうでもいい。


 そう、こいつらは常識的な年齢の日本人学生よりはかなり金を持っているだろうに。なぜ俺からむしり取ろうとするのだろうか。


「嫌ならお前ら自分で買って来いよ」

「ヤダ」「人の金で食べる涼しい部屋でのアイスほど格別なものはありません」

「お前ら本気でシメるぞ」


 ホントこいつらは……。


 砂羽は癇癪起こしたように頭を掻きむしる仕草をし、ずかずかと玄関に歩いていく。


「チックショー! こんな家出てってやる!」

「さっさと帰れ。俺の部屋に集まってくんな」


 ピタッとその動きが止まって、瞳をウルウルさせる砂羽。うわ、鬱陶しい。


「絢兄ちゃん冷たい……久々に会ったのに本当にどうでもいいんだ。何回も抱いてあたしに飽きちゃったんだ。飽きちゃったら捨てるんだ。そこの、食べ終わったカップ麺の容器みたいに……ぐすっ」


 噓泣きだろう。鬱陶しいが無視すれば済む話だ。


「いーけないんだー、いけないんだー! お母さんに言ってやろー! お母さん……というと研究者の誰かということになるのでしょうか。いや、しかしワタシ達の遺伝子提供元はアリス様だけですので、アリス様? にいってやろー! 嫌ならさっきのアイス一万個くらい買って来てください」

「お前はこの家の冷凍庫にどれだけの夢を見てるんだよ。入んねえよ」


 やいのやいの囃し立てる夜が超ウザい。表情が変わらんから本気かどうかもわかんないし。


「あ、ついでにミリンとタイムセールの鯖を買って来てください」

「一般スーパーにあんなアイス置いてるか!」

「一緒にお出かけできるの!? 絢兄ちゃんと!? 嬉しい! わーい、わーい!」

「しねえよこんな真昼間に外出るなんて! めんどいわ!」

「前者は同意します。サングラスなしに、あんな眩しい中、外をよくもまあ歩けるものです」


 騒がしくしていると、仕事用の端末に連絡だ。


「ん? アリスか?」

「!」「っ!?」


 夜と砂羽が一瞬で静かになる。やはりアリス・メイソンからの連絡は緊張するらしい。


 俺は何の気なしに、通話を繋いだ。スピーカーモードにする。


「こちら、絢だ」

『アイスを買ってきなさい。私は今、そちらの支部にいますので』

「はあ!? お前ならアイスなんぞ無限に手に入るだろ!」

『一般人の食べるアイスクリームに興味がありまして。で、先ほど家で騒いでいたでしょう?』


 話が筒抜けなのは別に普通だ。この建物も透明少女の監視下にあるだろうし、そっちの方が面倒が省けていい。まぁ、プライベートを覗き見られるのに抵抗ありそうなやつは結構いそうだが、俺はあまり気にならなかった。


『貴方が、買ってくれた、アイスが、食べたいのです。種類は問いません。でもマズいと……いじめちゃいますね』

「嫌がらせかよ!? てか幹部を顎で使うな!?」

『さっさとなさい。私がシャワーを浴びる前に』

「ええい、もう……!」


 ぱっぱと準備して、通話を切る。


「つーわけだから、急ぐわ。じゃあな、戸締りだけはきちっとしろよ、お前ら可愛いんだから」

「……う、うん」「お気をつけて、絢」


 俺はとりあえず百貨店に向けて、駆けだすのだった。


  ◇


 絢が去った後、彼の部屋には残された二人の姿があった。


「アリス・メイソン様ってあんな風に甘えるんだぁ。夜姉ちゃんは知ってたの?」

「あの人は絢が特別お気に入りなんです。ワタシが知ったのは、少し前ですね。あのお方は、他人の無遠慮とかを酷く嫌いますし、他人にも基本的にそれを押し付けない。でも、絢だけは違うみたいですね」

「絢兄ちゃんカッコいいもんね!」

「ええ。……我々ミリオンナンバー中期型の誇りです」

「なんか夜姉ちゃん嬉しそう!」

「好きな人が褒められると、嬉しいものですよ。さて、ご飯でも作りますか。砂羽、食べていきますか?」

「うん! あたしコロッケがいい!」

「コロッケ……。ふむ、難易度が高くて挑みがいがありますね。手伝ってくれますか?」

「モチロン! 絢兄ちゃん、カップ麺からいつ卒業するのかなー」

「あの人は自分が作ったものは食べたくない主義だったはずなので、厳しいでしょうね」


 そんなことを二人は話しながら、とりあえず、必要なものを買い出しに行くことにしたのだった。


  ◇


「オラ、買って来たぞ」


 乱雑に保冷剤を詰めてもらった紙袋を渡すと、アリス・メイソンは嬉しそうにそれを受け取っていた。


「あら、ありがとうございます。一緒に食べましょう」

「半分融解してるけどな……多分」

「急がないからですよ」

「お前なあ……県跨いで田舎の山道をレンタルバイクまで借りて走って来た俺に急いでないと!? ふざけんな、いよいよもってふざけんなよ!? 急いだに決まってんだろ!」

「迎えを出せなら一瞬でヘリが来ますのに」

「目立つわ! どうせ最新型のアパッチかコブラが来てミリタリーマニアが騒然とするだけだっつの! ご近所迷惑も甚だしいわ!」

「ご近所よりも私が優先でしょう?」

「……今度から迎えの方が早い時はそう言ってくれ」

「結構。ですが、一般常識は弁えているようで嬉しいですよ。どうしても、透明少女の規模なら大味になって然るべきなのですが。そういうブレーキ役としても貴方には期待できそうです、絢」


 言いながら、用意していたらしいスプーンでアイスを食べ始める。俺もそれに倣った。俺は付属していた木製のスプーンだが。俺は口当たりも気にするので、アイス専用のスプーンというものも所持している。あれは良いものだ。かったいアイスにもスッと通っていくのだからもう、堪らない。


「美味しいですよね、アイス」

「ああ、俺はくたびれた分余計そう感じるぜ」

「良いではありませんか。最近、絢がいなくて私も寂しかったですし」

「……」


 キスを求めるアリスに、キスで応じる。甘い、バニラの匂いと唾液が絡み合い、顔を離すと唾液が糸を引いた。


「愛してますよ、絢。この世の、誰よりも、何よりも」


 先ほどのキスよりも甘い言葉が脳髄に響いていく。


「俺もだ。愛してる、アリス」

「結構。……本心、ですよね?」

「俺はこの先も誰かと体を重ねるだろうけど……誰よりも、一番にお前を想ってるよ、アリス」

「それで良いのです。貴方の種は色んなところで広まるべきだと私は思いますので。私が、一番であればいい」

「その割には不服そうな顔だな」

「だって、独り占めしたいんですもん」

「もんて。いくつだよお前」

「女の子はいつまでたっても少女なのです。理解しているでしょう? 組織の名前にもなっているのですから」

「はいはいそーだったな」


 透明少女には初期型と呼ばれる七十代のメンバーがいるが、そいつらも少女とアリス・メイソンは呼称する。それはいつまで経っても女性は少女であるというアリスの主義主張のためだった。


 そうして、俺達は特に理由もきっかけもなく、唇を重ねて、お互いをまさぐりあう。


 残ったアイスが完全に融解し、ぬるくなっても、行為に俺達は明け暮れていた。





『ってことがあってさー。パワハラだよなー』

『かもですねー』


 いや、かもしれないじゃないけど。


 あれから家に戻って、夜が作ったコロッケを食べて、歯を磨き、風呂に入ってからネトゲを立ち上げる。いつものフレンドと個人のやり取りをしつつ、もうそろそろ寝なければならないと思いつつも、明け方まで続くこの文字での会話を楽しんでいる自分がいた。


『かもじゃねーって。でも、まぁ、使われるのはヤじゃないんだよなあ』

『AYAさんはその彼女さんが好きなのですか?』

『嫌いなやつのためにわざわざパシりはしない……でも、ホント、親代わりではあるんだけど初恋の人で、すっごく……恋愛的な意味で好きなんだよな。愛してる。あ、ALIさんはキショイって思う? こういうの』

『いいえ、素敵な関係ですね。明日は学校あるのでは?』

『まぁ、学校で寝れるし……』

『ちゃんと授業は受けないとダメですよ?』

『うへー。んじゃ寝とくよ。またね、ALIさん』

『良い夢を。おつさまですー』


 ネトゲを切って、俺は寝ころぶ。


 ALIさんってどんな人なんだろうな。ネット上でしか知らないが、ひょっとすると男性かもしれない。こういう話に寛容なのは年配か男性かくらいなんだけど……世界観の広い十代だったり?


 そんなことを考えながら、眠りにつく。


  ◇


「……ふふっ」


 ログに残る愛しているをスクリーンショットする。


 液晶に照らされたその顔は年に似合わない少女の姿。


 アリス・メイソンは、微笑みながら、自らも端末を閉じ、雑務を片付けに掛かるのだった。

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