一話 救世主 2

 三十分で荷物をまとめ、武器は『透明少女』専属の秘匿運送会社を使い輸送の手続きを行ってから、アメリカから飛行機で日本に赴いた。


 時差ボケで眠くなるような鍛え方はしてないが、若干体が重い。長時間のフライトで体が固まったらしい。


 その場で跳躍して、軽くほぐす。おっと、跳び過ぎた。抑えとかないと、高度に驚かれるからな。荷物を待つ間ぶらぶらと腕を動かし、準備完了。


 荷物を手に、タクシーを拾い、任務限りの自室へと向かう。


 六畳間のシャワーとトイレ、キッチン付きの賃貸だ。一般アリスが管理人をしている。


 管理人室に行き、鍵を受け取って、自室に入る。まずはベッドで疲れを取りたい。


「……何でいるんだよ」


 俺の部屋なのだが、いるはずのない先客がいた。いや、同じく任に当たることにはなっているのだが……何で俺のベッドで寝てやがるんだこいつ。


 長く、淡い色の金髪が伸びている。スタイルは男性的にはかなり魅力的に映る。なんといっても胸元が暴力的で、アリス・メイソンにはない色気がある。何故だか、ワイシャツのみの姿の彼女は不意にぱちりと目を開けた。半眼というか、ジト目というのか。そういう目元は少し見かけなかったのにも関わらず変わっていない。光が苦手らしく、大きい瞳を半分閉じる彼女の姿は、良く印象に残っている。


 同じ施設で同じ教育を受けて育った、『透明少女』構成員、少女のミリオンナンバー。


 夜・ミリオン。


 製造日が俺より早いので、姉のようなものだった。彼女も俺の姉を自称しているし、距離感は近いけど。


 首には、通常の構成員では当たり前の、発信機兼毒物注射内臓のチョーカーが付けられている。ちなみにカラーはコンセプトによって変わる。彼女のチョーカーは赤。攻撃型だ。


 とてつもなく色気を放つ彼女を見て、溜息しか出てこない。


「なんでお前、俺のベッドで寝てるんだよ」


 無論、呆れだ。そんな咎めるような視線を向けていると、ドヤ顔が彼女の綺麗さと可愛さの中間くらいの造作から形成される。


「温めておきました」

「秀吉かよ。いらねーからそんなサービス」

「女の子が温めたベッドなんて、外に行けばおいくらだと思っているんですか」

「知らんがな。いいからどけ。俺も寝る」

「寝かせてください。名前の通り、夜からが私の活動時間ですので。護衛対象の戸貝雪は学生です。この日本では、昼間に表立って動かれることはありません。夜、私が索敵しながら戸貝雪を安全な場所へ、戦闘を絢が担ってくれれば助かります」


 俺もそう提案しようとしていた。戸貝雪は女性だし、普通は男性が護衛となると、人目を気にする可能性が出て、そこを抜け出して一人になり、呆気なく殺されるパターンがある。気を配るとは思うが、俺だって人間だ。意思を持つ他人の思考を完全に掌握することはまず不可能だし、万一ということも充分にあり得る。


 分かっているらしいので、とりあえず夜に任せよう。そうすれば頭痛を覚えずに済みそうだし。飛行機の中で回復したとはいえ、多少痛みは残っている。厄介なデメリットだな、特効薬も持ってきているけど、使いたくないなあ。


 他の懸念といえば……


「……お前、学園編入だぞ。真昼間だ、目とか大丈夫なのか?」

「サングラスを付けますので。学園に許可は取ってます」

「さすがだな。でもメチャクチャ目立ちそうだが」

「ワタシは可愛いので普通でも目立ちますよ。挙句に転校生です。もう注目されるのは宿命ともいえるでしょう。それより、お姉ちゃんは絢の方が心配です。友達できますかね」

「要らんわ、一過性の任務に友人なんて」

「これですから。あのですね、コミュニティを広げていると色々と有利に働くんですよ。当番などの面倒ごとも今度肩代わりするからと押し付けることもできますし」


 そんな打算的過ぎることをほざいてる奴の方が友達がいるのはどうしてだろう。


 こいつは幹部の俺より好かれてるからな。積極的に練習や訓練に参加し、後輩や同期、先輩からも覚えられて、交友関係は多岐に渡る。


 その死んだような目つきからは想像できないくらい感情豊かなのが、その秘訣なのだろうか。


「砂羽は?」

「ロリコン」

「おい、同世代だろ、砂羽は。いや、言わんとすることは分かるけど、そんなこと言ってたら構成員がそっち系多いだろうが。お前もどっちかと言えばそっち系だぞ、分類」


 まぁ、そりゃ。メリハリあるお前と違って悲しい成長だけども。というより、夜が少し珍しいだけの話だ。大体の構成員はあんまり発育良くないし。幹部やエリートほど小さく、より強い傾向にある。夜が異端なだけだ。構成員の中ではかなり大きな方。それでも夜の身長は百五十二センチなのだから、構成員の平均身長がいかに低いか物語っている。


 構成員――少女(アリス)達は、アリス・メイソンの遺伝子を弄って誕生する、厳密にはクローン人間。彼女の有能な遺伝子が究極な形で保たれるのは女性だったらしく、誕生する構成員は例外を除いて女性。アリス・メイソンの遺伝子の強化人間だからか、あまり背の高い構成員はいない。


 俺はと言えば、例外だった。アリス・メイソンの遺伝子に固執せず、性別にこだわらず、ただ遺伝子を強化していくとどうなるか。科学者が遊びで作った、とある計画のラストナンバー。通称、ピリオドと幼い頃に呼ばれていた。それが俺だった。


 アリスによって型番は分かれる。初期をオールド、二期をハンドレッド、三期をサウザウンド、四期をミリオンと呼ぶ。現在ミリオン後期型が最新で、俺と夜は分類上、これの一個前の中期型となる。話題に上った砂羽も中期型だ。基本的に家名は型番が一般的だが、通常任務用の偽名も持っている。彼女は暁夜。俺は弄る必要なしと判断されたのか、普通に那由多絢だ。分類上同じミリオンだが、俺はとある都合上、那由多という苗字を持つ。


「砂羽は絢が来ると聞いて、勝負したがってましたよ」

「あいつはめんどくさいの代表格だな、何で挑んでくるのかね、勝てないって分かってんのに」


 砂羽は一般の構成員だ。戦闘力は低い。素手での破壊力という点で彼女は時に俺より勝るが、小回りが利かない上に銃がメインの戦闘ではあまり役に立たない。挙句に腕力を強化している反動でひどく疲れやすい。この欠点がある限り、彼女は俺に勝つことはない。


 それを彼女は、痛いほど知っていると思っているのだが、何度でも向かってくる。もうめんどくさいったらない。


「でも懐いてるじゃないですか。可愛いですよ、グヘヘ、お持ちかえりしたい」

「お前が言うのか……」

「ちなみに、ワタシと砂羽、どっちが気持ちよかったですか?」

「お前もめんどくさいわ! どいつもこいつも……俺はどこで寝ればいいんだ?」


 何か投げられた。鍵だ。微妙に金属がぬくもっていて若干気持ち悪い。


「ワタシの部屋の鍵です」

「お前がそっちで寝ろよ!」

「だって、このお布団がふかふかで……いや、実は嫌がらせです」

「お前ってやつは! ホントお前ってやつは!」

「寝るので静かにしててください。そして、ワタシのベッドにアナタのニオイを提供してください。あ、ワイシャツも洗濯前には回収しますね」

「それは単にお前が変態なだけだろ! 俺のニオイで何すんだテメェ!」

「…………すやー」


 本気で寝やがったこいつ。


 しゃーない。こいつの部屋で寝るか。砂羽の使ってるマンションは少し距離がある。


 夜の思い通りになるのは少々癪だが、俺だってベッドで寝たい。硬いねぐらよりはずっとマシなはずだ。


「……」


 夜の部屋は隣の部屋だった。鍵を開けて入る。入居して間もないためか、夜のバニラのような香りはあまりしない。それでも自分の匂いがない部屋は若干落ち着かなくはある。そういう意味では、夜の部屋でも俺の部屋でも変わらないが。何か嫌だ。


 同じフローリングの六畳間。しかし、そこにはそこそこ狭く感じた。


 理由としては一点。物が多い。テレビに小説、漫画、パソコン……それらはごく一般的な少女のような部屋ではあった。若干インドア気味だが。ギターケースが置いてあるが、それは恐らく彼女の武器だろう。怪しまれないためなのか、あまりにも堂々と置かれている。


「ん?」


 テーブルに皿が置いてある。カレーライス? 白い器に、白米と茶色いルーが。ごろごろとじゃがいもと肉、人参がバランスよく盛られたそれは、まだ温かい。メモが見つかった。


 ――『ベッドの使用料、先払いです。またよろしくね。お姉ちゃんより』


 ……。


 俺は無言で、置かれていたスプーンを手に取る。ラップを剥がし、スプーンでライスとルウをすくって口の中に放り込んだ。


 ……美味い。『透明少女』で習った通りの、日本風カレーだ。スパイス調合などは無く、カレールウで済ませるところも同じ。明確に味が尖らないが、コクと旨味がある。


 キッチンを見る。まだカレーはありそうだった。


 とりあえず、隣の夜に感謝をしつつ、止まらなくなった食欲でおかわりまで決めてしまった。





 翌日。緊急の任務ということで、準備期間は無し。即、戸貝雪へアプローチが始まる。


 アプローチの具体内容としては、同じ学園へ編入。要は一般的な高校生として、転校を装うということ。


 私立此処野原学園。偏差値六十五。進学校としてこの地方ではそこそこ有名らしい。


 さて、俺達だが――戸貝雪の所属するクラスの前で、先生の紹介を待っていた。


 隣の夜を見れば、年相応の学生に見えた。ただ一点を除いて。


「なあ、そのダサいサングラスどうにかしろよ」

「何を仰いますやら、お姉ちゃんのセンスを信じなさい」

「いやなんでそんなパイロット系なんだよ。ティアドロップタイプなんてマジで若者向けじゃないって」

「ワタシ、戦闘機操縦できますので。ゲームで」

「そらゲームでいいなら大体のやつが十分もすれば飛ばせるようになるわ」

「それの何がいけないというんですか!」

「何でキレてんだよ!」


 良く分からないやり取りになってしまっていたが、「入ってこい」という先生の声で中断。この教師、二十五歳の女性なのだが、空手三段らしい。逞しい事だ。厚化粧に香水が少しどぎついので苦手ではある。目つきも怖いし、モテなさそうだ。勝手な所感だけど。高層マンションでチワワ飼ってそう。


「あー、暁夜さんと、那由多絢君だ。まず、暁さんから自己紹介」


 打ち合わせ通りに、夜が戸貝雪に歩を向ける。


 おっとりしてそうな黒髪の女の子の前に行き、そして跪く。


「え? え?」


 ただひたすらに驚いている戸貝だったが、畳み掛けるように夜が声を出す。


「戸貝様、ワタシはアナタを守るためにやってきました。これから、迫りくる刃の楯となりましょう」

「え、ええええっ!?」


 全員が驚きの表情をしている。俺もそれらしい表情を作った。これも夜と打ち合わせていたことだった。


 まず、表立って護衛する役目は夜がやる。その護衛には俺が最も適任だと思ったが、それは実力的に、というだけの話。戸貝雪は単なる少女だ。男子が四六時中傍だと何かと不都合があるだろう、と提案したのは夜だった。言われて再考したら、俺も同感だった。女子には見られたくないポイントやらがたくさんあるのは身に染みている。女子と一緒の場所にぶち込んで育てられたためか、知りたくもない事まで知ってしまうことが多発している。夜もだが、特にミリオン中期型の連中は大体お互いの体のことで知らないことはない。


 まぁ、そういうためか。見られたくない時はその女の子は隠れようとすることは分かっている。それで俺が戸貝雪を見失っては本末転倒。表立って接するのは夜と砂羽に任せ、俺は裏で勃発する戦闘行為をこなす。最終的にこういう配分で決まった。


 ちらり、と視線を向ける。視線の先には、栗色の髪の毛をポニーテールにしている、砂羽・ミリオン――いや、妃砂羽の姿がある。あ、こっそりピースしてやがる。


「……那由多、お前もなんかアピールしとけ」

「いやいいっす。なんかもう、どんな紹介しようが俺空気じゃないっすか」

「確かに。よし、席に付け。空いてるとこでいいぞ」


 俺は砂羽の隣に腰を下ろした。砂羽は嬉しそうに満面の笑みを見せてくる。首元の白いチョーカーが、きらりと光る。白は――一般アリスを示す。個性無しとみなされた、屈辱の白ということだ。


「えへへ、絢兄ちゃん、よろしくね!」

「おう、砂羽。日本ではお前の方が先輩だから、よろしく頼むわ」

「任せなさい! 美味しいご飯のところとか近道とか教えてあげるね!」

「仕事しろよ」

「兄ちゃん、ここの学食はうどんが美味しいよ!」

「お前は戸貝と食え、夜のバックアップだ。昼間は俺、別行動するからな。あんま話しかけてくんなよ」

「分かったよ、絢兄ちゃん」


 能天気に笑ってるけど、ホントにわかってんのかな。


 まぁいいや。


 にしても、こういうの久しぶりだな。六歳からエリートクラスで学んで、十歳から実戦経験して。また学校に戻ってくるとは。何となく因果を感じる。


 遺伝子元が日本人の俺は、普通の家庭に生まれていたら、こいつらと同じく勉学と遊びのことしか考えずに済む子供になっていたのだろうか。そう思うと、少し感慨深い。


 そんな感傷に浸る中、視線を感じる。


 戸貝雪の視線を察知しつつ、俺は取り立てて面白くもないのだが、窓の外へと視線を向けるのだった。





 放課後になった。


 夜のやつは非常に人気で、すぐに女子に溶け込んでいた。あんなだっさいサングラスしてるのに、それを取ると美少女というギャップが受け、男子層でも早速ファンができているようではあった。容姿がいい奴はこれだから。


 話しかけられは、俺もされたが、適当に返して寝ていた。ものぐさだと思われているだろう。心証が下がるのは分かっていたが、どうにも馴染めない。


 そんな俺の一日と言えば、特に何も起きず。施設の場所を覚えて、適当に食事を済まし、夜の業務に向けて準備を整える。すなわち、授業は寝ていた。


 放課後のチャイムが鳴るのを聞いて、俺は溜息を吐く。ここから俺の業務が始まると思うと、憂鬱で――


 ――突然こちらめがけて飛んできた唸る左腕を、片手で受け止める。


「おい、砂羽」

「とりゃー!」


 二段蹴りを捌き、飛び掛かるようにして右腕をぶん回してきた彼女の力を利用し、教室の机の上に押し倒す。派手な音が鳴った。


 彼女は驚いていたが、ふくれっ面をしていた。俺がしたいわ、そんな顔。いきなり仕掛けてきやがって。


「……負けた」

「やめんか、教室で」


 スパッツが丸見えだし。クラス中がこっちに注目してるし。


「いけると思ったんだけどなー、寝てたから」

「言ったろ、お前では俺に勝てない」

「いいや、たとえ限りなく可能性がゼロに近くても、勝機はあるよ!」

「……教室では仕掛けてくるな。それ以外なら付き合ってやるよ」

「やったー! 絢兄ちゃん大すきー!」

「やめろ、コラ! お前暑いんだよ! 体温高い奴はどっかいけ、しっし!」


 こちらのやり取りを見ていた、大人しそうな女生徒が、砂羽に話しかけてくる。


「妃さん、那由多君とはどういう関係なの?」

「兄ちゃんなんだ! えっと、ちっちゃい頃から一緒に育ってきた、いわば幼馴染にして兄妹というか! 今のはね、習ってた格闘技の組手! 絢兄ちゃんものすっごく強いんだー、こんな見た目だけど」

「見た目関係ないだろ砂羽テメェ」


 しかし、砂羽のおかげで全員が「なぁんだ、悪い奴じゃなさそうじゃん」的な顔をしていた。砂羽と仲がいいなら間違いない、とでも言いたげだ。まぁそうだけど。悪い奴とはお近づきにならないからな、砂羽のやつは。夜はそこいらへんは曖昧に濁し、コミュニティを極力重視するのだが、砂羽は明確に一線を引く。


 それを分かっているクラスメイトが多いってことは、砂羽は彼らに対して心をある程度許しているんだろう。良かったな、砂羽。友達がいっぱいいて。


「俺は帰るから。何かあったら大声で救世主でも呼びな」

「あー、兄ちゃんまたアレやるんだ」

「しゃーねーだろうが。俺だってやりたかねーんだよあんなの」

「とか言っちゃって。毎度ノリノリのくせに」

「お前ギタギタにすんぞコラ」


 俺は言い残して、コンビニの方へ歩いて行った。アイス買おうアイス。任務で頑張ったご褒美用と日常用のやつ。


 暮れていく空を見上げながら。闇夜に乗じて敵が来るという予感を、何となく感じつつ。


 それでも、夜は来るのだと。うんざりしながら思うのだった。


  ◇


 戸貝雪は戸惑っていた。


 同世代で護衛をしてくれている――妃砂羽。茶髪のポニーテールが印象的な女の子。自分の父親が金持ちなだけだと彼女は理解していたので、そもそも同世代の護衛すらも過分に思っていたのに。


「日が落ちてきましたね」


 そうクールに呟きながら、サングラスを外す美少女を見つめるしかなかった。


 ――暁夜。


 淡い金髪に、日本人らしさが若干だが感じられるものの白い肌。赤い瞳は半分程度しか開かれてないが、元が大きいためにマイナスには作用していない。綺麗だったし可愛くもあって、自分の容姿を平凡だと評していた雪は、少し彼女が羨ましかった。


 特に、胸元。自分もある方だけど、彼女と比べたら劣る。大きい。


 そんな彼女は、砂羽の姉だということで、何となく安心感があった。恭しく頭を下げる従者のような行為は雪的にはやめて欲しかったが、彼女は結構頑固で譲ってくれない。


 見つめていたのがバレたのか、夜は首を傾げていた。


「どうかなさいましたか、雪様」

「い、いやー……夜さん、可愛いですよね」

「いえいえそれほどです」

「あ、認めちゃうんだ、夜姉ちゃん」


 砂羽は夜に姉ちゃん呼びをしている。血縁なのかな。よくは分からないが、どことなく雰囲気は似てる気がする。雪は何となくそう感じた。


「言うても姉妹は大体美少女揃いですからね」

「夜さん、砂羽以外にも姉妹っているんですか?」

「そりゃもうわんさかと」

「に、賑やかそうでいいね」

「まぁ嫌いではありません。さて、ブティックとコーヒーショップを回って、次は何にしますか?」


 夜の提案に、雪はデパートの屋上を指さした。


「ディナー、食べていきません?」

「いいねー! 牛丼がいいなあ!」

「さ、砂羽、牛丼はないよ……」

「ふむ。やたら量が少ないパスタやら肉やら魚やらを食べに行きましょう」

「それ、高級料理をひたすらディスってない……?」


 夜も砂羽も独特だ。砂羽に店選びを任せれば庶民的な食事になって、夜はまだどうなるのかは分からないが、結構食にはうるさそうだ。


 デパートの中に入り、エレベーターで屋上へ。


 到着。ドアが開く。


 ……? 変だ。電気が消えている。


 自然と、砂羽が前に出た。鉄を仕込んだグローブを取り出し、それを着ける。夜もギターケースを担ぎ、目を更に細めている。


 ピリピリとした空気が、一般人の雪にも伝わってきて、自然と緊張で体が強張った。


 ――刹那。


 火花が散った。それは刃物と金属がぶつかり合って鳴り散ったもの。気付けば、藍色の服を纏った女性――多分シルエットはそう――が、三人、ドスのような反りのない刀を手に、じりじりと距離を詰めてくる。今火花を発生させたのは、その一人が、砂羽と戦っているから。砂羽は刃に臆することなく、手袋に鉄のプレートを仕込んでいるとはいえ徒手空拳で迎撃している。


「姉ちゃん!」

「一人は任せます!」


 即座にギターケースから取り出されたのは、小型の銃だった。


 銃撃を見舞うが、刀で弾かれてしまう。漫画のような世界だった。いきなり非現実的な光景が繰り広げられ、雪はただ混乱するしかない。


 何のために、私を狙うのか。

 何のために、二人が戦っているのか。

 何のために――――武器まで持ち出しているのか。


 二人を牽制していた夜だったが、一人に詰め寄られ、近接格闘を強いられる。武器を持っての格闘は難しそうだ。が、しかし。夜は銃を手放せない。いざという隙を見せたら撃ち抜くという意思表示でもあったのだが。


 結果的に、一人が自由になり、悠々と雪に近づいてくる。


「戸貝雪……恨みはないが、死んでもらう」


 曇り空の下。月の光が届かない中、それでも刃はギラリと妖しく冷たい輝きを持って迫ってくる。


「雪ちゃん!」

「雪様ッ……!」


 叫ぶ二人の声も、どこか遠い。


 死ぬんだ。目の前の刃が振り下ろされれば、死ぬ――


「誰か……」


 誰か――助けて!


 雪がそう願った刹那、何か乾いた音が雪の耳に届いた。


 同時に、雪を襲おうとしていた女性の刀が根元から折れてしまう。


「何者だ!」


 叫ぶ女性が振り向く方を見る。誰か、人がいる……?


「物騒だな。レディーが握るのは、愛する人のために作る料理を生み出す包丁くらいでちょうどいいのさ」


 図ったかのように、雲間から月光が注ぐ。


 照らされたのは、細身の青年。どこか見覚えのあるシルエットのような気がするが、バレエダンサーのように締まった体は美しい。片手に銃を持っている。その銃口からは硝煙が立ち上っていた。先ほどの銃撃は彼が? 刀の刀身だけをピンポイントに狙ったのか?


 風に踊るセミロングの金髪に、蒼い瞳。顔立ちは赤い仮面で隠されていて分からないが……肌の色は、日本人みたいだ。白色のジャケットがはためく。それ以外は黒で統一されていて、いや、手袋は青色をしていた。


 余裕そうな態度、雰囲気。それを崩さぬまま、まるで演劇のように大きく頭に手を当て、空を仰ぎ見た。嘆いているかのように。


「俺は悲しいよ。今から君達に拳や弾丸を振るわねばならない。悪く思わないで欲しいな」

「何者だと聞いている!」

「ここまでやっても分からないか? 君らの、敵だ」


 棒立ちの彼に、その藍色のタイツのような服から銃を取り出して撃ちまくる敵。


 だが、その青年の姿が掻き消える。


「弾丸の世界じゃ、俺を射止めることはできないさ。――遅すぎるから」


 そんな甘い声が聞こえると同時に、銃声が三回鳴った。気付けば地面に敵が倒れている。血は……出てない。敵の手は、細かく、痙攣するように動いている。単純な連想だが、雪は電気か何かを思い浮かべた。いつの間に跳んだのだろうか、音もなく降り立つ背の高い彼は、本当に人なんだろうか。


「ま、愛の弾丸なら別だがね」


 再び現れた彼は動けない三人をあっと言う間にワイヤーで縛り上げ、夜にウインクをする。何故か、夜はげんなりとした顔をしていた。


「後は任せていいね? 子猫ちゃん」

「はいはい、どうも。後は任せてください」

「いい子だ。それでは、少女達。貴女が救世主を呼んだ時、またお目に掛かりましょう」


 その人は、雪の目の前に跪き、手の甲にキスを決める。


 そして、あっという間に建物を飛び降りていってしまった。


 悪い夢、ともいうべき襲撃。それを鮮やかに切り抜けた金髪の青年。


 なにが、どうなっているんだろう。


「……よ、夜さん。彼は……?」

「さあ。でも、人は彼のことをこう呼ぶそうですよ」


 夜はどうでもよさそうに。しかし、微笑みを浮かべながら、立ち去った彼の、見えないはずの背中を眺めるように、そう呟いた。


「……救世主(メサイア)」


 救世主――


 そう呼ばれた青年を思い出すと、雪の胸の奥がきゅんと痛んだ。


 この感情は何だろう。痛んだ胸から、温かさが滲みだしてくる。


 その正体が分からぬまま、どこかに連絡を取る夜を、雪はただ見守ることしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る