透明な檻のアリス
鼈甲飴雨
エピソード0 戸貝雪護衛任務編 一話 救世主 1
流星を見たことはあるだろうか。
視認した刹那には消える。ただ一瞬の光のラインとして。
男には、覚えがあった。父親と一緒に丘の上に見に行った、流星群。そこで目撃した、鮮やかで、刹那の芸術の輝き。
それらを、どこか遠く、男は目の前の現象のような光景を見てそう思いだしていた。
マズルフラッシュが尾を引くように通り抜けていく。あり得ない光景だ。男の経験上、あのハンドガンにフルオートなんて備わっていない。奴は確かに構えて見せたそれは、ブロウニングハイパワー。自動拳銃だとは言え、セミオートだ。一発撃つごとにトリガーを引く動作は必須のはず。
しかし現に、青年は異様な速度で跳びながら、挙句に斜めを軸に乱回転しつつも、そのピストルを乱れ撃ちながら、全弾それを当てていった。アクション映画がカスに思えるほど、現実離れしている動きに、誰もが動けない。
美麗にして華麗。突然舞い降りた金髪に仮面の男性は、まるで舞踏のようにステップを踏みながら、その全員を撃ち抜いていく。さながら、光をばらまき暗闇を迷いなく突き進む様は、流星。
壊滅させてしまった。武力を誇ったアメリカでも一、二位を誇る、ギャング――フォレストジャムを、たった一人で。ほんのわずかな時間で、だ。
あんまりな出来事だ。たった一人でギャングを? 悪い夢でも、見ているのか。男はそう心の中で独り言ちる。声にしようとしたが、言葉にならない。出血で頭が回らない。
それでもつい男性は考えてしまう。何故、青年がここにやって来たのか。簡単だ、我らフォレストジャムがアメリカ政府の要人を捕らえ、身代金をふんだくろうと企んだからに他ならない。
向こうから奪還作戦はあるだろうとは思っていた。そのために、腕利きの傭兵も数多く雇い、武闘派の構成員を集めさせ、決して慢心せず、細心の注意を払ってきたのにもかかわらず。あっという間に片付けられてしまった。
まず、周辺警護の傭兵がやられた。そして対応を迫られる前に建造物に突入してきたそいつは、あっという間に建物を制圧し、最後の砦だった、男達――つまり幹部と傭兵団団長をごくあっさりと仕留めていた。外で車のスキール音が響く。援軍だろう。恐らく、突入してきた男性の。
男性、いや青年――少年にも見えるが。肌はアジア人だ。なので金髪が妙に浮いている。碧眼はナチュラルな色合いではなく、恐らくコンタクトだろう。
援軍を待たずに突撃か。無謀とも思ったがいや、逆だ。援軍が『邪魔』だから突撃したのだろう。あの動きについてこれるやつがそうそういるとは思えない。というかこんな人間もいて堪るか。規格外だ。息子が良くやっているゲームでは、なんと言ったか。チート、のようなものだろう。遭遇するとどうしようもなくなる。三メートルの巨人がバスケをやってゴール下に居座り、ゴールを入れ続けるような……上手い例えが、男には思いつかなかったが。
とにかく、我々との戦力の差は埋めがたい。千人いても、彼一人に敵うかどうか。
……悪く言うのなら、人間じゃない。悪魔だ。
流星に例えたが、捕らえていた要人が、男の遠のく意識の中、漏らした声。
「救世主だ……!」
救世主(メサイア)――
こちらからすれば悪夢以外の何者でもないが、そうだな。彼らにとっては救世主かもしれない。
朦朧とした意識が途切れる中、様々な種類の軽い足音。そして、青年の自信がありそうなわざとらしい色をした青い瞳が最後に、こちらを向くのだけは、確かに確認できた。
これから紡がれるのは、救世主の活躍を讃える物語ではない。
家族で、恋人で、青年の世界そのものな……とある檻に囚われた少女達によって、ただ振り回される可哀想な青年の話だ。
ハンマーで頭を殴られているような鈍痛。それが俺――那(な)由(ゆ)多(た)絢(あや)を目覚めからテンションをどん底へと突き落とした。すげえ頭痛い。昨日の任務、単騎突撃で小さな建物だったから、能力の使用は控えめにしたのだが、それでも頭を使った代償はこうして頭痛となって響いてきている。
目覚めたくはなかったのだが、携帯端末が鳴動している。上司からの直接連絡。取らないわけにはいかない。通話アイコンをタップして通信を繋げる。
「こちら絢」
不満や痛みを押し殺してはいるが、非常に低い声が出てしまった。ところが怖がるでもなく、電話先の上司は鈴を転がしたような可愛いく、それに似合わない酷く落ち着きを持った声音を放ってくる。
『体調不良みたいですね。これから任務のお話があるので、こちらまで』
「鬼かお前は……。二、三日しないと完全復活できないんだぞこれ」
『それでもエリート程度の能力は出せるでしょう。緊急性が非常に高いので、さっさと身なりを整えて、十分以内。はい、スタート!』
あの野郎切りやがった。断る隙もない。
めんどくさかったが、放っておくと酷い目に遭うのは経験上分かっていたため、動くほかに選択肢は用意されていない。パッパと顔洗って歯を磨き、寝癖を殺して髪を整える。無造作なヘアスタイルだ。顔は我ながらとても辛気臭い。いかにも根暗そうなやつだ。友達にはなりたくないタイプだなあ、とどこか客観的に思いながらも、いつもの装備を整える。
俺の体重を補う役目もある、大きめで分厚く重たいマチェットナイフ。違法改造ブロウニング。フルオートピストルとセミオートのスイッチを付けられたブロウニングは、一番訓練に付き合ってくれた相棒だ。他の銃器も扱えるが、これで済むならばこれに頼ってしまう。他に防弾防刃の白いジャケットに様々な武器を仕込んでいるが、それは常日頃からの点検済みで、確認もしないでいい。
スナック類の袋やパンの包装、飲み干したコーラの缶など、ゴミが散らばる十二畳からなる幹部用の私室を出て、俺は一分前にそこへ駆けこんだ。
――世界非公認武力組織、『透明少女(クリアアリス)』
世界では、今日も表沙汰にできない事件が起きている。昨日の官僚がギャングに捕らわれた、あの事件もそう。
普通なら警察や軍が出動する事態になるだろう。だが、国と暴力団が真っ向から争えば、血で血を洗う抗争になりかねない。軍にも警察にも、決して少なくない犠牲が出るだろう。
そういう案件を解決する、政府非公認だが、政府の仕事を回してくる、『知らなくてもいい裏側』――その仕事を請け負う会社、みたいなのを想像してもらえればいい。『透明少女』はそういう、表沙汰にはできない事態専門の組織だ。
俺はそこの幹部。一応最年少での幹部昇格で、贈られた二つ名は『救世主(メサイア)』。そんなご立派なものではないのは百も承知だから突っ込まんでくれ。俺だって恥ずかしい。もっとましなものにしてほしかったのだが、部屋に駆け込んだ俺の目についた目の前の彼女が頑として譲らない。
常に微笑みを湛えて、俺を見上げている少女――のような女性。
彼女は、この組織のトップ。アリス・メイソン。
白い肌に銀髪碧眼という、いよいよ現実離れした容姿をしている。更に驚きなのがその外見年齢と実年齢のギャップだ。少なくとも百年は生きていると言われるのだが、可愛いままの外見だ。十三歳程度の容姿で、黒いドレスが幼気とどこか醸される重厚な雰囲気で異様な魅力と圧力を振りまいていた。黒く大きな執務椅子にちょこんと座る彼女は、まずこちらにお茶を勧めてきた。無言で、円卓の俺の席に置かれていたお茶を飲む。七つの椅子があり、俺はその七つ目。実力で決まる席だったが、そう、俺は七番目なのだ。
しかし、他がメチャクチャすぎるんだよなあ。
超能力者だったり、発火能力者だったり、中には異次元に逃げれるやつまでいるし。本当に人間離れしている。というか人間じゃない。
そんな中、俺がその超人軍団に選ばれた理由は、戦闘力。この一点に尽きる。
あらゆる人間の性能を凌駕する、遺伝子レベルでの超強化人間。それが俺だ。
そんなことに意識をそらしていたら、お茶の味を楽しむのを忘れていた。再度、華奢なカップを手に取り、湯気を立てる琥珀色の液体を口に含む。濃密な茶葉の甘みと燻ったようなバニラの香りが鼻腔を抜けていく。それを飲み下して、俺は口を開いた。
「んで、どうして呼び出したんだよ、アリス」
普通は、アリス・メイソンに向けてのタメ口は死を意味する。穏やかだが気位が高い彼女は、他人からの無遠慮を内心で激しく嫌っている。しかし、俺とアリスの距離は、非常に近い。俺にとっては育ての親のようなものだし、家族のようなもの。彼女にとってもそれは同様のことが言えた。挙句に、このアリスは俺を気に入ってはいるようで、何かと任務に駆り出したり、甘えたりしてくる。そりゃ、異性のいない『透明少女』では男に触れる機会もないだろうけど。ちょっと恥ずかしい。
彼女もティーカップを置いて、桜色の小さな唇から言葉を紡ぐ。
「潜入任務をお願いしたく思います」
「潜入だぁ?」
そんな小器用な真似は……あんまりできないのだが。潜入はその場に応じた役柄を演じなければならない。それができて、アレだしなあ。自分で思い返して苦い思いをする。
困る俺に、アリスは苦笑していた。相変わらず、気を抜くとうっかり見惚れてしまいそうになる。
「分かっています。今回は実務担当をしてもらうだけです。表向きは、夜・ミリオンを据える予定です。貴方はいつものようにアホ金髪と馬鹿仮面を使って、派手に襲ってくる敵を陰で倒す役割です」
「言葉に棘があり過ぎだろ、ウニかよ。もう少し柔らかくしてくれ」
「カッコいい金髪とイケてる仮面を被って――」
「今じゃねえよ!」
「相変わらず面白い反応をしますね」
「誰のせいだ誰の!」
「冗談です。貴方はいつでも私の切り札ですから。愛していますよ」
目を細める彼女に、溜息を吐く。そんなこと言われたらどうしようもない。
「俺だって愛してる。嫌ってほどこの間分からせたと思うんだが」
「ええ、壊れるかと思いました」
「ならいい」
彼女とは、つまりそういう仲でもある。
彼女は親でもあり、恋人でもあり、身内でもあり、上司部下の関係でもある。
非常にややこしいのだが、お互いが全幅の信頼を置いている相手同士だという感じだ。俺とアリスとの間で敬称敬語は必要ない。とはいえ、アリスは基本的に丁寧語だから判別がつきにくいが、皮肉やこういうアホみたいな冗談は他の構成員には言わない。
ちなみに、構成員を少女(アリス)と呼んでいるので、これも非常にややこしい。メンバーには七十代の高齢者もいるのだが、いつまでも女性は少女だというアリス・メイソンの意見で、構成員は少女と大まかに呼ばれている。
それとは別に、幹部には二つ名が与えられる。俺が『救世主』と呼ばれているのは、分かってくれているとは思う。
「時に、『救世主』。貴方の遺伝子の元である日本人をどう思いますか?」
こうやってわざわざ二つ名で呼ばれる際は、幹部にふさわしい発言を求められる時だ。
話題を振られ、しばし考える。
日本。武器の制限は科せられるため、非常に面倒な国の一つだ。致命的な犯罪は少なく治安はいいが、どうにも平和ボケしているというかなんというか。個々人の危機意識は間違いなくドベだろう。奴ら、風邪やらウイルスには敏感なくせに殺人やら事故を防御するという意識に欠けていると思う。そして年功序列が当たり前で、陰湿的でもあった。その分、それを真に受ける真面目な気質な人間が多い比率だ。それでも近頃はチャラチャラしている連中も増えて、何とも言えない。とりあえず、外国人が思うような、堅物で真面目でモノづくりに特化した日本人と言うものは減っている……と思う。
総じて――
「能天気な連中」
という所感だ。それを聞いて、同感だったのか、アリスは頷いている。
「しかし、お金を持っています。それを寄付してもらえる彼らを、我ら『透明少女』は護らねばいけません」
「ああ、つまり護衛ね。潜入し、恐らく出資者の子供でも守るんだろ?」
「そう言うことです。相変わらず説明が少なくて助かります」
「俺以外に回せよー、そんなん。普通のアリスの方が小回り利くだろ」
「いえ、貴方が適任ですよ。この任務、難易度はSになります」
言われ、自ずと表情が引き締まるのが分かった。
任務にはランクがある。
Fは見習いがこなす雑用のようなもの。Eは見習いが正式に受けれる仕事。Dは一般アリスの雑用。Cは一般アリスの任務。Bは優秀な一般アリスかエリートの雑用みたいなもの。Aはエリートアリスの任務。Sは――エリートの中でも優秀な奴がやる任務だ。
Sの内容は、基本的に超重要人警護か、同じ裏の仕事をしている連中との戦闘。つまり、エリートが自分の意思で判断して動ける限度の任務だ。SSからは幹部クラスが判断しなければならない。
ともあれ、目下はSランクの任務だ。それも、俺に声を掛けたということは、エリートが一人でこなせるこなせないレベルギリギリのやつだろう。エリートと幹部の境目あたりに俺がいる。よって、他の幹部よりも回ってくる依頼が結果的に多い。
「超重要人物……どんなやつ?」
「普通の女子高校生です」
「は? 守る必要あるのか? それも、アホみたいに平和な日本でか?」
「――ただし、出資額は日本トップの父親を持ちます」
「ああ、なるほどね」
「その少女は、我々と同じ商売をしている人間達から狙われることになりました」
「ああ……そりゃご愁傷様で。ていうかハイパーめんどくさいっつーか、俺には荷が重いんじゃないか?」
「大丈夫です。そのために、夜・ミリオンも同行し、現地には貴方を兄と慕う砂羽・ミリオンがいます。彼女は前任で護衛に当たっていました。一般、エリート、そして幹部。幹部は私のお気に入り。これでどうにかなるでしょう。……行きなさい、絢。無謀にも牙をむいた間抜けな畜生風情に、立場と言うものを嫌というほど分からせてきなさい。私に仕事の連絡は不要です、全て貴方に一任します。信じていますよ?」
「そーゆーのを丸投げって言うんだ」
両手を挙げて肩を竦め、溜息を零す。文字通りお手上げだ。彼女は決めたら絶対に意見を曲げない。分かりきっているだけに、行くしかない。
喉元に左手の親指を当てる。『透明少女』式の敬礼だ。
「那由多絢、任務了解。……行ってくるぞ、アリス」
「ええ。絢、貴方は絶対に生き残りなさい。最悪、貴方だけが生き残っていればいいんです」
「分かってるよ」
出ていく俺の背中へ向けて。
「……分かっていないくせに。自分より他人を優先しているから、『救世主』なのですから――」
そう呟いたアリスの声は、聞こえないことにした。
こうして、任務――戸貝雪護衛任務が、スタートした。
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