1-6

 ――あの時。私がこの子の部屋に初めて(アポなしで)行った時の事。

 最初から、八幡は必死に何かを隠していた。だけど何を隠して――というより、何を庇っているかはばればれで。それが例えばえろい本だとか、ペット禁止なのに子犬や子猫が居たとか、それとも身寄りのない訳あり少女が居たりとか、そんなだったらまだ可愛げもあったのに。

 それは可愛いなんてものじゃなかった。八幡があまりにも馴染んでいたものだから、そこだけちょっと戸惑った。

 簡潔に言うなら、その部屋には普通には見えない“なにか”が居た訳だ。

 それは例えば、勝手に動き出す人形だったり、天井から長い髪をぶら下げていた何者かだったり、普通には鳴る筈のない、奇妙な音だったり。などなど。

 話がちょっとずれるけれど、私はいわゆる霊感体質だったりする。

 たまに何かが見えたりする。曰くあり気な場所に行ったら寒気を感じる。誰も見えないと言っている筈の人物が見えたりする事もある。ある時、友人と夜中に肝試し的な所に行った際、突然気分が悪いと言って屈み込んでしまった彼女の背中に、半透明っぽい何かがおぶさっていた、というのも見た。引き離すみたいに手を振り回して追っ払ってやったら、嘘みたいに彼女の気分は良くなった。うん、あれは絶対に霊的なものが憑いていたんだと思う。そんな事あるのかっていう話をされるけども、実際にあった事なんだから仕方がない。

 ――つまりはそう、私の眼は幽霊を見る事が出来るし、私の耳は幽霊の声を聞いたり出来る。私の口は幽霊と会話が出来たりするし、私の手は幽霊に触れたり出来る。理由は解らない。他の人間には出来ない、特別な事が生まれつき私には出来る。

 こんな妙な体質を羨ましいと言う輩も居る。私の友達だったりする奴とかに話してみると、「いいなー」とか言われたり。なんでだろうか、未知のものに対する興味とか、好奇心的な思いがあったりするのかね。

 でも言わせて貰うと、こんなのそんなにいいものじゃない。

 科学的解釈の発展によって、霊感体質とは、一種の脳内幻覚だ、なんていう説もあるんだとか。雰囲気、思い込み、そういった類で、霊感体質はありもしない“なにか”を、自分の脳内にだけ現すのだと。見える者見えない者の差はそういう事だと。寧ろ一種の精神疾患であるとさえ言っている学者だって居る。

 そんな事をのたまっている奴が、「アナタハカミヲシンジマスカー」なんて言いそうな宗教に居たりするんだ。上記の学者てめえの事だよ。

 世の中とは、斯くも滑稽なもの。物事あんまり真面目に取り組み過ぎるのも考えもので、いい加減な所は程良くいい加減にやった方が、人生損しなくていいものだと思う。

 その点、八幡は上手くやっていた。霊感があるが故に私がその部屋で見てしまった“なにか”は、血を分けた弟にもやっぱり見えていたみたいで。普通はそんな得体の知れない“なにか”が居る部屋なんて速攻で逃げ出してしまうだろう所を、八幡は開き直って今も居座り続けている。

 心配させまいと、家族にも事情を隠して。

 その理由は、はっきりと本人から聞いた訳じゃないけど、なんとなく解る。多分、私が同じ立場――同じ部屋に当たったとしたら、同じく居座っていた事だろう。

 だって面白そうじゃないか。

 私だってそうするさ。

 その証明として、今日は八幡に渡したいものがあった。




「これが?」

「うん、それが」

 八幡との一騒動を終えてから。一旦部屋に戻って、身なりを整えて、一家四人での夕飯を終えた後。私は父さんから貰ったビール一瓶を、ちびちびとコップに入れて呑みながら、スポーツ鞄を漁って一つの物を指先二つで引き抜いて、八幡に差し出した。

 因みに八幡は、まだぎりぎり未成年。ビールはあれど呑む事は出来ない。残念ながらな。でも別に大学生(十九歳)なんだから、こっそりとならもういいんじゃないかな、とも思ったけど、八幡は律儀だからなあ。

 話を戻す。これは八幡の身辺に起こった事、八幡の住んでいる部屋であった事を、その最低限だけを聞いて、それをモチーフとしてネタにした文章。

 この手にあるのは、その原稿データを納めたフロッピーディスクだ。八幡はそれを手に取って物珍しそうに見ていて、その様子を見ながら私もビールを一口あおる。夕飯直後のビールはいいものだ。因みに夕飯は豪華で大量。郷土料理のフルコースだった。お腹いっぱいおいしゅうございました。

「このお話はフィクションです。実在の人物や施設とはちょっとしか関係ありません」

 抑揚のない声で、そんな事を言ってみる。

「いや、何それその突然の前置き」

「言っとかないと煩く言われる事もあるんだよ」

「ちょっとしかって言ってるだろ。ちょっとは関係あるって事だろ」

「そこまで事実を改変する気はないよ」

 ごっきゅごっきゅごっきゅ、ぷっはー、ことん。

 呑み干してカラになったコップをちゃぶ台に置く。そのコップの横に置いてあるビール瓶には、まだ半分近く中身が残っていた。まだまだ美味しく頂けそうだ。

「君はそれを読んでもいいし読まなくてもいい」

 もいっちょ抑揚なく、そんな事を言ってみる。

「いや読むけどさ。なんでいきなりテーブルトーク調?」

「文系アナログゲーム好きの最後の砦なんだよ。あんたはデジタル系だからファミコンとかも出来ているけどさ」

「まさかとは思うけど、これ、そんなんじゃないだろうな」

 八幡がフロッピーを顔の横まで摘み上げて言う。そんなんっていうのは、あれか、データの中身はいかがわしげなTRPGっぽいものなんじゃないかと。

「おお、それも面白いかもねえ。怪奇物のテーブルトークか……あんたの部屋を舞台にしてシナリオ一筆書こうかね。なんにもない所なのにいきなりダイスチェックが入ったりしてさ」

「冗談にならないからやめて」

 むう、面白そうなんだけどな。いつ怪奇的な現象が起こるか、本当にGM(ゲームマスター)の采配次第とか。そんなさまを楽しく想像しながら、もういっちょコップにビールを注ぐ。泡が少しコップから盛り上がる程度に、なみなみと。

 そしてぐいぐい呑む。我が家には大酒呑みが多いらしく、私の知る身内、ほぼ全員が酒を呑んでもそう簡単には酔い潰れはしなかった。私もそう、自分の限界がどこまでなのか、未だに知っていない。浴びる程呑む、なんて事もなかったんだけどさ。

 ――さてさてじゃあ八幡の方はどうなのかね。酒飲みの血を引いた男の筈だから、酒に弱いとかはない筈だけどな。来年の誕生日になったら、ビールでも持ってまた此奴の部屋に突撃しに行こうかね。会いたい子とかも居たりするし。まあ人間じゃないものなんだけど。

「まあ、これは違うよ。正真正銘あんたの為に書いたお話」

 だから、これをどうするかも八幡に任せる。煮てもいいし焼いてもいいし食ってもいい。

 だけど、我が愛する弟の為にこれを書いたというのは本当。

 寂しくないように。怖くないように。負けないように。

 この内容は、少なくとも“嘘”を書いたものじゃない。私は、空想して書き記して形を生み出すという事をしている。このお話を書くにあたって、私はその全てを八幡から聞いてはいない。全てを知った上でこの話を書いたとしたら、それは事実を改変した、捻じ曲げて作った“嘘”の塊だ。

 嘘にはしたくない。これは“空想”のお話。屁理屈かも知れないけど、その前提で、これを八幡に渡す。これを八幡が面白いと少しでも思ってくれたなら、それで目的は達成だ。それだけ済めば、後は野となれ山となれだ。これは八幡のお話なんだから。

 ……でもこれ、スランプになり掛けの頃に書いたものだから、あんまりよそ様に見せられる程の出来た内容じゃなかったりするんだけどな。まあそれでも、これは私の作ったものだ。スランプながらも書きたいと思って書いたものなんだから、そこは自信を持ってもいいと思う。

「でもさ、これ貰ってどうすりゃいいんだよ」

 手にしたフロッピーをまじまじと見ながら、八幡が何やら変な事を言って来る。

「え? そりゃあ、その中開いて読んでくれりゃいいんだから」

「いや俺パソコン持ってない」

 しょっきんぐ。いや失念していた。

 そりゃあ私が持ってるからって、誰もが持ってる筈って事はないな。解る話だ。私だって、私の周り、大学やらに居る連中が一人残らず持ってる、携帯電話を持っていないんだから。

「仕方がないなあ」

 どうしたものかね。流石にこれを大学のパソコンで見て貰うっていうのもちょっとどうかと思うし。パソコン買えよーなんて事も気軽には言えないかな。十万円単位の買い物なんて、此奴はした事がない。

「パソコン買えよー」

 ビールを呑みながらやっぱりそんな事を言ってみる。

「無茶言うなっての」

 むう、予想はしていたけど、予想通りの答えが返って来たな。

 仕方がない。

「じゃあ、一日待ちな。明日パソコン貸してあげるからさ」

 だから妥協案としてそう言っておいた。

 物書きの端くれとして、どこでも文章を書く為に、私はノートパソコンを持ち歩いている。高かったよ。いい買い物をしたとは思うけれど。

 仕方がないので、明日一日だけそれを八幡に貸してやろう。じゃないとお話も読めない訳だしな。

「あるの? パソコン」

 八幡が意外、という感じで聴いて来る。

「ノートパソコンだけどね。それを使えばここで読む事も出来る訳よ」

 八幡は「はあ」と一応は頷いて答えたけど、まあ、今じゃないというのにはちょいと理由がある。

 一晩だけ待って貰おうか。

 その一晩の間に、自分的なセキュリティをがちがちに固めておこう。一応な。一応。プライバシーの保護というやつだ。見られて困るものなんて、少ししかない。

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