1-3

 ――バス停から歩き始めて三十分程掛かって。私はとあるお家の前に居た。そこで二人のおばちゃんを前に話をしていて、

「あらあら、あんた! トキちゃんじゃないの!」

 そこに突如、三人目が乱入して来た。

「あはは……お久しぶりです、タカヤのおばさん」

 若干引きつり笑いをしながら、私をトキちゃんと呼んだ、新たに現れたおばさんに挨拶をする。

 タカヤのおばさん。これはその人の渾名みたいなもので、本名は高屋敷さんと言う。後の二人は三国さんと津田さん。勿論、全て顔見知りだった。この狭い田舎の中じゃ、知らない人の方が珍しい。

「あらやだ、お久しぶりだなんて畏まった言い方しちゃって!」

「聞いてよおばさんって言うのよこの子! 誰彼構わずおばちゃんおばちゃんって言ってたのにねえ!」

「いいとこの大学で勉強中だってねえ! 都会の子みたいにおしとやかになっちゃったのかしら!」

「そうねえ! 昔はやんちゃだったけどお利口さんなのよこの子! 都会なんて頭のいい子がいっぱい集まって来るんでしょう!?」

「すっごいわねえ! まさかこんな田舎からそんな頭のいい子が出て来るなんて!」

 容赦なく耳をつんざく巨大ヴォイスを浴びせられる。三面楚歌状態だった。四面っていうのは全方位っていう意味合いもあるから、三面だろうと実質これは周り囲まれている状態だ。おばちゃん達の配置、私を真ん中にしてる完全三角形状態だったもの。

 田舎というのは人の数が少ない。ならば当然子供の数も少ない。どこのおうちの誰々ちゃんと、大人から憶えられるのも簡単な事だった。

 勿論その逆もある。ここのおうちのおばちゃんは優しい、そこのおうちのおばちゃんは怖い、どこのおうちのおばちゃんはお喋りだ。と、無意識のうちに我ら幼き子供達は学んだものだ。

 私は今、その“どこのおうち”の前に居る。理由は勿論飲み物の調達。進む道のりの中で一番近かったお家がそこだったんだ。そこで水を貰うってだけの筈だったんだけど、その代わりに支払う代価は、ある意味お金よりも大きい、尊厳という名前のもの。あんまり聞きたいと思わないトークショーに参加してる気分だった。

 気は進まなかったけれど。「浅木の家の時子ちゃんが、久しぶりに帰って来てお水ちょうだいって言って来たのよ!」こんな話が一晩経てば、インフルエンザが感染していくよりも早いスピードでこの町を覆い尽くしてしまうだろう。でも仕方がない。命は尊厳よりかは重い筈だ。

「お洒落なお洋服着てるわねえ、モデルさんみたい!」

「でもね見て見て! この子ずっと背がちっちゃいの気にしてたでしょ! 全然変わってないのよー!」

「貴方知ってる三国のおばちゃん!? 昔っからね、貴方の事お人形さんみたいお人形さんみたいってずっと言ってたのよ!」

「あっはやーめてよ津田さん! 今もちっちゃくって可愛い子じゃあないの!」

「高屋敷さん! お家の子の浴衣持ってるでしょ!? この子ならずっと似合うんじゃないの!?」

「あらそうね! 折角だから持って行っちゃいなさいよねえ! うちの子は図体ばっかりおっきくなっちゃって! 似合う子が着てくれるって嬉しいわあ!」

「三井さんのとこのお子さんも都会に出ていっちゃったでしょ!? あの子も背がちっちゃかったし。折角だから色々持って来て貰いましょうよ!」

「あ、あのー、そろそろ私、家族が待っていますから――」

 気にしている身体的特徴をずばずば指摘され、若干笑顔も引きつらせながら、さっさとおいとましたい旨を極力オブラートに包んで申し出る。このままだと、本当に四面を囲まれてしまいそうだったしな。

「あらま、あんたまだおうちに帰ってなかったの!」

「ちょっと駄目じゃないのー! 帰って来たらね、おうちの方にちゃんと一番に元気な顔見せてあげないと駄目よー!?」

「あはは、ですよねー」

 解っとるわいそんなの。

「それで、ちょっとこれに、お水を分けて欲しいんですけど」

 鞄の中に仕舞っていた、中身空っぽの魔法瓶を抜き出す。ここに来たのは、元々それが目的なんだ。

「あらあらお水!? あんたもしかしてお水貰いに来たの!」

「それがねー聞いてよ高屋敷さん! この子ってば帰る途中でね――」


 ……結局、お水を貰って解放されたのは二十分後。

 時は金なりって言うけども、私が時と共に得たもの失ったものは、お金とはなんの関わりもない、いろんな意味で“人間の命”に関わる幾つかのもので。

 疲れた、本当疲れた。後十分程度の距離が三十分程に思えるくらいには。

 それでも歩く。遠かろうが、歩かなければ近付く事もないんだから。そして、命の元たる水は充分にある。

 魔法瓶を取り出して水をがぶ飲みする。中身はもう半分くらいに減っていた。構いやしない。どうせもうすぐ目的地に着く筈なんだから。

 ……ふと、何かを感じた気がした。視線のような、得体も知れない何か。この暑く、辺りには田んぼくらいしかない所、他の誰かが居たとかそんな事もないのに。

 だけど、それは別段珍しい事じゃない。声を掛けられた訳でもないし、気にしないように歩みを続けた。

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