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 お盆の日の前々日、八月十三日の昼頃。私は目的地にてバスの椅子から立ち上がり、でっかいスポーツ鞄を持ってバスを降りる。降りた途端、むわっとした熱気と、扉の閉まる音と、バスの発進していく音と、排気ガスの臭いと、遠くなっていくエンジンの音と、残る蝉の鳴き声と、青い空に白い雲と。

 それらが順々に過ぎ去っていって、私は一息吐く。よく晴れた暑い日だった。

 久しぶりの故郷は、やっぱり空気なども日常とは違って思えた。なんとなく、すうーっと深呼吸をしてみると、済んだ空気が肺に満ちる。私の居た都会の空気は淀んでいるんだなあと、ここならそう実感出来る。排気ガス等にまみれた空気と、自然に浄化された空気、どっちが好ましいなんて考えるまでもない。

 空気だけじゃない。情景なども、まさしくこれは絵に描いたような田舎の画がここにある。人家が少ない。人影も今はない。バスから降りた他数名の乗客達は、既に散り散りになっていて、今この場に残るのは私一人だ。

 ……少しの間、情景に浸ってみる。ここのバス停には何人かが座れるベンチとひさしが付いていて、太陽からの強い日差し攻撃からこの身を守ってくれていた。そのベンチに座ると、若干暑さが去ってくれたのが解る。自分の傍らに、肩に掛けてあったスポーツ鞄を下ろして、少しの間だらけていた。

 しかし、見事にここには特別目を引くものがないな。まあ田舎だもの。今ここで田舎らしい事を示そうとするなら、すぐ間近に手っ取り早いものがあった。

 それはバスの時刻表。見ると、朝に二便、昼に二便、夕方に二便。合計六便で後は全て真っ白の空欄。今私の住んでいる都会とは、本数にしておよそ十倍程もの差が存在していた。

 これを運行しているバス会社は果たして採算が取れているのか。非常に気になる所だけど、それを普通じゃないと思えてしまえる私は、大分都会に狂わされてるなあと思う。

 だけどそれでも、これは見慣れた光景で、見ているとどこか安心してしまう。見ている方の遠くには緑に覆われた山と、後ろの方には水平線の見える海。後には幾つかの疎らな人家。そして右と左は一本だけの道路。目の前に広がるは、田舎特有の田園風景。多分だけど、稲作とかが盛んとなってるに違いない。まさにこれぞ故郷。見ていてもすぐに飽きが来そうな風景だ。

「さてとっ」

 と、一つ気を入れて。最低限の荷物が入ったスポーツ鞄を肩に掛け直す。そうしてベンチから立ち上り、太陽の陰となっていたひさしの下から出ていって、頭の中で思い浮かべる、家までの道程をてくてくと歩いていく。

 一応、舗装はされている道。所要時間は、徒歩で四十分は掛からない程度。この辺りではバス停に近い所程、裕福な家が多い。お金持ちは大体バス停の十分圏内に家を構えている。まあ、つまりその辺りの事は言わせてくれるな恥ずかしいから。

 さんさんと照り付けて来る太陽の光。さんさんって言葉は、やっぱりSUNSUNって事から来てるんだろうか。太陽が二つになった、と思うと、それは物凄く暑いんだろうなあ。

 空を見上げる。当たり前だけど太陽は一つだ。一つなのに頑張り過ぎだよ。そして当然眩しい。夏も只中で、日差しも特に強い時間帯だ。バスの中は日差しもなく、ぼろいけどクーラーも効いていて涼しかったんだけど、外ではすぐに汗をかいてしまう。半袖のシャツ、肌に太陽光が直接突き刺さり、貫通していくような感じがする。

 鞄の中には、少しの着替えや外へ出る際の必需品などの他に、氷を含んだ冷たい水を入れている魔法瓶を一つ入れている。鞄から魔法瓶を抜き出して、歩きながら口を付ける。冷たい水、それが喉を通って体に染み渡っていくのを感じると、私今生きてるって実感出来る。

 時計を見る。首からネックレスのように吊り下げた懐中時計。これは一日一回、ねじを巻く事を忘れなければ、何年も休まずにちくたく動いてくれている。ご自慢の時計だ。時刻は十三時二十分。因みに昼食は、バスに乗る前、駅前の喫茶店でもう済ませている。

 予想到達時刻は、十四時ぴったり。


 歩いていって十分を過ぎると、風景の雰囲気も大きく変わって来る。多くはなかった人家は更に疎らに、その分畑や田んぼの割合が多くなっていく。相変わらず目を引くものっていうのも特にはない。ゆっくりじっくり歩き続けるだけだ。

 しかし、年単位で離れていた地元なんだけど、憶えているものは憶えているものだった。家までの道順や、道を進んだ先の風景。今こうして歩いている道を、大昔の私達は行ったり来たり走り回っていたんだった。元気な奴だねえ昔のちっこい私よ。今の私は、ここから家まで走って行こう、とはちょっと思えないな。体力が尽きてダウンするのが目に見えているし。ひ弱っちょろい都会もんを馬鹿にしたがる田舎もんの気持ちが、今なら馬鹿にされる側としてよく解る。


 更に五分歩いた。バスから降りた時には遠くに見えていた山が、今ではかなり大きく見える。

 ――先人は言った。百里を行く者は、九十を半ばとせよ。

 そう思えという事だ。例えば百里先を目標に歩いていって、やっと五十里進んだとする。そこを半分、中間地点だと思ったら、残り半分、今までと同じだけの苦労を味わうという事を思い知らされる。この二倍疲れるんだと。だからこそ、無理にでも思い込め。五十里を進んでも、まだまだ半分も進んでいないんだと自己暗示を掛けろ、と。そう思えという意味なんだろう多分。

 だからまだ半分じゃない。私の中間地点は、まだまだ先なんだ。


 ……それから十分程歩いて。水を入れていた魔法瓶が空っぽになってしまった。瓶を振るとからから音はするから、氷はまだ生きてはいるらしいけど。

 見立てが大きくずれてしまっている。もう一本魔法瓶を持ってくれば良かったと後悔した。昔の私なら、三年前の私なら、息切れをするのはもう少し先だった筈なのに。これは都会に居たが故の体力の低下が原因なのか。それともやっぱり、今年の夏は特別暑いんだろうか。

 憶えている限り、この周辺には飲み物を買える自販機なんてない。コンビニや商店――こんなド田舎の只中に三年の間に沸いて出るものか。

 仕方がない。仕方がないから歩き続ける。熱中症とかで行き倒れるなんてまっぴらごめんだし。ここはどこか、それを考えれば飲み物調達はどこででも出来る筈だ。とある対価と引き換えにしてな。

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