序-4

 暦の上では夏も後半。なのにちっとも気温は下がらない。白の短シャツと紺色の短パンという、出来得る限りの涼しい格好をしていても、夏の熱は私の水分(汗)をどんどん奪っていく。部屋の中でさえそうなるのに、これで外を歩いていると、これまた情け容赦のない日差し攻撃を浴び続ける事になる。勘弁しておくれーとお空の太陽に訴え掛けても、ちっとも加減はしてくれない。そして青空を見上げて、日を遮ってくれそうな雲が一つも見当たらないとなると、寧ろ諦め、そしてなぜやら達観的な気持ちが湧いて来る。嘆いていても、暑さは去ってくれないんだと。

 となると、知恵のある人間は避暑の場を求めるものだ。具体的に、手っ取り早いのは日陰となっている場所を探す事。ビルや建物の影とか、お店とかにあるひさしの下だとか。だけどそういう場所は、陣取り合戦の如く日射しから避難して来た人々でいっぱいだった。そんな中に入れたとしても、それはそれで暑苦しい。人口密度的な意味で。そうして帰る頃には汗だくになっている事に変わりはないんだ。すぐにでもお風呂に入りたくなってくる。

 私の今住んでいる部屋には、エアコン、もしくはクーラーなんて文明の利器はない。電気代という観点から見れば素晴らしくエコロジーなんだろうけど、代わりにこの時期は一日中蒸し暑い。天然サウナと化す我が部屋は、開けっ放しの窓からやって来る自然の風と扇風機、そして水道水が命綱だ。特に扇風機は、私が部屋に居る間は一日中フル稼働させてしまっている。電力のある限り一生懸命羽を回し続けてくれているんだけど、多分夜中に寝ている最中に扇風機がなんらかの原因で壊れたら、私はそのまま蒸し死んでしまう危険性があるだろう。

 暑い。

 その感覚だけが、今私の居る場を支配しているような気分になる。ヒートアイランド現象が――とか、エルニーニョ現象が――とか、そんな言葉をテレビで言ってるのを聞く度にうんざりして来る。適当な理屈をこねるとかどうでもいい。とにかく涼しくなる方法は考えられないのかと、思いながらテレビを見続けてもそんな論議は一切なされない。“暑い”という結果に、物事全てが収束してしまっているんだ。それが夏という季節の宿命、といえばそうなんだろうけど。

 現代技術の結晶が、エアコン、クーラー、扇風機だけとは。技術の進歩って、遅い物にはとことん遅いんだよなあ。

 だから、「今日も暑いので気を付けて下さいね」なんてテレビで言っていても、一体何をどう気を付けりゃいいんだか。水でもがぶ飲みしろってか。確かに蛇口を捻れば飲める水は幾らでも出て来るけどさ。いや日本って本当いい国だよねえ。

 ――そんなある日のある時。私の部屋に宅配便がやって来て、小さめの段ボール箱を一つ置いていった。

 内容物、みかん。

 大学に通い、一人暮らしをしている私に、田舎に居る母さんは結構な頻度でみかんを送って来る。今の時期なら夏みかんだ。勿論冬なら冬みかんが来る。実家に居た頃でもそう。私の憶えている限り、あの家にみかんがなかった時はない。夏なら冷蔵庫の中に、冬なら炬燵の上に、必ずみかんが幾つか置かれていた。勿論それには原因があって然りだ。大昔、幼き日に母さんが言った「時子は本当みかんが好きねえ」「うん!」という本当に些細なやり取りがあって以降、私の好物は親族全員にみかんなんだと固定されてしまった。

 まあ、好きなんだけど。送ってくれる事も、全く拒否する理由はない。

 別にこれ自体はいつもの事。何も珍しい事じゃない。……だけどこの日はちょっと違っていた。問題はその緩衝材である包み紙にあったんだ。

 固定観念の産物、およそ二十個。それらを包んでいた新聞紙だ。それは私の田舎にある地元新聞をくしゃくしゃにして詰められていたもの。みかんを取り出し開く際に、本当にたまたま、その記事が目に入った。

 新聞の端っこにあった、小さな記事だった。だけどそのまま見入った。それは私の住んでいた田舎の、その隣町であった事。

 日付は西暦一九九九年。今から三年前の二月末、冬の終わりの事。

 なんにもない町の記事だった。なのにそれは、そんな町にはあまりに合わない、なんにもないを揺るがすような事が書かれていた。

 何度もそこを読み返して、久しぶりに心がうきうきした。

 これには、今の私に足りない部分を満たす、何かがあるんだと。確証はないけど、確信はあった。

 もっと知りたいと思った。

 行動をする力が、湧いて出て来るように思えた。まるでキツめのお酒でも一気呑みした時のように、どんどんテンションが上がっていった。


 多分私は、この時スランプという毒に侵され、頭の方――思考回路辺りが妙な事になっていたのかも知れない。この不調を脱却出来るのなら、なんだってしてやろうと思って。

 ――それがどんな結果をもたらすかも知れないと、想像さえせずに。

 しかし元来、知りたいものはどうやってでも知りたいんだというのが、私の性分だった。だからこそ、その性分に従って、その時私は行動を起こす事に決めたんだ。


 そうして、お盆に合わせて帰省する事にした。その日の夜になって、みかんを送ってくれたお礼の電話を実家に掛けた際、序でに帰省する旨を伝えた。

 昔ながらの黒電話越しにあった母さんの声は、大層弾んでいた。弟の方からも先に連絡があったらしく、同じくお盆の前に帰って来るという事だったから、表向きには久々の家族団らんに混ざろうという話であって。

 という事で、当然ながら裏がある。裏の理由もこれまた当たり前に、あの新聞の記事にあった。あの記事の内容がなぜか、夜寝る頃になってもずっと頭から離れないでいる。頭の中を占領していた。だからこそ、動こう。すぐに動くべきなんだと思ったんだ。




 記事の内容は、とある病院――私の元居た地元唯一の大病院だ。そこに入院していた少女A――未成年だ。名前も書かれていない――その子が息を引き取ったのだという見出しだった。

 それだけならまあ、ご不幸な事だとは思うけど特に眼を引くものじゃない。三年前という古めの記事でもあるし、見も知らない他人の話なんだから。だけど問題はそれまでの経緯にある。

 少女Aは、脳死状態にあった。正確には、一年以上の重度意識障害、いわゆる植物状態からの脳死判定だ。それは体は生きているけど、脳の機能は死んでいると見られていた状態だった。

 医学の事は残念ながら詳しくはないし、脳死とかになった事はないから解らないけど、脳が死んでいると言うのなら、頭の中の、何かを考えるとか、体の何かを動かすとか、そういう機能はまるでないんだろうと思う。

 心臓は通常、自分の意思に関係なく動く。心臓が動くのは、血液中に取り込んだ酸素を、全身――とりわけ脳に送り届けるという事が最も重要な働きだ。これが滞ると、脳が酸欠を起こし、脳の動きはあっという間に鈍り、あっという間に気を失って死んでしまう。逆に、それをどうにかして動かし続けていられれば、一応医学的定義では“生きている”と言う事が出来る。医療ドラマなどによくある、心電図の映像。あれでよく解るように、心臓が止まろうとすると必死で心臓マッサージとかして動かそうとするんだ。逆に、動くと医師は安心している。命は心臓と直結しているんだ。そこに繋がる脳が死んでいるとなれば、心臓が動いていてもなんの為に動いているのか、という話になってしまう。

 と、話が少し逸れたけど。とにかく少女Aは脳死状態だった。そうして二年間その病院に居た。

 じゃあどうしてそうなったか。これは今現在から三年前の新聞の記事。そこに書かれていた更に二年前の冬の事。少女が十五歳の時に、その家に強盗が入ったらしい。

 一家惨殺事件――当時にはそう報じられた事件だった。当時少女Aは重体という表現だったけど、後の結果を見れば一家惨殺、まったくその通りだ。三人家族で、両親はその時に殺されている。

 犯人は逃走したと書かれているけど、その三年後になぜかどこかの山の中で死体になって発見されていた。死因は外傷の見当たらない、急性心不全、らしい。便利な死因だ。要は、“なんらかの原因で突然心臓の機能が止まった”訳だから、実質不審死イコール急性心不全というのは、殆どの事例に当て嵌まってしまう。明確な死因が解ったならその名で表す事が出来るけど、こうした事件で言う急性心不全っていうのは、つまりはどうやって死ぬにまで至ったのか、詳しくは解りませんって事。

 まあ、それは単なる悪人の末路だ。そこの部分は本当どうでもいい話。

 と、事のあらましを復習してみたけど、これ程の事件は、私のこの町の住人としての経験上、聞いた事がない程の大事件だった。ひょっとしたら、全国ニュースになっていてもおかしくないんじゃないか、と思う程に。

 だけど、私は知らなかった。それは大学入試の猛勉強中の頃の事、だったからかも知れない。騒音があったとしても気付かない程集中してたし。

 ……ちっ。あと三年早く知っていたら。

 だけどまあ、そんな程度は今からでも挽回出来る。

 だから帰って行くんだよ。三年前の事でも、知る事は出来る。その新聞に書いてあった、更なる矛盾を。


 中学生の最後の時に死に体になって、入院したままだった筈の“少女A”。

 彼女は、亡くなるまでの二年間、高校生として学校に存在していたのだという――。

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