推される側の人間

 生まれて初めて、推しができた。


『推し』とは、日本のファンダム文化において、自分が応援している特定のキャラクターや、アイドル、俳優、アーティストなどを指す言葉であるのと同時に、クラスの隣の席の男の子や、通学の電車で一緒になる高校生など、身近なお気に入りの人物にも使用することがある。


『推し』は「推す」という動詞から来ていて、文字通り『推薦する』とか『応援する』とかの意味を持っている。ファンが自分の一番好きな人物やキャラクターを「推し」と呼ぶのが、一般的だ。


『推し』は個人の自由であり、その人の価値観によって普遍的に形容される多様性に対応した、言葉である。誰か一人に限らず、複数の推しを持つこともあれば、『箱推し』と言ってグループをまるごと推すこともできる。


 頭に、小湊 みさきとコラボしたベースボールキャップ


 身体に、小湊 みさきTシャツ アイドルVer


 目に、アンメリカコラボサングラス 小湊 みさき


 背中のカバンに、びっしり缶バッチ。


 耳に、コラボ ヘッドフォン

 

 心に、小湊 みさき。


 部屋のなかにある鏡で、全身を映す。全身が小湊 みさきに包まれている。全身だけではなく、身体の内側にも小湊 みさきが宿っている。小湊 みさきに撫でられ、抉られ、しかし、盲目ではなく、考える脳みそだけは、僕だった。



「似合ってない……」



 小湊 みさきは僕の推しだった。


 しかし、僕には小湊 みさきが似合わなかった。




◇◇◇





「僕は推される側の人間です」



 用意された椅子に座り、4人の大人に囲まれる。険しい顔の人、ニコニコしている人、鋭い目の人、真面目そうな人。彼らが面接官の人たち。成長中の企業に所属している特殊な採用担当の人たちが完璧に仕事をこなすなら、会社の方針にのっとった、正確無比な選考を行うはず。

 

 僕はビジネスカジュアルに身を包み、口角を上げてハキハキと話す。


 中の人の容姿は、それほど重要視されないはずだけど、今日までに、肌の調子を整え、美容室で髪をセットし、できるだけ良い印象を持ってもらうように努めた。


 Vtuberオーディションというのは、能力が高い順番に合格するわけではない。


 時期によって、会社の方針は変化し、合格の基準も変わっていく。


 変わっていく基準のなかで、想定が簡単なものもある。


 一つ目は、相対的な基準。既存のVtuber、もしくは他の応募者と比べて、能力が突出しているかどうか。そして、それを証明できるか。つまり、プロゲーマーでしたとか、プロの歌手でしたとか、そういう人は合格する。


 二つ目は、絶対的な基準。業界、もしくはインターネットにおいて、特殊性や新規性があるかどうか。今までなかったアイデアというのは、例えを出すのが難しい。とにかく、ニュースターに成り得る、Vtuberに変革をもたらす存在というのは合格する。


 三つ目は、人気者になるかどうか。面接官の人に、この人がVtuberになったら人気が出そうだなと思ったら、合格する。身も蓋もない話だが、おそらく間違った考えではないと思う。だから、僕はできるだけ印象良く話す。



「強みは、文章表現です。言葉のプロとして活動してきた経験があります。Vtuberとして活動していく中で、言葉が重要になる場面では、抜きん出て良いものを出せます」


「Vtuber文学を成立させたいです」


「私小説として自分のVtuberとしての活動を書いて出版したいです」



 僕はVtuberを目指すにあたって、ノンフィクション作家としての才能とノウハウを武器にすることにした。



『Vtuber文学』は僕が考えた新しい小説のジャンルである。


 Vtuberに関連する小説は、全てVtuber文学と言っていい。


 Vtuberと小説は相性が良い。調べてみると、ライトノベルなどはVtuberを積極的に起用している。Vtuberを題材にした作品、有名なVtuberをプロモーションに起用する作品、それから作品のヒロインをVtuberにして宣伝する作品など、その起用法は多岐に渡っていた。


 フィクションのVtuber小説はすでに存在していることを踏まえ、Vtuberの小説に新規性を持たせるとしたら、僕が書くべきなのは、エンタメ性を多少は内包したノンフィクション小説である。今を生きるVtuberのリアルを小説にする。凡打さんの記事を書いている、延長線上に、その活動がある。

 

 ノンフィクションの小説に加え、Vtuber文学として、私小説を書くことに決めた。私小説とは、日本文学に特有の、作者自身を主人公として、その直接経験に文学的な取材を行うような形式で書かれた小説だ。つまり、僕を主人公とした小説を、僕が書く。



「このオーディションの場面も勿論、描くつもりでいます。みなさんも小説の元ネタにしますからね。僕の小説にカッコいい感じで登場したかったら、カッコいい質問をください」


「じゃあ、一ついいかな」



 ニコニコしている人が挙手をする。

 


「はい」


「今、最もニッポニアのVtuberとしてデビューするべき人は誰だと思う? Vtuberになったら話題になりそうな人、成功する人、輝ける人、どんな基準でもいいから、自由な発想で考えてくれ」



 真っ先に脳内に浮かんできた答えは、小湊 みさきの中の人。


 でもこの答えでは、僕のVtuberとしての素質を見せることはできない。それに、小湊 みさきが卒業してすぐにデビューするべきではないだろう。だから、今、デビューするのに相応しいなんてことはない。


 これは大喜利だろうか。それとも、ただの質問だろうか。


 真っすぐに、僕ですと答えるべきだろうか。


 僕ですと言わなくても、圧倒的な答えを用意できたら、僕がニッポニアのVtuberとしてデビューするべき人として相応しいとしてくれるはずだ。だから、ここで僕ですとは答えない。


 自由な発想ね。


 誰でも良いのだろうか。

 

 Adoとか、藤井聡太とか、ディープインパクトとか。


 歌姫Vtuberとか、将棋Vtuberとか、ゴルシちゃんのぱかチューブっ!的なVtuberとか。


 でも彼らはVtuberにならなくても、推される側の人間(馬)だ。


 難しいな。


 活躍している有名人では、答えにならない。


 みんな、どこかで、誰かに推されている。


 生まれて初めてできた推しは、小湊 みさきだと思っていたけど、僕に自覚がなかっただけで、推しというのは、これまでの人生でたくさんいるのかもしれない。


 僕はコントレイルという競走馬が大好きだ。

 だから、コントレイルが推しと言える。


 それから、大谷 翔平の活躍を毎朝確認している。

 これも、推し活と言える。


 ふと一人、思いつく。

 今は、推せないけど。

 その人が、Vtuberになったら、推せる。


 思いついた人が、Vtuberになりたいかどうかというのは別として。



「大谷翔平の奥さんとか、Vに向いてると思いますけどね」

 

 







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