アカデミー1日目 ①
アカデミーに合格した。
ニッポニアの本社は、都内某所に存在する。
11階建のビルの、7階から11階までが、ニッポニアのオフィスであり、アカデミーは10階にあった。
ちなみに、下の階にはスマホゲームアプリの開発運営を行う会社と、そのアニメ事業部などのオフィスが入っている。
ビルの位置を確認して、まだ時間があるので、近所のカフェに入る。
店内は冷えていて心地よかった。
9月下旬だけど、まだ外は暑い。
大学の夏休みが終わり、忙しくなってきた時期にアカデミーも始まる。ノンフィクション作家としての仕事もあるので、忙しい日々が続く。
「一名様でよろしかったですか?」
コクンと頷く。
店内はそれなりに空いていた。空いている席に案内されて座る。四人用の席だから、スペースを大きく使い、ゆったりすることができた。カフェオレを注文して、机の上にメモを広げる。メモには、行動と、風景と、感情が書かれている。
僕が喜んでいるときに、外には雨を降らせる。感情と、風景を乖離させる。私小説で他者性を表現する簡単な方法だ。他者性のない私小説は、純文学というジャンルでもそうだが、評価されない傾向にある。
Vtuberを目指し、その目途が立つと、身バレが怖くなった。人に声を聴かせるのが怖いし、ノンフィクション作家として出会った数人の知り合いなら、Vtuberとしてデビューした僕を特定することができるだろう。Vtuberとして人気が出たあとでは、無為に道で声を出すこともできないし、不特定多数の人が集まる場所で会話をすることもできない。
不特定多数の人たちは、普通に暮らしているだけだ。誰も、日常生活で出会ったVtuberを晒してやろうと機会を伺いながら過ごしている人なんていない。彼らは他者であり、そういうことを小説で書けたら、他者性のある小説ができる。
単に俯瞰して物事を考えたら良いというわけではない。
僕はこうです。
社会はこう見えています。
読者の貴方はどうですか。
この姿勢が純文学には必要だ。それが、小説の個性と、社会性、他者性の正体であり、面白い小説の条件だ。しかし、これが分かれば面白い小説が書けるかと言われたら、そんなことはなく、僕たちは玉石混交とした文章の隙間から、宝石よりも鋭い星を見つけないといけない。
その点、Vtuberは星だった。
新種の小説星雲こそ、Vtuber文学の正体である。
◇◇◇
到着したカフェオレを飲み干すころには、集合時間も近づいていた。僕はメモをカバンに仕舞い、お会計をしてカフェを後にする。
外は暑いけど、緊張が暑さを紛らわしてくれる。
ビルの中に入り、受付をする。受付のお姉さんに要件を聞かれたので「アカデミーの入学式に伺いました。清水です」と答える。これだけで、お姉さんに身バレしている。
お姉さんはただ、仕事をこなすだけ。ニコニコした表情をしながら「確認がとれました。左手のエレベーターに乗って、10階です」と案内してくれる。お姉さんは他者だった。彼女はVtuberの配信とか、見るのだろうか。社会人という肩書は、どれほど信頼に値するのか、まだ分かっていない。
エレベーターに乗り、大きな鏡を見ながら前髪を整える。気合いが入りすぎていてもカッコ悪いので、大学に行くときと同じ、ラフな服装だ。顔には下地だけ塗って、血色がよく見えるようにしている。眉毛は描かなくても、カミソリで整えるだけでいい感じになる。
香水は爽やかな匂いがするものを選んだ。
清潔感も充分だろう。
エレベーターが10階に到着する。廊下に出ると、看板に「アカデミー入学者はこちら→」と案内があった。矢印に従って廊下を歩くと、端っこの方にある部屋に辿り着く。部屋の名前は、多目的室①である。ドアについたガラスから、部屋の様子を覗くと、すでにたくさんの人が集まっていた。
僕は焦って、腕時計を確認する。
大丈夫、5分前に到着している。
静かにドアを開けて、音を立てずに入室し、ドアを閉めるときには少しだけ音を立てる。部屋のなかにいた多くの人が、僕のほうをチラッと見てくる。部屋のなかには、僕も含めて7人の生徒がいた。指定された席はないようで、生徒たちはまばらに座っていた。
どうやら女性が多いようだ。男性は、僕を含めて二人だけ。
間隔を空けて座ることはできたけど、こういうとき、臆せずに誰かの隣に座ることができる人間がVtuberとして大成するような気がする。さきほどからチラチラ、僕を見てくる女性の隣に座った。
女性は僕に隣に座られるとは思わなかったようで、「えぇぇ」みたいな表情をしたあとに顔を背けた。
「おはようございます。自己紹介って、この場合、本名でいいんですかね?」
「あっ」
僕が話しかけると、女性は振り向いた。なんだか嬉しそうな顔をしていた。話しかけられたのが嬉しかったのだろうか。
「い、いいと思いますよ! 本名で。恩田 美羽です。わたし、経験者だからなんとなく分かるんです」
「へえ。経験者ですか。 清水 透です。よろしくお願いします」
「よろしくぅ、ふふ」
恩田さんは、にへっと笑った。
どこか幼さが残る女性だった。髪の毛はとても綺麗で、肌も艶やかだ。自分の容姿を理解している垢抜けた女性なのに、猫背で、あまり堂々としていない、言ってしまえば陰キャな雰囲気を感じた。
「経験者ってことは、Vからの転生ってことですよね? 僕は、Vtuberあんまり詳しくなくて、色々と教えてください」
「いいよ! なんでも聞いて!」
恩田さんは元気だ。そんなに大きな声で返事をしなくてもいいのに。声のボリュームを調整するのが苦手なのだろう。
ささやかな胸をポンと右手で叩いて、「まかせなさい」というのを態度で示してくれる。良い人なのは十分に伝わった。
「Vに詳しくないのに、よくここに辿り着いたね」
「仕事でVの人と関わりがあって」
「へえ? どんな仕事なの?」
「Vの人に取材して、雑誌で記事を書いていました。仕事内容はライターですけど、肩書はノンフィクション作家です」
「ノンフィクション作家?」
「ノンフィクション小説って知ってます?」
「……ごめん、分かんない」
小説にあまり興味がない人なら、ノンフィクション小説というジャンルを知らない人もいるだろうね。
「実在する人物や、実際にあった事件に基づいた物語が書かれた小説です。それを書いているので、ノンフィクション作家。Vtuberとノンフィクション小説は、かなり相性が良いですよ」
「なんで?」
「力強いキャラクターを持っているからですよ。僕がVtuberを目指すキッカケとなった人を見たときに、初めてみたのが卒業ライブだったんですけど、ああ、この人の小説があったらな良かったのにと思ったんです。なんで、僕が書きに来ました」
「……すごい行動力だね。その子が推しなの?」
「そうですね。死体に恋をしたみたいな……。ちょっと悲しい推し活ですけどね」
「そっか……。その子のお名前は?」
「小湊 みさきです。知ってます?」
この場の全員が知っているであろう名前を口にする。
彼女は伝説のVtuberだ。
小湊 みさきの名前を聞いた恩田さんは、へにゃっと笑った。
恩田さんは、どのくらい有名なVだったのだろうか。恩田さんの前世を聞いたら、ここにいるみんなは分かるのだろうか。
「……知っているよ」
そう呟いて、恩田さんは正面を向く。
ハラリと落ちた前髪を耳にかける。
僕は隣の席から、恩田さんを見る。
その恩田さんの横顔には、星の輪郭が見えた。
Vtuberの横顔~同期の陰キャVtuberの前世が、卒業した伝説のアイドルVtuberだった~ フリオ @swtkwtg
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