14-2

 ……姉ちゃんが、紅茶を飲んで、一息吐く。

「ふはあ……美味しいよねえ……」

 和む姉ちゃん。……なんとか誤魔化せたか。でもこんなの全部フォローするのは無理だ。帰るまで奴らが引っ込んでくれてればいいけど、でもなんで俺が霊的な方を守らにゃならんのだ。

 なんだか段々理不尽に思えてきた。いっそばらすか? 姉ちゃんがびびる? 曰くどもがびびる?

 ……あれ? どっちにしても面白い?

 だよなあ。俺はもうびびりはしないし。

 ……仕掛けてみようか?

「あ」

 姉ちゃんがなんか反応した。

「お風呂借りるねー」

 トイレ借りるねーくらいの気軽さだった。

「いいけど」

 そうして、姉ちゃんは風呂場に向かった。

 俺は理由を知ってるから断らない。物書きの卵たる姉ちゃん曰く、風呂場はクリエイターの聖域(サンクチュアリィ)なんだそうだ。閃きは風呂場にて形になるんだと。

 だから姉ちゃんは、ネタを整理する為にお風呂に入る。それは突然。周囲には前触れとかは解らず。何かが閃き掛けた時にお風呂に入り、その序でで体を洗う。この為に、姉ちゃんは水で濡れないメモ帳を持ち歩いてる。持ち歩くという事は、つまり風呂がある環境なら、時間問わず場所問わず入るつもりなんだ。そのタイミングはネタが浮かんだ直後。このモードに入ると、一日に何回も入るのも珍しくない。どこの家の風呂場やトイレだって筆を持ち込む事だろう。実際今も持っていってた。

 大体の奴は、これを聞くと変な姉ちゃんだ、と思う。

 だけど俺は思わない。それが当たり前となれば、変な事も変じゃなくなる。

 丁度ここみたいにな。


 姉ちゃんは退屈を嫌ってる。だから退屈で退屈でなんにもない田舎を飛び出していった。俺はあそこを退屈だとは思わなかったけど、田舎を出たのは姉ちゃんを追い掛けて、みたいな感じでもあったのは確か。一緒の大学には行けなかったけど。

 ――不安があった。

 そう思ってた事をはっきりと言ったらどうなるか。姉ちゃんが居てくれたら。

 それはどれだけ心強いか。姉ちゃんが、ここで味方で居てくれたら。

 俺は何も怖くないと。今までよりずっと、強い心を持って対処する事が出来ていたかも知れない。

 ……少なくとも、今まで退屈はしないで済んだけど。一人でも。

 姉ちゃんが居なくても。乗り越えていかないといけない事もある。


 ――ねえー。


 風呂場の中から、声が響いて来た。

 ――誰かタオル持って来てくれないー?

 お風呂に入ってからそれを所望するってなんだよ。

 ……あれ? なんだろう何か引っ掛かった。

 なんて言った? “誰か”?

 何の意図があってそう言ったのか、最初は解らなかった。だって今ここに居るのは俺一人――。

「はい、只今」

 てこてこと、タオルを背負うように体に掛けて、引きずって進む何かが。

 その声、里香さん。

「ってちょっと待って待って待って!」

 里香さんが行っちゃ一番不味い! 歩く喋る考える。映画に出て来るヒューマノイドロボットみたいな奴がいきなり出て来るって、どんな言い訳をするのも不可能。

 だけど急に歩みだした里香さんを止めるのはもう無理――それにさっき、いっそばらそうとも思っていた、その思考がせめぎ合って、“なんとしてでも里香さんを止める”と動こうとする意思と、“いやもう止めなくていいんじゃないかな”と放置する意思が頭の中でぶつかった結果。それらの判断能力が一瞬完全に停止してしまった。

 その間に里香さんが風呂場の戸をこんこんと叩いた。

 もうだめだおしまいだー。

 ――持って来てくれたのー?

「はい、ここに」

 がちゃっと、風呂場の戸が開いてしまった。

「ありがとー里香ちゃん」

「お役に立てたなら幸いです」

「そだー、折角だから一緒に入るー?」

「あの、しかし私はこの通りの人形ですから」

「湯船じゃなくてもさー、ちょっとお話とかしようよー」

「はい。それじゃあ」

 ばたん、と風呂場の戸が閉まった。

 ……。

 ……。

 あれえ?




「あーっはははははははは――!!」

 まず最初に大笑いされた。風呂から上がって、俺の顔を見て指差して。

「あんた、これ、いつまでぽかーんって顔――っはは、ひー、ひー」

 体にバスタオルを巻いた格好の姉ちゃんは、その肩に里香さんを乗せていた。里香さんは、姉ちゃんの首と髪の毛を持って、体を支えてた。

「ふ、ふふー。い、いつまでも呆けてないでさ、そろそろ帰って来なよー。どっきり大成功ーってね。てってれー」

 笑顔でブイサインをする姉ちゃん。

 いや姉ちゃんよ。これに対する種明かしを俺は所望する。一体これ、何が何やら。俺は今、驚きの連続で考えるのをやめた状態なんだ。

「はー、いやさ、あたしが来てから、あんたはずーっと挙動不審だったでしょ。最初っからそこんところの事情全部解ってたけど、知らないふりしてたらあんたがどこまで頑張るかなーってふはははは――」

 さっきから今までずーっと笑いっ放し。つまり、姉ちゃんは、最初から俺をずーっとからかってたんだ、と。

 がくう……。

 床に膝を、そして両手を。力が抜けて、完全落ち込みのポーズに。

「お、俺の苦労って……」

「面白かったよ?」

「面白くしてたんじゃねえぇ……」

 脱力語。

「まーまー。真面目な話さ、最初にあんたの顔見た時には結構心配してたんだよ、こう見えても。こんなに色々居る中で、あんたはそんなに鈍感なのかなって。それとも意地張ってるのかなってさ。

 でもさ。それから色々誤魔化そうとしてた訳じゃない。これが住んでて一週間って程度なら、弟やべーよって思う所だけど。あんたは解ってて二、三ヶ月程住んでたって事だ。一人暮らしだけってよりずっとやばい所で上手くやって来れたんだから。解っちゃったらもう心配なんてしなくていいでしょ」

 ……解るような……でも何かちょっと釈然としない……。

「それにここすっごく面白そう」

「うわ出たこれか。これが本音か」

「いえーす。って事で予定変更。取り敢えず、今日はここに泊めさせて貰おう」

「……はい?」

「あたし、ここで、ひとばんとまる。おけー?」

「おけー? じゃねえよなんでカタコト!? いや、そんなの――」

「断られたら、依頼主の父母(とうかあ)さんに、ありのまま今まで起きた事を報告するしか」

「……お布団用意します」

「夕飯もお願いねー」


 姉ちゃんには、最初からこの部屋の曰く付きが見えてたらしい。

 事情をはっきり解った上で、更にここに居たいんだと。

 この嵐が二日で済むのか、今はまだ解らない――。

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