11 マインファーター、マインファーター

 夕方頃の事。

 俺の部屋に、いつの間にか猫が来るようになった。


 元々その茶トラの猫は、この辺りでよく見掛けてた野良だった。窓越しに塀を通り掛かっていく姿を度々目撃していて、その度、部屋を覗くような仕草を取る、愛らしい子。

 猫は嫌いじゃない。寧ろ好きだ。見たら撫でたい、とまでは行かなくても、歩きざまに見たら、足を止めて、ちょっと和む、くらいはする。

 そんな野良、よく見掛けるものだから、ある時そいつにたまたま買ってきていた魚肉ソーセージをやった。食った。

 それで顔を覚えられたらしい。次に見た時、そいつは向こうから寄ってきて、「なー」と鳴いた。

 日本語に訳すと、「餌くれ」だろうか。

 また偶然持ってた魚肉ソーセージをやった。食った。


 そして今に至る。


 机に向かって勉強中。窓を開けていると、突然我が物顔で部屋に乗り込む茶トラの野良猫。

 俺は嫌いじゃないからいいけど。……でも一応確認をしてみよう。

 手に取るは、この部屋を借りた時の契約書。

 ここはペットOKとは書かれてない。でもペット禁止とも書かれてない。

 そもそもペットどころの話じゃないよな。ペットより物凄いのが、ここにはうじゃうじゃ居付いてるんだし。

 だからまあいいか。そもそもペットにはしないぞ。好き好んでエンゲル係数を増やしたくない。遊びに来るくらいならいいけどな。魚肉のソーセージも一つくらいならあげてもいいだろう。そして差し出すと食った。

 餌を食って満足し、図々しくも畳の上に寝っ転がる。

 油断し過ぎだこいつ。野生の癖に。俺が悪い男で、猫好きもふもふしたがりだったらどうすんだよ。でもちょっと野良って色々心配だな。後でノミキラーでも買って来ようか。

 ……と思うと。

 がばっ。

 とその猫が起きて。

 じー……っ。

 と見る。

 どっかを。


 ――古来。猫の眼には死者が映る、と言われて来た。

 突然部屋の隅とか、何にもない所を凝視するのは、そこに“何か”が居るのが、猫には見えているのだ。とも――。


 ……おいおい。

 まあ、こんなの今に始まった事じゃない。そんなネタはここじゃ日常茶飯事だ。

 じーっ。

 ……気になるのは、その猫の顔が、ちょっとずつ動いてるような。

 いや動いてる。最初部屋の右隅を見ていたのが、左隅を見ようとしてる。

 これは、あれか。

 つまりはこの猫の眼に見えている“何か”が、動いていると。

 気持ちが悪いわ。まあいいけど。

 猫の目線が左隅に。

 それから、止まらず、

 こっちに向いて来た。

「っておい」

“何か”が来たらしい。俺の方に。

 なんでだ猫。こっち見んな。

 じーっ。

 猫が俺の腹辺りを凝視している。

 やめろよ、それってつまりその辺りに何か居るって事だろ。俺には見えないけど、じゃあなんであの猫はこっちを見てるんだよ。

 ……後ろを見る。何にもない。壁しかなかった。残念ながらどっかの歌みたいに言い訳出来そうなものが皆無だ。おとーさんおとーさんあの壁に何かあるよ。坊やあの壁は只の壁だよ。なんにも捻りがねえけどな。

「なー」

 鳴かれた。

 言葉を投げ掛けられても解らんよ? 俺は猫語は履修してないからな。

「うるるるるる……」

 と、今度は唸り出した。だから猫語は解らんのだって。唸りたい気持ちは良く解るけどさ。

 とにかく、ここから離れてみる。

 立ち上がって、机、座椅子から身を離す。すると猫は、俺が今まで座っていた、今はなんにもないそこを、ずっと凝視している。

 じー……。

 目を凝らして見ても、なんにも見えない。

 だけど猫は、動いていたりする俺の方は無視してて、俺の元居た机、座椅子の方向を、奇怪な何かを見るみたいにじっと見てる。

 即ち、そこにはやっぱりなにか居ると。

「うやっ!!」

 猫が急に咆えて立ち上がった。いわゆる警戒、臨戦態勢の構え。

 なんで!?

 ……やっぱり見えない。

 でももう一度猫を見ると、

 今度はそいつがこっち見てた。

「んのわっ!」

 飛び退く。俺は移動したのに、猫の目線は移動してない。

 なんなんだ。この猫さんは一体何を見ていて、何をそんなに怖がってらっしゃるのか。俺には解りませんぞ。

 とはいえ、俺は一体どうすればいいのか。この部屋には、今俺には解らず、しかし猫には解る脅威が存在する、という事か。

 怖いぞこれは。でもこうなると。この猫しか俺には頼るものが居ないとしか。だって俺には全く解らないもの。

 俺は猫の方に寄っていく。今ここで得体の知れないナニカに対抗出来るのは、そのナニカが見える猫しかない。

 猫は俺が寄っていっても逃げたりしなかった。

 今更逃げられても困るけどな。俺に構わず猫は唸り続けてる。

 猫がそっちを見てる。……という事は、猫の見てない所に居れば、取り敢えず安全なのだと。まだ危険な目には遭ってないけど。

 とはいえ、どうにかしようにも見えないんだから。俺に重なってた、らしい事を思うと、例えばパンチキックをかました所でどうにもならないんだろうな。

「どうしたらいいんだ?」

 猫の隣にしゃがみ込み、猫相手に訊いてみる。

 と、突然猫が、

「うにゃっ」

 と俺の背中に跳び乗った。

 ふらっ。

 あれ、一瞬目眩が。目がちょっとぼやけて。だけど、そこに――、

「うおっ」

 びっくりする。その勢いで猫が飛び降りてしまったけど、そうすると目眩が止まって、ぼやけたのも元に戻った。

 ……はー……。

 凄く変な気分になったけど。“あれ”は、なんと表現したものか。

 形容するのも難しいけど、ちょっと確認しよう。さっき、猫が俺の背中に跳び乗った瞬間に、真っ黒いもやのような“あれ”が見えて、猫が離れたら見えなくなった。

 そこから導き出される事。

 つまり、あれは猫の視界だった?

 猫が見ていたものが見えたんだろうか。……まさか。いやそんな馬鹿な、はっはっは。

 ……って笑える話じゃねえよなこの部屋だと。

 取り敢えず、やばいのが居るっていう点なら、この部屋では充分にあり得る事だ。猫が怖がる何かが出てきても不思議じゃない。

 すると、やっぱり“あれ”は。

 心霊系が出てくるのは、この部屋では否定出来ない。それが猫が怖がるものである、まあ解る。俺には見えない、そりゃ幽霊だもの見える見えないもある。

 では、ここでクエスチョン。猫が俺に触ったから、猫が見えていた幽霊が見えた。さあこれが正解でしょうかお考え下さいどうぞ。

 ……俺なら迷う事なくスーパーヒトシクンを置いて答える。これ以外の答えがあるのか。これでボッシュートされてしまったら、俺は寧ろ人の世に潜む不条理こそ嘆くだろう。

「なあ、ヒトシクン」

 隣でまた威嚇してる猫を呼んでみる。ヒトシクン(仮名)は、俺の声に「にゃ」と鳴いた。

「俺らが協力すれば、“あれ”をどうにか出来るかも知れない」

「おあぁ……」

 嫌そうな声がした。そりゃあな。俺にとっては住処なんだからどうにか追っ払いたいんだけど、猫にとっては只ここから逃げれば済む話だ。

「上手く行けば、ソーセージを山程ご馳走しよう」

「にゃっ」

 肯定的発言。

 どうやら契約成立したようだ。

「よし、取り敢えず俺の肩に」

 再び、ヒトシクン(仮名)が跳び乗って来る。その瞬間、目眩と共に、視界の中に“あれ”が映る。

 猫が触れると霊が見える。変だ。でもこの件に関してはありのまま今起きた事を受け入れよう。なぜか、という疑問とかツッコミとかは取り敢えず一切頭の中から放り出す。

 でも正直、どうすればいいのかなんて解らない。なにせ形容しがたいナニカが相手なんだから。解る事は、あれが移動出来るという事くらい。敢えて形を表してみるなら、下から盛り上がったスライムみたいな――やっぱりよく解らないな。

 この時に思ってたのは、“あれ”が見えないから手出しも出来ない、という事で。逆に見えれば、手出しも出来るんじゃないかと。

 よくよく考えればそんな保障どこにもないけど、その辺りはよくよく考えない事にした。だって今この勢いがなくなったら、本当に対抗手段がゼロになるもの。

 このノリに身を任せたまま、気合でどうにかしてくれよう。

「うりゃあ!」

 いきなり幻の左ストレート――ヒトシクン(仮名)が右肩に居るから左しか思い切ったパンチが出来ないんだ。

 それが、綺麗に当たって、“あれ”が少し怯んだ気がした。おお、効いたぞ。

 でもそれで怒ったのか、“あれ”の頭らしき所から、何か黒い霧みたいなのが伸びて来た。

「なんだこれ!?」

 思わず逃げる。なんとなくだけど、あれに捕まったら良くない事になる気がする。多分、あれは二度と離れないとか、俺を吸収してしまうとか、或いは呪われるとか、それっぽい想像が出来てしまうくらいにはやばそうだ。

 だから回り込んでいく。パンチはあまり出来ないな。あの伸びている所に近付く事になってしまう。

 だから今度は、回り込みながら、踏み込む足を軸にしての回し蹴りを。

 どかりと。

 確かな手応えがあって、“あれ”がぐらつく。頭からの霧みたいなのを、パニックを起こしたみたいに色んな方向に振り回していた。

「にゃー」

 セコンドのヒトシクン(仮名)が鳴く。今の“あれ”と、長期戦をするのは良くなさそう。頭からのやばそうなのもあるし。

 なら今この時。“あれ”が混乱してる(っぽい)この一瞬に、必殺を食らわしてやるしかない。恐らくヒトシクン(仮名)もそう言ってるんだろう。ウルトラ的に言えば、今こそスペシウム光線的なのを出す時だ。

「成仏せいやあああっ!!」

 渾身の蹴りをお見舞いする。どかりと蹴り飛ばされた”あれ”が、玄関ドアに衝突――せずに、すり抜けていって消えてしまった。

「うっしゃー!」「にゃーっ!」

 俺とヒトシクン(仮名)は、一緒に勝利の雄叫びを上げた。それは共に立ち上がり、脅威と戦った人と猫の間に、厚い絆が芽生えた瞬間でもあった。




 それ以来、ヒトシサン(メスでした)は度々俺の部屋に来ては、魚肉ソーセージをねだってごろごろしてる。姉ちゃん、やっと俺にも部屋に呼べるマブダチが出来ました。

 あの時みたいに、この猫に触っても変なのは見えずにいる。つまりはヒトシサンにとっての怖いものは、この部屋には居ないんだろう。

 だからと言って、俺にとっての怖いものが居なくなるっていうのは別の話らしい。まだまだこの部屋は相変わらずだ。

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