10 真逆たるかな

 ちゅんちゅんと、鳥が鳴いている朝。

 目が覚めると、すぐ前に木目があった。


 ……なんだ、これ……。

 ……なんだこれ、

 なんだこれ!?

 木目!? 木の模様!?

 いきなりパニックになる。

 寝ていて眼が覚めて、そんなものを間近に見るって事は、今まであんまりないなあ。

 でもこれ……一体なんなんだろう。俺の部屋の中なのは間違いない筈だけど……。

 ふと、横を見る。

 ……傘?

 傘みたいなものが。

 いや、紐がある。電灯だ。ぶら下がり電灯。

 なんで、それが真横に? 見慣れた物だけど、見慣れない見方になってる。

 ……。

 なんだか、背中の感覚も変だし。まるで水の中みたいな。

 ……前。真横。背中……。

 後ろを向いてみる。

 ……寝ていた。

 布団で誰か寝ていた。多分、その顔見た事がある。

 鏡とかで。


 俺が寝ていて、俺がその上に居ました。


 ……意味が解らない。なんだよこれは。

 幽霊とかは見慣れてたけど、まさかこうなるか。俺が幽霊とは。なんでだよ。

 でも、

 ……くかー……。

 寝ている。俺が。

 我ながらすっげえアホ面だよな。なんだか腹が立ってきた。

 でもこいつ、いや俺が寝ているって事は、俺は死んでるって事じゃないんだろうな。幽体離脱? 臨死体験? なんでだよ。

 そもそも、やっぱり幽霊って浮くもんなのかな。今俺は浮いてるけど。どうなって浮いてるのかな。気とか? サイヤ的な何かが実は俺にはあったのか?

 ……。

 かーめーはーめー、

 例のポーズをとってみる。

 はーーっ。

 手を前に出してみる。

 ……何も起きない。

 どうやらかめはめ波は撃てないらしい。なら気で浮いてるんじゃないんだろうな。

 ……くかー……。

 相変わらず、真下の俺は能天気に寝てる。すっげえぶん殴りてえ。俺の気も知らずに。

 ぬうっ!

 ――ぅぁぁ……。

「うおおっ!!」

 突然目の前から真っ黒いのが!

 これ、髪の毛か! 天井からだ!

 ――ぅぁぁ……。

 髪の毛がこっち来る!

「ま、待ってお逆さん! 俺おれ!!」

 この部屋のご主人なんだと、必死に訴える。

 ……。

 ――ぅぁぁ……。

 長い髪の毛が引っ込んでいった。

 良かった。解ってくれたか。……でも幽霊に解って貰うとか、それもそれでなんだか複雑だよな。俺も幽霊だからか。同類意識でも芽生えたのかな。

 ……どうしよう。

 これはこれで面白い体験だけど、だからといってずっと幽霊になんてなっていたくない。

 ……幽体離脱、だとしたら、

 目の前のこいつにぴったり入り込むとかしたら、戻れるとか?

 近付――こうとして、

 ……どうしたらいいのか解らなくなった。

 まずどうやって進むのか。

 体を動かす事は出来た。かめはめ波のポーズは出来たから。

 だけど、移動が出来ない。

 宙吊りみたいな感じだけど、足も何も付かない。どうやって目の前のアホ男の所にまで行けばいいんだろう。

 ばたばたしてみる。

 空中でばたばたしただけだった。

 手を、前から後ろに、掻きやるみたいに。

 その場で平泳ぎしただけだった。

 ……どうしたらいいんだ。

 俺は泳ぎは得意だった。田舎には川もあって、子供の頃、夏にはしょっちゅうそこに泳ぎに行ってた。一般的な泳法は大体やってみた事はある。

 でも流石に空中で泳いだ経験はない。いろんな泳ぎ方を試してみても、前に進む事が全然出来ない。

 ちょっと、これはまずいぞ。待て待て落ち着け、取り敢えず冷静だ。クールになれ。

 イメージしてみよう、幽霊っていうものを。奴らはそう、少しだけ宙に浮いてたりしてるイメージがある。白装束で、頭に三角の、白いのを付けてて、……そういえばあれってなんなんだ? 頭に付けてる三角のやつ。意味があるんだろうけど意味が解らない。

 ……脱線した。話を戻そう。幽霊は浮いてる。浮いたまま、手を前に上げてその先を垂れさせてるみたいな格好で、迫ってきたりする。歩いたりする幽霊も居るだろうけど、浮いてる幽霊はなんにもしてないように見えるのに、移動してたりする。泳いで移動する幽霊なんてのは、少なくとも俺のイメージの中には存在していない。

 じゃあ、泳ぐ動きをしても意味はないのか。例えば百メートル泳ぐ事が出来ても、幽霊で同じ事をしても百ミリメートルも泳げないのか。

 ――その時、下界を見る視界の端っこで、小さい何かが動いた。

 大きな点みたいな、でもよく見ると、

「里香さん!」

 上から見ると、髪の部分だけが見える、ちっこい人形の里香さんが、寝ている俺を揺すっている。

 どうやら起こそうとしてくれてるらしい。

 でも起きない。そりゃそうだ。今俺は寝ている俺の上で起きてるんだから。

「里香さん! 俺はここだ。こっちに居るんだ!」

 呼び掛ける。でも全く気付いてくれない。なんでだ、お逆さんは解ってくれたのに。

 里香さんはまだ下の俺の肩を揺すっている。

 こっちの俺には変化がない。だけどこれはちょっと焦る。もしこれで、下の俺がそのまま起き出した、となってしまったら、

 今上に居る俺はなんなんだ?

 そして下に居る俺? は誰なんだ。

 冗談じゃない。俺は俺だ。ちゃんと意識があるんだから。どうにかして気付いて貰わないと。

 でもどうやって。体を動かす事は出来ても、ここからどこかに動く事が出来ない。声も届いてないみたいだし。そういえば里香さんの声も聞いてない。見えてもいないみたい。

 ……あれ。詰んだ?

 いや待ていや待て。何か、何か手がある筈だ。現状を打開する何かが。

 ――ああ、そうだ。手を伸ばせば、横にある電灯に手が届く。これが妙な動きをすれば、流石に何事かと考えてくれるだろう。

 手を伸ばす。でも、手がすかっと。

 思いっきり伸ばして、何回掴もうとしても、空振りする。いや、よく見ると、届いてるのに触れてない。

 俺が幽霊だから、物体は通り抜けてしまうのか?

 これじゃあどうにもならない。今度こそ詰み?

 ……。

 いやまだだ。物に触っても通り抜ける事が解った。

 なら最終手段。それは目の前にある。

 手を伸ばす。勿論目の前には天井がある。勿論今の俺は天井だって通り抜けてしまうだろう。でも、天井には、さっき出て来て、引っ込んでいった、

「おさかさーん!」

 が居る! お逆さんはさっき俺に気付いてくれたっぽいんだ。だったらお逆さんとは交流出来る、筈、だったらいいなと思う。そうでないと困る。

 伸ばした手が、何かに触った。

「うおりゃああっ!」

 それを掴んで引っ張る。ずるーっと、気持ち悪い程長い髪の毛が天井から。

 ぎろっ!

 頭も出て来て、サダコみたいな眼でこっちを見られた。

 でも関係ない。こっちだって幽霊なんだ。止まる心臓だってあるものか。

「お逆さん、頼む! あの里香さんに俺の事を!」

 下に居る里香さんを指差す。

 ……。

 暫く、サダコのような眼がこっち見てたけど。

 ――ぅぁぁ……。

 ずるっと、天井から両手が出て来た。

 ぶんっと手を振ると、髪の毛も動いた。そしてそれが里香さんに触った。

 里香さんが髪の毛を見た。

 そして天井を見てくれた。

 やった! これで助かる。

 ……。

 なんも言ってくれねえ。

 っていうか聞こえないんだったな。あれは口元も動かないんだ。目線もちょっとずれてるっぽいし。こっちじゃなくて、お逆さんを見てる?

 ……。

 ――ぅぁぁ……。

 これはまた目と目で通じ合ってるのか。

 ――がしっ。

「え」

 何か。お逆さんの両手が俺を、

 ぶおん! と引っ張られる。

「うええ!?」

 一気に視点が真逆に。そのまま、

 ぶんっ!

「おおおおっ!?」

 ぶん投げられた。




「……はっ」

 身を起こす。

「気が付きましたか」

 辺りを見回して。隣には里香さんが居た。

 布団に居る。手を見てみる。体を触ってみる。床に手を付いてみる。

 ……戻った。

「おおおお……」

 手が、触れるぞ。足も、ちゃんと床に付いてるぞ。

「戻ったー!」

「みたいですね」

 言葉も聞こえる。いつもの俺だ。おお、生きてるって素晴らしい!

「どうやらご主人様は、生霊になっていたみたいです」

「だろうな」

 生きてるとか死んでるとかはどうでもいいけど。幽霊になってたって事が問題で、俺はなりたくてなったんじゃない。……と思う。なんでこんな事になったんだろうな。望んでないのに。

「あのままだったら、どうなってた事か……」

 ふとそんな疑問を口にして、でも言ってしまってから、聞かない方が幸せだったんじゃなかいとも思った。

「あまり離れると、二度と体に戻れずにさ迷い続ける事になるかと思います」

 予感的中。言うんじゃなかった。

「でも助かったよ……里香さんが気付いてくれなかったら、本当にそうなってたかも」

 ……。

 あれ? どうして黙る。

「……私は気付きませんでした」

 え。

「見えませんでしたし。教えて貰っても、彼女が言う事はあまりよく解りません」

「え、でも俺を助けてくれたのって」

「……、適当を言ってみました」

「……あ、そう……」

 なんだか感謝の気持ちがどんどんしぼんでいく気がする。結果的に助かったけど。

「私には、あまり霊感がありません」

 おい待てや人形に取り憑く幽霊さん。

「だから、あまり生霊にはならないで下さいね」

 無茶言うな、なりたくないよ。


 何が切っ掛けでああなったのかは解らない。

 けど、やっぱりというか、それからも寝てる間に生霊になる事がたまにある。

 多分、こんな所で妙な連中に関わり続けたからだな。それくらいしかこんな妙な体質になる理由が思い付かない。

 もしかして、このまま人間離れしていきやしないかと、ちょっと心配になって来る。

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