8 隙間からの

 慣れって怖い。

 今この部屋の状況を、ちっとも怖いなどと思わない自分を、ふと客観的に見て思う。

 今やここに出てくる曰くどもも、例えるなら、金の掛からないペットみたいに思えて来た。実際居ても金は掛からない。エンゲル係数的な意味で。寧ろここにそういったものが居る事によって、家賃が下げられているという事実。電気代とかでも、たまに停電とかされるけど、たまにコンセント差してないのに電気とかテレビが付いたりする。それらが電気代に反映されてるのか、確かめた事はないけど現状少なく抑えられてるみたい。敢えてマイナスな問題を挙げるとするならプライバシーなんてものがない事くらいか。

 誰かが居る。

 誰かから見られて、誰かに知られてる。いつでもどこでも。

 この日もそうだった。


 暮れなずむ夕日が赤く一帯を照らす頃。

 俺は勉強家、という訳でもないから、やっておくべきだろう予習復習の類を帰って来た早々にほっぽり出して、ファミコンに興じていた。いややっぱりウィザードリィって本当にいいものだなあ。コンピュータRPGの始祖にして完成形。とっくにゲームクリアした今も、時々ダンジョンに潜っては宝探しに没頭出来る。

 このゲームは、自分の視点のままで複雑な迷路の中を進んでいくという形のものだ。ずっと自分の視点だから、映ってる画面を見ただけだと周囲の状況は殆ど解らない。しかも舞台は明かりの殆どない地下だ。罠だっていっぱいある。そして奥に進む程強い怪物とかが出て来たりする。一寸先は闇なんだ。幾ら強い怪物が倒せるレベルになっていても油断しちゃいけない。

 ――っと、しまった。早速道に迷った。ちょっと調子に乗って奥に行き過ぎたみたいだ。ある程度の通り道は覚えてるけど、流石に奥の細かい道までは頭の中にはない。迂闊に動いても、何かの罠に引っ掛かってしまうかも。

 だけど案ずる事は全くない。道に迷わない為には地図があればいいんだ。俺は以前このゲームをクリアした際、方眼紙を用意してダンジョンの道全てをマッピングしておいたのだ。

 方眼紙を馬鹿にしちゃいけない。自分で地図を描き、迷わないようにする。当時のゲーマー達はみんなやってた事だ。

 確かそれは本棚に仕舞っていた筈。本棚はテレビの逆、今の俺の後ろにある。振り向いてすぐに手に届く所――。

 ……じー。

 ……。

 ……じー。

 ……なにかと、目が合う。それは本棚と壁の隙間に――。

 ……。

 ごそごそ。

「あああった、これだこれだ」

 取り敢えず手製の地図を入手。これで道に迷っても問題ない。

 ……ちら。見る。

 ……じー。見てる。

 なんだっけこれは。

 ああ、あれだ。これは壁と、箪笥とか本棚とか、その間数センチの隙間から、凄く体の細長い女がじっと見てたって話の奴だ。

 つまりこれは、その隙間女がそこに居ると。

 ふんっ。隅っこに隠れてじっと見てるだけとか、みみっちい奴め。今更そんなのにびくつくか。猫が居るよりも遥かにいい。猫は好きだけど、こういうゲームをしてる状況においては最悪の敵となり得る。田舎にて、家で飼っていた奴に一体何十時間を無駄にされてしまった事か。通称、猫リセット。奴はなぜだかこのファミコンの上を通り道にしたがっていたんだ。乗り越えたと思っても、しっぽがさわりと撫でて行っただけでも、ファミコンには致命傷になってしまう。少し安心させておいてから絶望のどん底に叩き落す、奴は見事な策士だった。

 ……じー。

 見つめられる。

「ああん!?」

 きっ。

 強気に睨み返す。

 びくっ。ふいっ。

 するとそいつは、びくつきながら眼を逸らした。

 ふんっ、こんなもんだ。気の強さを見せれば、気の弱い幽霊とかには勝てるぞ。だけどそんなのよりこっちだ。取り敢えず帰り道の解る場所に出ない事には、このまま迷ってモンスターの餌食になってしまう。手塩に掛けて育てたメンバーが全滅、消滅(ロスト)なんて事になったら、霊になんやらされるよりも遥かにへこむ事になる。

 じーっ。

 ……ぴこぴこ。

 じーーっ。

 ……ぴこ、ぴこ。

 じーーーっ。

 ……やっぱり気になる。

 端からゲーム画面を凝視してるってだけなら、まだいいけど。

 明らかに俺の背中にも変な視線が突き刺さってる、感じがする。

「……あのなあ」

 じーっ。

 視線がむちゃくちゃ気になるんだけど。こいつそーいう系なのに、ゲームに興味があるのかな。

 だとしても今は構ってられない。地図によると、そろそろ安全な場所まで戻って来れる。そこからもうちょっとお宝を漁ってみようか。

 ……じーーーっ。

 気のせいか。後ろの視線が更に強く刺さる気が。

「あのなあ。気が散るからじろじろ見てんじゃ――」

 後ろを見る。

 凄く細長い顔と目が、すぐ間近に。

「うおあっ」

 反射的に飛び退く。いきなりな事だった。

 その時、がん! と足が。

 ぶつっ! びーーーーーーーー――

「ああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 ゲームが! 画面がぐちゃぐちゃになって! ゲームが止まって!

「い、いや待て、落ち着け、ちゃんと、電源切ってやり直したら」

 ぽち。


 ――あたらしくキャラクターをつくってください。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお…………………………」

(説明しよう! このファミコンというゲーム機は衝撃に非常に弱く、足が少しぶつかるだけでもゲームがストップしてしまうのだ! そんな衝撃によってセーブデータが破壊されて今までの苦労が全てパーになってしまう事も、珍しくはないのだ!)

 ……。

 ――十分後。

 ……。

 ――へんじがない。ただのしかばねのようだ。

(説明しよう! 彼はこのゲームを累計百時間以上やり込んでいたのだった! 全ては過去のものとなったのだ!)

 ……ふ。

「ふふ、うふふ、うふふふふふ……」

 ……びくうっ。と隙間女の身が震えた。

(彼はショックで心神喪失状態にある為、以下三人称にてお送りします)

「ひゃくじかん……やりこみ……ぜんぶ……」

 ゆらりと、彼は立ち上がる。だらりと力のない身構えだったが、代わりに妙な負のオーラが彼の周囲に漂っている、ように見えた。

「俺の……血と、汗と、涙の結晶……パーにしたのは、だれだぁ……」

 びくびくがたがたと、隙間女が震えている。只ならぬ恐怖がそこにあるのを感じ、隙間女はゆっくりと、元居た隙間に逃げ込もうと、

「ぉおおおおまああああええええかああああ!!!!」


 ――この瞬間。人々を恐怖させる幽霊達が、揃って怯え、恐怖する人間が、この地に誕生した――。




「……はっ」

 なんだ。俺は一体何を……。

 ……なんだか部屋の中が妙に荒れてるけど、これは一体どうした事か。

 大地震? 転んで頭でも打って、記憶喪失?

「あれ?」

 部屋の隅に、なんか居る。

 縮こまってる。なんかがたがた震えてる。なんでかこっち見て凄く泣いてる。細長い……すっげえ体細長い、女みたいに見えるけど。

 なんで怯えて泣いてるんだ。こいつも多分そーいう系なんだろうけど、それでも女の子を泣かせるなんて、とんでもない事だな。

「もしもし、そこのお嬢さん」

 びくっ。と細長いのが震える。なんだろう余程怖い目に遭ったんだろうか。

「一体どうしたんだ。泣く程つらい事でもあったのか?」

 ひいいいいっ!

 しゅううう……。

「うおっ」

 姿が掻き消えた。

 なんなんだ……成仏したのか? 幽霊が成仏するって事は、まあいい事なんだろうけど。

 ……でも。

「なんで部屋が散らかってるんだ?」

 全くこれっぽっちも記憶にない。取り敢えず、これ掃除しないとな……。




 ……やっぱりこれはへこむ。

 掃除中、ファミコンに刺さっていたままのゲームを見て、久しぶりだから起動してみたら、データが綺麗さっぱりなくなっていた。

 なんてこったい。かなりやり込んでたゲームなのになあ。古いゲームだから、バックアップの電池切れも仕方のない事だけど……。

 でもまあ仕方ない。嘆いていてもデータは戻って来ないんだ。さらば……レベル100オーバーの戦士達。カセットへ合掌。

 また一からやり直そう。まずは百時間分の苦労を取り戻さないとなあ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る