7 黒電話
この部屋には黒電話が置いてある。ダイヤルを回していって、それで指定した番号に繋がるやつ。
これは田舎の実家から持って来たものだ。今では家庭電話といえばプッシュ式――つまりボタンを押す形のものしか見掛けなくなったけど、俺の居た田舎ではずっとこれだった。だからわざわざ持って来て使ってる。使いやすいものを使えれば、それが一番だ。骨董品。結構。懐古主義? 大きなお世話。
さてこの電話。まあなんとなく察しは付くだろうけど、こんな古い電話がこんな妙な事の起こる部屋にあるもんだから、まあ色々、普通ないだろって事があったりするんだ。
じりりりりん。
がちゃ。もしもし。
――つーっ。つーっ。つーっ。
ケース1。何もないのに鳴る。
こんなのは可愛いものだ。しょっちゅうあるから困るけど。夜中はなるべく控えて欲しい。音が響くんだから。近所迷惑になりかねないだろ。
じりりりりん。
がちゃ。もしもし。
『あ、ラーメン二人前ねー』
ケース2。間違い電話。
明らかにふざけた内容だけど、一度本当にこう言われた。勿論、「うちはラーメン屋じゃない!」と怒鳴り突っ込みを入れて、がしゃん! と思い切り切るのは、これはお約束を越えて、寧ろ当然の礼儀作法であるとさえ思う。迷惑なんだけど。
じりりりりん。
がちゃ。もしもし。
『……ぅ、ぅぅ、ぅぅぅぅぅ……』
ケース3。女性のすすり泣く声。
そりゃあびびった。初めの頃は。でも今じゃインパクトは薄いな。
「どうしたんですか奥さん」と人生相談(?)をしてみた事もある。大抵ずっと泣いていたり、
『……ないんです……』
「何が?」
『……わたしのうでがないんですぅぅ……』
いわゆるホラー系の答えで攻めてくる事もある。
更には、
『あつい……あついよお……』
『……おまえのひいおばあちゃんだよ……』
『いま、あなたのうしろにいるの……』
やがてレパートリーが増えてくると、大喜利か、と突っ込みたくなって来るけど。それを上手い事あしらうのも、答える側の腕前が試されていると思えるようになって来た。
りん。
……。
……。
ケース4。一瞬だけ鳴る。
こんな不意打ち系も珍しくない。
何か用があるから鳴らすんだろうに、一瞬しか鳴らなかったら取る事も出来ないだろうが。
・
じりりりりん。
ある日、電話のベルがこの部屋に鳴り響いた。
がちゃ。もしもし。
『もしもし……おにいちゃん、だれ?』
なんか幼げな声の子と繋がった。
この時点では、ケース2、間違い電話だと思った。
「おにいちゃんはおにいちゃんだ。君の血縁という意味じゃないぞ」
『あのね、おとうさんもおかあさんもいないの』
……ケース3の疑いも出て来た。
「見ず知らず人の事は解らないな。近くのおまわりさんに相談しなさい」
『……、わかった』
ぷちっ。つーっ。つーっ。つーっ。
じりりりりん。
がちゃ。もしもし。
『もしもし……おにいちゃん?』
さっきの声。続くのかよ。
「そうだ。君の肉親じゃないおにいちゃんだ」
『……おにく?』
「食べ物じゃないぞ」
意味が解らないのか。まあ子供みたいだしな。
『あのね、かぎがかかってるの』
……鍵。
「開けて出なさい。以上」
『あけられないの』
「はい?」
『しまってる』
……閉まってる。開けられない。イコール、そこに手が届かない?
子供だしな。
「じゃあ大人しく待ってなさい。そのうちお父さんかお母さんが帰って来るだろ」
『かぎあけて』
無茶言うな。
「じゃあ、何か踏み台になる物を探しなさい。本を積み重ねて乗るのもいいぞ」
『……、わかった』
ぷちっ。つーっ。つーっ。つーっ。
じりりりりん。
がちゃ。もしもし。
『……おにいちゃん』
「ああ、兄さんとか兄貴とか兄上様とか、12個程は呼び方があるらしいな」
『……あにい?』
おい待ておガキ様、どこでそんなの憶えたの。
『おまわりさんって、どこ?』
あーそう来たか。うん予想は出来たよな。自力で外にも出られなかった子なんだから。
地図……は読めるのか? そもそもその家にあるのか。
「うーんそうだな、どこかの近くの人に聞くとか」
『わかった』
たったった。とどこかへ駆けていく音がした。
『もしもし』
“まあ、可愛らしいお嬢ちゃん”
女の子だったのか。相手の声からして普通のおばちゃんっぽい人と話せたようだ。
『あのね、おまわりさん、どこ?』
“え?”
『おとうさんとおかあさん、いないの。でもしらないおにいちゃんがだしてくれたの』
“ええっ!?”
っておいっ!
“大丈夫なの貴方!? はっ、まさか近くに変質者が!”
『ううん。あのね、今この電話で』がちゃんつーつーつー。
じりりりりん。
がちゃ。もしもし。
『……おにいちゃん』
ちょっと泣きそうな声の「おにいちゃん」だった。
「あのな、俺はまったく以て怪しい奴じゃないんだからな」
『うん』
「いいか嬢ちゃん。誰かに説明する時はちゃんと正しく伝わるようにしような」
『わかった』
しかし、困ったな。どこぞのおばさん(察するに)相手に変質者認定されるのに、おまわりさんの所に行かせるってなると、
……うん。危ない気がする。こっちの身が。下手をすると、この両手首に銀色の素敵な腕輪を付けられてしまうかも知れない。
でもな。困った子を見捨てるとか出来ないしな。どうしようこれ。
『……ねえ、おにいちゃん』
「なんだ幼女よ」
『おなかすいた』
無茶言うな。
お金を持っていそうなら、マッ○の百円バーガーとかを勧めてやる所だけど。
1 家から一人で出た事がなさそう。
2 近くの交番の場所も解らない。
結論、無理だろ。
『……おにいちゃん』
泣きそうな声で懇願されても、電話越しじゃあ無理なものは無理だぞ。
うああ困った困ったよ。このまま外で泣かれても、それはそれで俺が困る。
「どうしたんでしょうか、ご主人様」
電話以外の声がした。
うん、この部屋で俺をご主人様と呼ぶモノは、
「里香さん」
横に、いつの間にやらちっこい女物のお人形が立っていた。
こいつは世にも珍しい動く人形だ。序でに喋りもする。本来は曰く付きなんだけど、こんな単純な説明で己を納得させられる辺り、俺の頭も大分アレな感じになってるのかな、なんて自己嫌悪出来るようになって来た。
「お電話中なんですか」
「ああうん、そうなんだけど、ちょっと困っててな」
「そうですか……」
なんだか、そうしてこっちを気にしているような目で見てる。
「困っているんですね」
「ああ、うんそう」
「宜しければ、私が少しお話しさせて貰ってもいいでしょうか」
「え? うーん、いいけど」
断る理由ないしな。ちょっと危険な気もしたけど(祟り的な意味で)まあ、電話の向こうなんだし大丈夫だろう。多分。
受話器を床に置く。里香さんはちっこいから、受話器を持ったり出来ない。床に置くなりしないととても会話が出来ないんだ。
「もしもし……」
……。
「はい」
……。
「はい」
……。
「そうですか……」
何かを、納得してるみたいだ。
「そうですね。それでは、一つこちらに来てみてはいかがでしょう」
……はい?
「大丈夫です。貴方とここは、今繋がっています」
このおにんぎょうさんは、一体何をのたもうていらっしゃるのでしょうか。
「はい、……お菓子も、あります。……ありますか?」
里香さんがこっち向く。
「ああうん、あるにはあるけど」
何があったかな。チョコレートとか、菓子パンもあったか。
「はい、ちゃんとあるそうです。――ご主人様」
俺に向かう。
「お友達を呼んでもいいでしょうか」
「え、あ、ああうん」
嫌とは言いづらいよ。なんとなく察しが付いたけどさ。
「もしもし。はい、こちらに来てもいいですよ」
ぴんぽーん。
「うおっ」
突然呼び鈴が鳴った。
まあ、多分来たんだろうな。これが新聞の勧誘とか、N○Kの襲来とか、そっちの方がまだ幾らか気が楽だと思いながら、玄関にまで行って、
がちゃり。と――、
・
まあ、
オチとしては、この近辺で一つ事件があったという事だ。新聞に載ってたり、テレビのニュースにもなってた。内容は、まあ話題にする程気分のいいものじゃない。子供が留守番中の家に――という所で伏せておこう。
こっちに呼び寄せられて来た女の子は、しばらく俺らと遊んでいた。俺はお人形遊びもしないおにいさんだけど、里香さんやコロすけにそのまんまお人形さんになって貰って、女の子と一緒に遊んだ。夜遅くまで。朝目が覚めるともう女の子は居なかった。多分、もう成仏していったんだろう。
女の子が来た次の日。大学に行こうと家を出て、すぐ前の道端に、それが落ちていた。多分おもちゃの電話だろう、受話器の部分だけが。
置いていったんだろうか。あの子が、何か残せるものは、俺と話していたこの電話だけしかなかったんだろうか。別に、そんな事俺なんかじゃなくても良かっただろうにな。たまたまだ、たまたま。それ以上どうにかするなんて事は、只の一般人には思いも付かない。
幽霊は、満足すれば、思い残す事がなくなれば成仏してあの世に行くという。
俺はあの子にそうしてやれたのか。
その結果は、紐の切れた受話器しかない。それにどういう意味があったのか、今もずっと考えている。
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