2 仄暗い水の滴る
水のある所には、曰く的なものが集まりやすい。
だから毎日、水場はしっかりと手入れをしなさいと、一人暮らし前の俺に母さんは言っていた。
曰く的なもの――それはいわゆるまあ、霊的な奴だ。
水場はとても大切だ。なにせ人体の六十パーセントくらいは水で出来てるんだし、海は命の故郷とも言う。水道水は故郷にはならないだろうけど。
でも、いつも清潔綺麗にしておく、それは大事だろう。変な虫とかとたくさんお友達になりたいなら、特に拘る必要もなくていいだろうけど、俺はそういうお友達は欲しくないから、母さんの教えを守って綺麗にする。
だけど、ここで同居している別のお友達は、そんな程度じゃびくともしてくれないらしくてなあ。
・
集まるって事なら、霊的なものでも水は大切なんだろうかね。生き物でも水がないと死んじゃうみたいに、霊的系でも、とか。
だからだろうか、例えば夜中のある時にトイレに行ったら、
「うおっ!」
便器から、何か白っぽいものが突き出ていた。
何か。解らん。でも絶対まともなのじゃない。
……よく見てみる。うっすらとしてる。……これは手か? 手首から先が垂れ下がった手だった。
半透明の白い手が便器の水の所から突き出てる。……これはまさか。
聞いた事がある。便器から手を出し紙をねだるという、妖怪“紙をくれ”。でも半透明だから、妖怪みたいな幽霊なのか。
水だけど。水場だからって……これちょっとどうなんだよ。普通に嫌だよどうしよう。これに用を足すとか絶対嫌だ。
……とか。そんなんもある事だしな。でも迷惑極まりない。水もタダじゃないんだから、使うんだったら少し水道代くれよ。
こうやってこいつらは毎晩毎晩俺に擦り寄って来るんだ。曰く付き、の部分が女の子、とか猫、とか犬、だったら羨まれるだろうに。変な虫、とどっちがましだろうな。
って、そんなもしも、を考えてもしょうがないよな。現実はこうなんだ。しっかり向き合わないと。
そういう訳で、今日も疲れて俺は寝る。おやすみなさいと、電灯を消す。
……。
ぴちゃん。ぴちゃん。
ん……? これは……水滴の音。
どこからだろう。台所の蛇口はしっかり閉めといた筈だけど。
洗面台、風呂場、思い浮かべる。うん、ちゃんと閉めてると思う。
じゃあなんだ? 水漏れかな? だとしたら困る。引っ越したばかりなのに。しかも真夜中にそんなトラブルは嫌だ。一晩中水滴の音とか聞きたくないし。
うーん。確かめてみるしか。
のっそり起きる。一旦寝かけてからまた起きるって、すっごい気合要るよな。
台所は隣だ。ここのアパートは1K。部屋とキッチンが分かれてる。一概には言えないけど、ワンルームよりは上等だ。それで家賃はお手頃価格なんだから、やっぱり今思えば疑うべきだった、よなあ。
ぴちゃん。ぴちゃん。
心なしか音も大きく思えた。電灯を点ける。見る限り、水道からは何も出ていない。
台所の下。物入れになってるけど、そこを見ても湿ってるとかはない。水漏れじゃないらしい。でも音はする。
ぴちゃん。ぴちゃん。
どこから……?
……。
蛇口の方に耳を寄せてみる。
ぴちゃん!
ぜってえここからだ! ここからはっきり音してる!
ぴちゃん。ぴちゃん。
蛇口自体が鳴ってる。どうしたらいいんだろう。これじゃあ気になって寝られんぞ。
……いやよく考えたらこんな現象自体がどうなんだって話だけど。
蛇口を、ちょっと捻ってみる。水滴が出る程度に。
ぴちゃぴちゃん。ぴちゃぴちゃん。
二重に聞こえるよ……。
うーん。これはどうしたものか。なんにもないのに音が鳴るって、これ、音が出る幽霊、つまり音幽霊とか? そーいう系が相手だと、手の出しようが――、
……。
思案して、ちょっと部屋に戻って物入れを漁ってみる。
見付けた。耳栓とセロハンテープ。こんな事もあろうかと――じゃないけど、耳栓の方は新しい環境で寝られないかもとか、もしもの為に買っていたものだ。
俺はその耳栓を蛇口に突っ込んで、それをバッテンの形にセロハンテープで塞いでやった。
…… ……
よし。音はしなくなった。これで健やかに眠れる事だろう。
部屋に戻って、布団に入る。おやすみなさい。
…… ……
…… ……
……何か、聞こえないのに気になるな……。
しーん、ってのが異様に気になるとか。それ以上に。
もう一度起きて、台所に向かう。
…… ……
やっぱり、聞こえないのに気になる。
煩いのは勘弁だけど、根本的な解決がないのもどうなんだろう。
…… ……
はっつけた耳栓をはがしてみる。
ぴっちゃん。ぴっちゃん。
また聞こえた。水滴は落ちてないのに。
しかもこの音、なんかさっきとは違う。どこか開放的っぽい感じが。閉じ込められたのがなくなったからか?
ぴっちゃんぴっちゃんぴちゃぴっちゃん。
……いらっ。
こいつ……生意気にもリズムなんぞ……。
俺は隣のガスコンロにある鍋に手を掛けた。この鍋が一つあれば、大抵の調理には困らない。
これに、じゃーーーー、と蛇口を捻って水を入れる。
その水入り鍋を、ガスコンロに置いて、火を付ける。
そして少し待つ。
ぴっちゃりぴっちゃりぃ。
音は鳴ってるままだけど、それはもう一向に構わない。
ぐつぐつと、水が沸騰してお湯になった。
火を止めて、鍋を持って、そのお湯入り鍋を蛇口に押し付け、
びじゃああああああああ!!
某黄色いネズミを野太くしたみたいな音が聞こえた。
「調子に乗んな静かにしやがれい!!」
お湯を離す。
ぴちゃ……ぴちゃ……。
静かな音になった。
まったく。そーいう現象ももっと人様に迷惑でないものなら、いい共存が出来るだろうに。
ぴちや……ぴちや……。
「……おい」
ぴちゃっ……。
ちょっと、音から恐怖の感情が感じられた。
「びびらんでいいから。お前音が鳴るって事は、それもしかして音を聞いて欲しいとかなのか?」
……、ぴちゃっ。
「そうか。でも俺は聞きたくない。毎晩こうだと寝られないだろ」
ぴちゃ……。
「解った解った。じゃあちょっとの間、聞いてやるから思う存分鳴ってみろ。満足したら成仏しろよ」
ぴちゃ?
「本当だ。聞いといてやるから」
ぴちゃ――!
ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ――――――――――!!
――。
――大体半日後。
ふらっふらした足取りで、大学の門を後にした。
講義がなんも聞こえんかった。ずっと耳鳴りが治らん。耳の奥でまだぴちゃぴちゃ鳴っとる。
これでレポート出せってんだ。
無理だよ。
あいつら……曰く付きどもめ。早くなんとかしないと、こっちの身も成績とかも保たねえよ……魔除けとか、風水とか、いっそそんな辺りを勉強しようかなあ。
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