コドク箱 2

「どうぞ、お掛けください」


 電話の主である山城武やましろたけしが店を訪れたのは、約束の時間よりも少し早い昼前の事だった。

 軽く自己紹介を済ませてから、義時に促され武はゆっくりとソファーに座る。

 廻は彼と自分、そして義時の分のお茶を用意し、彼に向かい合うように義時の隣に座った。


 武は、どうにも落ち着かない様子で視線を泳がせる。

 年の頃は四十半ばくらいだろうが、白髪交じりの短髪のせいでもう少し老けて見える。着ているブラウンのスーツはやや年季が入っているが手入れが行き届いており、そこに彼の人間性の一端が垣間見えるようだった。


「今日は急な申し出を受けて頂いて、本当にありがとうございます」


 武はソファーに座るや否や、二人に深々と頭を下げる。

 彼のおどおどとした態度は、こういった場所に慣れていない事もあるが、何よりも急な買取査定を承諾してくれた二人への申し訳なさから来るものだった。


「いえいえ、お気になさらず。今日は他に予定もありませんでしたし、何よりうちの従業員の話によればずいぶんとお悩みにのようでしたから」


 そう言って義時は口元に薄い笑みをつくる、それを見た武は少しばかり肩の荷が下りたらしく、ほっと胸を撫で下ろしていた。


「では山城さん、早速ですが電話で言っていた箱を見せていただけますか」


 武は廻の言葉に頷くと、脇に置いていた手提げバッグから小さな箱を取り出し、机の上に置いた。


 箱は十センチほどの正方形で、表面には三角や丸を用いた複雑な模様が描かれており、蓋を閉じる鍵の部分には何故か縄が巻き付いていた。


「なるほど……触ってもよろしいですか?」


「ええ、どうぞ」


 義時は鑑定用の手袋をはめ、箱を持ち上げると角度を変えながら全体を見る。

 それは、見れば見るほど見事な一品だった。

 桐でできた木製の箱は、その特性もあってか状態がかなり良い。

 目立った傷や汚れは、箱のどこをどう見ても確認できない。箱の表面に墨で描かれた模様は職人技で、全ての図形が一つのブレや掠れも無く息を呑むほどに繊細に描かれていた。


「山城さん、これは一体どこから?」


 義時が箱を眺めている間、廻は武に箱について尋ねた。


「私もこの箱については詳しくなくて……十年前に亡くなった私の祖母の家にずいぶん昔からあったようなのですが……」


 武の話によれば、この箱の所有者である父方の祖母・山城マツは十年前に病死しており、長く土地と家は整理される事なく放置されていたが、最近になってその土地を買いたいと言う人間が現れたのだ。


 山城家にとっては、願ってもない申し出だった。

 元々遊ばせていた土地だ、人手に渡って困るようなものでも無い。いくらでも金になるのなら、そちらの方が良いと考えるのは当然の事だ。


「ですが購入者の方から『家を潰して、売ってほしい」と言われまして、まあ当然といえば当然なんです。あんなボロボロの家、誰も欲しくないでしょうから」


 かくして山城家の人間たちは、マツの家を潰すための準備を始めた。

 少しでも解体工事の費用を浮かそうと、家の中に放置されている家具などの片づけは自分たちでしようという話になったのだ。


 休みの日を利用し、武はもちろん妻や中学、高校生の二人の息子たち、果ては武の両親も手伝って着々とマツの家は中身を吐き出していった。


 ようやく全体の半分程度も片づけが進んだ、といった所で息子たちがおかしなものを見つけた。

 彼らが片付けていたのは亡くなったマツの部屋で、他の部屋と比べて比較的荒れが少ない場所だった。


「父さん、ちょっと来てほしいんだけど」


「どうした? 何かあったのか?」


 武の言葉に二人の息子は顔を見合わせ、何かを言いたげに口をかすかに動かしたが、それは言葉にならなかった。


「とにかくちょっと来てくれよ、見て欲しいものがあるんだ」


 武は息子たちの様子に疑問を抱きながらも、額に滲んだ汗を拭ってからマツの部屋へ歩き出した。

 家の最奥にあるマツの部屋までは、少し距離がある。

 埃が散り積もり、少し腐っているような廊下はぎいぎいと耳障りな音を立てる。


 時刻はすでに四時を過ぎており。辺りは夕陽に照らされながら夜の気配を漂わせ始めていた。

 割れた窓から差し込む光は、ぞわぞわとするような色味をしており、前を歩く息子たちの背中を怪しく照らしている。


 廊下を抜け、マツの部屋に三人は足を踏み入れた。

 四畳ほどの部屋にあった家財道具は、すでに息子たちがほとんど運び出しており、部屋はがらんとした寂しい様相を呈している。

 

「なんだ、何も無いじゃないか」


 武は部屋を改めて見回したが、やはりこれといって目を引くような物は無い。

 目を引く物は部屋にはふるぼけた鏡台と、更に年季の入った箪笥ぐらいなもので、それもわざわざ作業の手を止めて見に来るほどの物で無い事は明らかだった。


「違うよ、見て欲しいのは押し入れの中にあるんだ」


 そう言って息子の一人が、部屋の奥にある襖を指差した。

 襖は時間の経過によって黄ばみ、さらには長く放置されていたせいであちこち破れてしまっている。

 ぴったりと閉じられたその襖の奥に、見せたいものがあるといった息子たちの顔はにわかに青ざめていた。


「押し入れの中? 中に何があったんだ?」


「……よく分からないよ、ただなんて言うか……気持ち悪くて……なあ?」


「そうそう、何て言うか……うん、気持ち悪いんだよ。それでどうすればいいか分からなくて……」


 息子たちはそう言って部屋の入り口近くで立ち止まり、奥へ入ろうとしない。

 彼らの目線は押し入れに向けられ、その目には恐怖が宿る。彼らは押し入れが、もっと言えばこの部屋にいること自体が嫌で嫌でたまらない、というような様子だった。

 

 息子たちの様子を見てただ事ではないと感じた武は、押し入れの中を確認するべく襖の前に立った。

 襖の取っ手に指を掛けた瞬間、彼は背中を細長く冷たい何かが伝っていった感覚に襲われた。


 この襖を開けてはいけない、先ほどまで無かったはずのそんな考えが彼の脳内にじわりと広がっていく。

 小石のような生唾が、彼の喉を押し広げながら落ちていく。

 彼は自分の指が、小さく震えている事に気付いた。


 言いようの無い嫌悪感を感じながら、彼は襖をゆっくりと開いた。


「それで……押し入れには何があったんですか?」


 廻は襖を開ける所まで話したまま、押し黙ってしまった武に話の続きを促す。

 やや不謹慎とも取れる彼の行動は、この場にいる人間なら誰しもが取りかねない行動だった。

 推理ドラマで犯人の正体を前に挟まれるCMのように、彼は一番欲しい情報を前にお預けを喰らってしまったのだから。


 廻の言葉からほんの少しの間を置いて、武は重々しく口を開いた。


「あれはなんていうんですかね、祠というか……祭壇と言うか……呼び名はともかくとして、は間違っても押し入れなんかにあっていいものじゃなかったんですよ」


 襖を開いた武の前に現れたのは、小さな祠だった。

 木製の小さな家のような形をしており、本来は布団や服などを置くスペースを奪ってまでひっそりと置かれていた。

 

 彼はその祠を見た時に感じた、言いようのない気持ちの悪さを今この瞬間まで忘れる事ができずにいる。

 押し入れという極々ありふれた日常をほんの少し彩るに過ぎないパーツが、祠という本来そこにあるべきではない異物と混ざり合った時の気持ち悪さ、気色の悪さは相当のものだった。


 そしてその感覚は、話を聞いていた廻にもじんわりと伝わる。

 彼は祠を見つけた時の状況が、異様なほど鮮明に想像できてしまった。


 夕陽に照らされた廃墟の一室、薄汚れ色褪せた襖を開ける。

 その先にある正体不明の祠、それを思い描くだけで何とも言えない気味の悪さを感じ、彼は目元を歪ませた。


「……よくこれを祠から取り出せましたね」


「とんでもない、私も気味が悪くて触れませんでしたよ。結局あれを見つけてからは業者に依頼して片づけをやってもらったんです。そしたら作業者の方がこれを……」


 ひどく迷惑そうな顔でそう話す武を見て、なるほどと廻は一人納得していた。

 あの箱を持ってこられた時の武の感情は、想像するに難しくない。

 良かれと思って持ってきた作業者の善意を無下にする事もできない、かといって捨てるにも持っておくにも気味が悪い。

 電話で何とか早めに買い取って欲しいとすがりつくような声を、廻は思い出していた。


 そんな時、隣にいた義時が静かに箱を机の上に置いた。


「どうですか、何か分かりましたか?」


「状態は非常に素晴らしいの一言です。日光や湿気による劣化もほとんど見られない、加えて表面に描かれた模様も見事なものだ」


 そう言った後、義時はもう一度箱を手に取り武に見せた。


「ただ、これが何なのかはまだ分かりません。何を目的として作られたのか、なぜ祠に納められていたのか、何よりもこれのは何なのか。まだまだ分からない事だらけです」


「それは分かった方がいいのでしょうか?」


「そうですねぇ……もちろん今すぐ買い取る事も可能です。ですがこの箱の曰くやルーツを明らかにした方が値段は上がります、そういった背景を込みで商品を買って行かれる方も多いので」


「な……なるほど」


「無理にとは言いません。ですが箱に関する調査をご希望なら我々に任せて頂きたい。もちろん調査料などは頂きません、三割ほどは個人的な興味もありますから」


 そんな言葉と共に、義時は甘い笑みを浮かべた。

 そしてその隣では、廻が気付かれないように口元を歪め訝し気な視線を彼に送っている。

 何が個人的な興味が三割だ、低く見積もったって八割だろうが。そんな言葉を必死に飲み込み、廻も隣で人当たりの良い笑顔をつくった。


「……分かりました、箱の調査をお願いします。ただ一つだけお願いが……」


「なんでしょう?」


「調査が終わるまで、この箱を預かっていては頂けませんか? 売りたいと言うのはお金のこともありますが、何より手元に置いておきたくなくて」 


「それは構いませんが……やはり気持ち悪いですか。これは」


「見た目は綺麗なんですよ、でもどうしても持っていたくないんです」


「分かりました、では調査が終わり次第また連絡いたします。少なくとも一・二週間はかかりますので」


「構いません、よろしくお願いします」


 必要な書類と連絡先、そして義時のした質問にいくつか答えた後、武は帰って行った。

 来るときに持っていた薄気味の悪い箱を持っていないからか、彼の足取りはいくぶん軽く見える。


 彼が帰り、二人になった義時と廻は箱を前にして冷めきったお茶を啜っていた。


「で? どうするんだこれ、どこから調べ始めるかの当たりはつけてるのか?」


「まあね、ただ少し時間はかかるだろう。所有者は亡くなってるし、祠のあった家ももう更地だ。僅かな手がかりを辿っていくしかないね」


「まあやるだけやるか、んで最初はどこだ?」


 義時は、先ほど武と話をした時に書いた紙を廻に見せた。

 そこには、ひとつの電話番号が書かれている。


「山城マツの家を更地にした業者だ、あの箱を祠から取り出した人間のいるね」


 廻はその言葉を聞くと、一つため息を吐いてからソファーから立ち上がる。

 そして電話番号の書かれた紙を受け取ると、電話の方へ歩き出した。

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裏口の鍵は開いている 2 猫パンチ三世 @nekopan0510

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