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2024年9月29日 22:37
ご多忙な中、批評していただきありがとうございました。作り込みの甘さは自分でも薄々勘付いていたところではあったのですが、第三者からズバッと言ってもらうと改めて感じるところがありました。今私は受験生なので執筆も読書も出来ませんが、受験が終わった暁には白雪工房様からいただいたこの批評を糧に頑張りたいと思います。 最後になりますが、前回の自主企画の時からずっと応援しています。これからも応援します。頑張ってください。
作者からの返信
前回のあれを見て応援しようというのは甚だ理解できないことではあるのですが、まぁ、嬉しめに受け取っておきましょう。ついでに、特段指摘して欲しいこと、要望なんかが無いようなので、ここを使って意味のずらしについて話しますね。創作物における行動、物体には意味が付随しますね。所謂メタファーとかそういうのです。でも、メタファーに限りません。大まかに括れば舞台装置全般の話です。例えば今回、作中でメロスみたいにサンドバッグしあうくだりがありましたが、あの行為は「殴る」という本来ネガティヴな行為を好意的に描いています。まぁ、役割としてはケジメみたいなあれですけど、ともかくあの拳には決別とかそんな感じの意味が乗る訳ですね。ですが本来殴るとかって超ネガティヴ。つまり、あれって本来の意味をずらして悪いことを良い風に描いた形になるわけですよ。じゃあ、ここでデフォのネガティヴイメージ殴打を文章の先頭に持ち出します。それで、その「殴る」という行為の意味が最終的に対極に位置するように文章を作るわけです。そうすると対比するんですね。ほら、受験とかだと現国で対比関係を探せだの言うじゃないですか。あれって、最初に通常の論法を持ち出して、それを自分好みの論法に当てはめたり、逆にネガティヴイメージつけて自身の論理の格を上げてみたり、ともかく、万人に共有できるイメージを提示した上で自分にとって好ましい結論に近づけるとかで超便利な構成であるわけですよ。小説とかだと説得力やらを裏付けてもくれますからね。まぁ、ここら辺は割りと適当なんですが、要するにごちゃついたけどそういうお堅い文章で使われるような文構造も通常の文で使えるテクニックなんだぜって話の押し売りですね。ともかく、そういう風に本来行動に伴う意味なんかをちょっとずらしてそれを対比させたりさせなかったり、色々加工してやるのが小説のやり方です。まぁ、実のところ小説の対比と上で言ったような現代文の対比って質が違ってて、つまりは伏線と論理の強化の違いなんですけど。小説って割りと変化させるもんですから、最初に露骨にネガティヴな台詞を出したらその台詞は全く反対の言葉で上書きされなきゃいけないみたいなお約束があるんですよね。勿論、急に殴りあい始めたらさっき言ったように脈絡が無いんで、前フリになるようなもの=ネガティヴイメージの拳ってもんを用意する、つまり、対比関係によって脈絡の無さを回避する、意味合いの強化のようなことをしている訳ですけど。ただまぁ、やっぱり自己正当化の為の論理強化と、因果関係を成立させるための対比じゃ性質は違いますね。だって、別に小説なら既存の常識が担保されてれば明らかな違和だって許容できますもん。そもそもそのずらし方ってのが小説の文脈だって話なんですよね。例えば「押すなよ!」が押さなければならないに変わる風に形成された文脈が小説にもあるのだって話です。お約束、お約束。中でも小説は既存の常識を意図してずらすようなものが多いんですよ。んでまぁ、そのずらしを綺麗に描くとそれが主題に変わってきたりもします。勿論、意味をずらすことだけが大事でもないんですが、与太噺程度にね。通常この言葉、行動、物体はこういう意味でもあるけれど視点を変えてこういう解釈もできるよなってのを極めたらすごいひねた、でも案外悪くない主人公が書けたりしますからね。覚えとくと何気お得かもしれない。
ご多忙な中、批評していただきありがとうございました。作り込みの甘さは自分でも薄々勘付いていたところではあったのですが、第三者からズバッと言ってもらうと改めて感じるところがありました。今私は受験生なので執筆も読書も出来ませんが、受験が終わった暁には白雪工房様からいただいたこの批評を糧に頑張りたいと思います。
最後になりますが、前回の自主企画の時からずっと応援しています。これからも応援します。頑張ってください。
作者からの返信
前回のあれを見て応援しようというのは甚だ理解できないことではあるのですが、まぁ、嬉しめに受け取っておきましょう。
ついでに、特段指摘して欲しいこと、要望なんかが無いようなので、ここを使って意味のずらしについて話しますね。
創作物における行動、物体には意味が付随しますね。所謂メタファーとかそういうのです。でも、メタファーに限りません。大まかに括れば舞台装置全般の話です。
例えば今回、作中でメロスみたいにサンドバッグしあうくだりがありましたが、あの行為は「殴る」という本来ネガティヴな行為を好意的に描いています。
まぁ、役割としてはケジメみたいなあれですけど、ともかくあの拳には決別とかそんな感じの意味が乗る訳ですね。ですが本来殴るとかって超ネガティヴ。つまり、あれって本来の意味をずらして悪いことを良い風に描いた形になるわけですよ。
じゃあ、ここでデフォのネガティヴイメージ殴打を文章の先頭に持ち出します。それで、その「殴る」という行為の意味が最終的に対極に位置するように文章を作るわけです。そうすると対比するんですね。
ほら、受験とかだと現国で対比関係を探せだの言うじゃないですか。あれって、最初に通常の論法を持ち出して、それを自分好みの論法に当てはめたり、逆にネガティヴイメージつけて自身の論理の格を上げてみたり、ともかく、万人に共有できるイメージを提示した上で自分にとって好ましい結論に近づけるとかで超便利な構成であるわけですよ。小説とかだと説得力やらを裏付けてもくれますからね。まぁ、ここら辺は割りと適当なんですが、要するにごちゃついたけどそういうお堅い文章で使われるような文構造も通常の文で使えるテクニックなんだぜって話の押し売りですね。
ともかく、そういう風に本来行動に伴う意味なんかをちょっとずらしてそれを対比させたりさせなかったり、色々加工してやるのが小説のやり方です。
まぁ、実のところ小説の対比と上で言ったような現代文の対比って質が違ってて、つまりは伏線と論理の強化の違いなんですけど。
小説って割りと変化させるもんですから、最初に露骨にネガティヴな台詞を出したらその台詞は全く反対の言葉で上書きされなきゃいけないみたいなお約束があるんですよね。
勿論、急に殴りあい始めたらさっき言ったように脈絡が無いんで、前フリになるようなもの=ネガティヴイメージの拳ってもんを用意する、つまり、対比関係によって脈絡の無さを回避する、意味合いの強化のようなことをしている訳ですけど。
ただまぁ、やっぱり自己正当化の為の論理強化と、因果関係を成立させるための対比じゃ性質は違いますね。だって、別に小説なら既存の常識が担保されてれば明らかな違和だって許容できますもん。そもそもそのずらし方ってのが小説の文脈だって話なんですよね。
例えば「押すなよ!」が押さなければならないに変わる風に形成された文脈が小説にもあるのだって話です。お約束、お約束。中でも小説は既存の常識を意図してずらすようなものが多いんですよ。
んでまぁ、そのずらしを綺麗に描くとそれが主題に変わってきたりもします。勿論、意味をずらすことだけが大事でもないんですが、与太噺程度にね。通常この言葉、行動、物体はこういう意味でもあるけれど視点を変えてこういう解釈もできるよなってのを極めたらすごいひねた、でも案外悪くない主人公が書けたりしますからね。覚えとくと何気お得かもしれない。