case.003 開眼式

 次の日、俺は寝不足で痛む頭を抑えながら〈高天原大群たかまがはらたいぐん〉の東京にある本拠地を、姫花と共に訪れていた。


 昨夜もまた、姫花の心の声が事細かに聞こえてきて、全く眠れなかった。

 ちなみに、元凶である姫花も俺と同様寝不足だ。

 最初は俺がベッドで姫花がソファで寝る予定だったのだが、ソファが案外狭かったということで、最終的に一緒にベッドで眠ることになって、おかげさまで姫花の脳内がパニック状態となり、結局朝まで寝付けなかったわけだ。


「おい、聞いているのか?」


 そんなことを考えていたら、目の前からドスの効いた声が飛んできた。

 俺の直属の上司、三島結菜みしまゆいなである。

 彼女は話半分で聞いていた俺を鋭い眼光で睨みつけていた。


「は、はい! もちろん聞いています!」

「そうかそうか。それじゃあさっきまでの話を要約してみろ」

「よ、要約ですか……。ええとですね、俺がこれから姫花の上司となり、一人前の祓魔師となるよう育て上げる。そのためにまず俺と姫花は共に出雲大社へ行き、〈開眼式〉を行わなければならない……で、合ってますか?」


 俺が言うと三島さんはため息をつき、やれやれと首を振った。


「ちゃんと聞いているなら、もう少し態度をちゃんとしろ」

「すみません」

「まあいい。ともかくそういうことだから。二人は今日すぐに出雲へ行くこと。飛行機のチケットもちゃんと用意してある」


 そう言って三島さんはパツパツの胸ポケットから二枚のチケットを取り出し、こちらに放り投げた。

 俺は慌てて手を伸ばし、それを受け取る。


「……って、後一時間半後じゃないですか、この飛行機!」

「ああ、そういえばそうだったな。それじゃあ早く行ってこい。間に合わなかったら自腹な」


 クソが、ブラック企業め。

 俺は心の中で悪態をつきながら部屋を飛び出る。

 そんな俺の後に続く姫花は――


『え? いきなり旅行? 早すぎない? そんなことしていいの? まだ付き合ってもないんだよ?』


 と、困惑状態だった。

 その後、俺たちが息を切らして空港に辿り着いたのは、フライトの十分前であった。



   +++



 というわけで、やってきました島根県、出雲大社。

 俺たちが出雲大社の境内に足を踏み入れると、待ち構えていたかのように巫女が顔を出した。


「お久しぶりです、玲さん」

「……久しぶり、杏奈」


 俺はげっと顔を顰めさせながら言った。

 こいつは俺の古い友人なのだが、昔からどこか苦手だった。

 本音が見えないというか、いつも仮面を被っているような気がするからだ。


「最後にお会いしたのは、玲さんの〈開眼式〉の日ですから、もうかれこれ5年ほどでしょうか」

「そうか、もう5年前か。杏奈も変わらないな」

「そちらは歳を取りましたね。風格が出てきました」

「うっせ、余計なお世話だ」


 そんな軽口を叩いている間も、姫花の心の声が聞こえてくる。


『くそ、あの女……。私の玲と仲良く軽口叩きあっちゃって、ズルいズルいズルい! しかもなんだか心が通じ合った幼馴染みたいな雰囲気出てるし! 私だって玲ともっと軽口を叩き合いたい! 心を通じ合わせたい!』


 ……心が通じ合っているのはむしろ姫花の方なんだがな。

 まあ、一方的なものだけど。

 それに杏奈とは一度も心が通じ合ったと思ったことなんてない。

 幼馴染って点は間違いじゃないが、正しいのはそこだけだ。


 杏奈は姫花が内心そんなことを考えているとはつゆ知らず、視線を向けて言った。


「それで、今日〈開眼式〉を行うのはそちらの方ですか?」

「ああ、そうだ。弘明寺姫花という」

「なるほど。では早速事前準備といきますか」


 そう言って神社の方に歩き出す杏奈に、姫花は慌てたように尋ねた。


「ちょ、ちょっと待って。そもそも私、〈開眼式〉が何かも分かってないんだけど」


 姫花の言葉を聞いた杏奈は、ジト目を俺に向けてきた。


「……そんなことも伝えてなかったんですか?」

「うっ……それについてはすまんと思ってる。だが、飛行機では二人して寝ちゃってたんだ、仕方がないだろう?」


 俺が言うと杏奈は呆れたようにため息をついた。


「玲さんに社会性を求めた時点で私が間違っていました」

「いや、本当に悪かったとは思ってるんだよ」

「悪いと思ってたらなんでも許されるとは思わないことですね」


 なかなかキツいことを言われた。

 やっぱり杏奈は真面目だな……。

 姫花も心の中でビビり散らかしていた。


『ひえっ……なかなか過激なことを言う人だ……。なんか怖い……』


 ともかく。

 気を取り直して俺は、姫花に〈開眼式〉の説明をする。


「〈開眼式〉ってのは神々との繋がりを作り、力を間借りできるようにする儀式のことだ。祓魔師はこれを駆使して怪異と戦うんだ。ちなみにこの儀式は、神々の強力な力を無理やり人の体に適応させるわけだから、そのまま取り込もうとすればすぐに死んでしまう。そうならないように、その衝撃を少しでも軽減させるために、いろいろな事前準備を行うってわけさ」


 俺の説明に姫花はなるほどと頷く。

 杏奈に続いて神社の本殿に辿り着いた俺たちは、さらにその奥に入っていく。


「この扉の先は神々の世界と人間世界との間に横たわる中間世界になっています。そこで、儀式の準備を進めます」


 そう言って古めかしい扉を杏奈が開けた。

 中に入ると真っ白な空間が限りなく広がっている。

 懐かしいな。

 俺も〈開眼式〉をした時はここにお世話になった。


「まずはそこに胡座をかいて座ってください。できるだけ息をゆっくり吸って吐いて、雑念を消し、心を落ち着かせるように」

「分かりました」


 そう言って姫花は胡座をかいて座り、呼吸を整えていく。

 さっきまで緊張しっぱなしだった脳内も、徐々に落ち着いてきていた。

 その間、杏奈は真っ白い空間から直接刀を一振り取り出す。

 しかしその刀には刃が付いておらず、柄の部分しか存在しなかった。


「霊刀〈神帯〉か。懐かしいな」


 霊刀〈神帯〉。

 それは神の力を帯びた霊刀であり、刃を持たない刀だ。

 これで切られたものは、一時的に神を知覚することができるようになるというものだった。


「それじゃあ姫花さん、いきますね」


 そう言って、杏奈は姫花の返事も待たずに彼女の心臓に〈神帯〉を突き刺した。

 瞬間、姫花は悲鳴をあげる。


「きゃぁあああああああああああああああああぁああぁあああああ!」


 おそらく彼女は現在、周囲に大量の目を見ていることだろう。

 その目は神の目だ。

 その数が多ければ多いほど、関心を寄せている神が多いということになり、祓魔師としての才能があると認定される。


『何これ! 何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ!? 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……』


 姫花は恐怖で固まってしまったみたいだ。

 そんな姫花に杏奈は話しかける。


「見えているであろうそれらは神々の目です。怯える必要はありません。彼らは姫花さんに興味を寄せているのです」


 それを聞いて姫花はすうはあと深呼吸をした。

 脳内も徐々に落ち着きを取り戻していく。


「そしてこれから、徐々に体を変質させていきます。神に適応できるように」


 杏奈はそう言って、今度は空間から一つの桃を取り出した。

 日本神話において、桃は伊邪那岐命が黄泉に足を踏み入れるときに食べたとされる食べ物だ。

 そのエピソードがモチーフとなり、〈開眼式〉でも桃を使用される。


「これを食べてください」


 姫花は杏奈から手渡された桃を手に取り、一口齧った。

 瞬間、彼女は蹲った。


「が、がぁあああああああああああああああああああああああぁああ!」


 体を無理やり神に適応できるように変質させるのだ。

 これは前段階とはいえ、痛みを生じるのは仕方がないことだった。


『痛い、痛い痛い痛い! で、でも、玲のため、玲の役に立つために、堪えなきゃ! 頑張らなきゃ!』


 姫花から、そんな脳内の言葉が聞こえてきて、俺は思わず姫花の側に寄って、彼女の手を握っていた。

 この痛みは俺も経験しているから分かる。

 本当に、気絶するレベルの痛みなのだ。

 ともすれば、心臓が止まるんじゃないかというほどの。


 俺が手を握ると、少し痛みが和らいだみたいだった。

 荒れ狂う姫花の脳内も徐々に落ち着きを取り戻していく。

 しばらくして、姫花の体は完全に神に適応できるようになった。


「これにて事前準備は完了です。あとは、神に選ばれるのみです。目を瞑って、神々を感じてください」


 杏奈にそう言われ、姫花は目を瞑った。

 しばらくして、ゆっくりを目が開かれる。

 その間、俺の脳内に彼女の言葉が届いてくることはなかった。


「どうでしたか?」

月読命つくよみのみこと、でした」


 姫花の言葉に杏奈は目を見開いた。


「珍しいですね。月詠様が人に降りられることなんて、なかなかないというのに」

「そうなんですね。でも、なんだかとっても仲良くなれそうな気がしました」

「そうですか。それならよかったです。これにて〈開眼式〉は終了となります。お疲れ様でした」


 こうして姫花は祓魔師としての一歩を踏み出した。

 しかし、月読命と仲良くなれるって、どんなことを話したのだろうか。

 ちょっと気になるな。

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