case.002 献身
ね、眠れない……。
俺は今、深夜の病院のベッドで一人悶々としていた。
それもそのはず、脳内に姫花の声がずっと響いているのだ。
『玲、今頃なにをしているのかな……? 大丈夫かな? ちゃんと寝れてるかな? 私がいなくて寂しくなってないかな? ……私は寂しい、寂しいよ。病院で、玲と一緒に寝るつもりだったのに、看護師に止められちゃった。さいあく。何で、どうして私たちを離れ離れにするんだろう。玲は、左腕を失って、私がいないと駄目な体になっちゃったのに、私がお世話をしてあげないといけないのに……」
どうやらこの一方的な脳内共有はどれだけ離れていても通じるらしく、家に帰ったはずの姫花の声が永遠と流れてきていた。
い、胃もたれがぁ……。
愛が重いよ……。
いやね、客観的にみれば、身を挺して命を助けたってことになるから、こうなるのも必然なのかもしれないけどさ。
でも、ここまで俺のことを大切に思わなくてもいいんだよ?
もう少しラフな感じでいいんだよ?
『玲が退院したら、絶対に私が世話をしなきゃ。私のせいで玲はああなっちゃたんだもん。私が責任を取ってお世話するのは、当然だよね? 玲は確か一人暮らしだったはずだから、私が玲の家にお邪魔してお世話するのがいいかな? だったら今のうちに家の解約しておかないと。うん、退院する前に手続きを終わらせておこっと!』
ええ……。
家の解約までするんですか……。
それを聞いちゃったら断れないじゃないか。
だって、俺が断ったら、姫花の家がなくなるってことになるし。
そんな独りごとが永遠と送られてくる。
目を瞑って、眠りにつこうと努力するが、一向に寝られそうにない。
かえって色々な考え事をしてしまい、余計に眠れなくなった。
はあ……。
一旦起き上がって、トイレにでも――
『玲、私のこと、嫌いになってないかな……? 私のせいで、あんな酷い目にあったわけだし、私が変な情報に踊らされてなきゃ、今頃みんなと普通に過ごせてたはずだから……私、嫌われててもおかしくないよね……。ううん、きっと、嫌われてる。でも、自分の気持ちにも嘘はつきたくない……。はぁあ……すっごい自己嫌悪……』
あ、夜中にありがちな猛省タイムに入ってしまったようだ。
嫌いになってないよと伝えたいが、伝える術もない。
こういう時、俺の思考も向こうに届けばいいなと思うんだけど、そう都合よくはいかないみたいだ。
『……寝よ。こんなこと、考えてても仕方がないもんね。寝れば、気分転換になるだろうし』
おお、ようやく姫花が寝てくれそうだ。
よかった、俺もこれで眠れそうだ。
しばらくして、脳内の声がパタリと消えた。
眠ってしまったみたいだった。
……しかし、どうしてこうなったのだろうか。
普通、怪異に侵食されれば、妖怪になるはずだ。
しかし俺は妖怪にならず、一方的に姫花と脳内が共有されただけで終わった。
どういうことなんだ……。
分からない。
……うん、分からないものは、考えても仕方がないか。
俺はそこで思考を止め、眠りについた。
ちなみに、その日の夜は、姫花とデートする夢を見た。
もしかすると、夢までも共有されるのかもしれない。
+++
その後、俺は姫花から話を聞いて、現状を整理した。
原作でも語られきれなかった部分がいくつか出てきた。
巫女として拾われた姫花は、神主に常々お前は道具だと言われて育ってきたらしい。
殴られた。
怒鳴られた。
ヘマをすれば鞭で打たれたりもした。
だから、姫花は愛されたくて、必要とされたくて、神主の指示を的確に守った。
そのせいで、祓魔師を束ねる組織〈
「一週間後、東海地方で中級怪異が出現する」
姫花はそう予言した。
巫女には怪異の出現を予言する能力があるのだ。
その時、姫花は夢で見たその予言を、本当のことだと思っていたらしい。
だが、実際にはそれは、まやかしだったのだ。
神主が神器で見せていたまやかしの夢だったのだ。
そもそも、姫花は巫女ですらなかった。
だが、〈高天原大群〉はそれを信じ、祓魔師を東海地方に集結させた。
一週間後、中級怪異が現れたのは、関東地方だった。
正確には、姫花自身だった。
神主は神器のひとつである〈
その神器は人の感情を増幅させる力を宿していた。
愛されたいという感情が増幅した。
それが姫花から分離し、中級怪異として世に顕現した。
その時、姫花は喰われ、妖怪になるものだと思っていた。
しかしそうはならなかった。
東海地方に行ったと思われた祓魔師の一人、
なんでここにいるのか。
どうして嘘をついた私を助けてくれるのか。
その時は、さっぱり意味が分からなかったと姫花は言った。
幾日か経ち、姫花は〈高天原大群〉の本部に呼び出された。
騙されていたから仕方がないとはいえ、ペナルティは必要だと言われた。
姫花は巫女としての立場を剥奪され、代わりに祓魔師として死ぬまで従事することとなった。
当然だと思ったと姫花は言った。
そもそも巫女ですらなかったわけだし、日本を危機に陥れた対価としては安いくらいかと思ったみたいだった。
そんなわけで、姫花は俺の元で祓魔師として修行することになった。
これが、今回の事件のあらましだ。
とりあえず、無事に第一の事件を乗り越えられてよかったと思う。
しかし、これにて一件落着、いざ日常へ帰還、というわけにもいないらしく、
『玲の元で強くなって、恩返ししなきゃ。早く一緒に肩を並べて怪異と戦えるようになりたい。お世話もしなきゃいけないし、忙しくなりそう。頑張らなきゃ。それにしても玲って意外と鍛えてるんだ。すごい筋肉……』
…………。
「なあ」
「どうしたの?」
「なんで俺は体を洗われてるんだ?」
「……っ!? だ、駄目だった!? ご、ごめんね、そうだよね、私なんかに洗われたくないよね、ごめんね!」
俺の体からバッと手を離してそう必死に謝ってくる姫花。
俺は慌てて首を横に振った。
「い、いや、そういう意味じゃなくて……」
「じゃあ、洗ってもいい……?」
「も、もちろんいいんだが、なんで体を洗ってくれるのかなぁって」
「そんなの決まってるじゃん。左手が使えなかったら、洗いにくいでしょ?」
そりゃそうなんだが。
確かに代わりに洗ってくれるのはありがたい。
ありがたいんだが、しかし、問題はそれ以外にもあって――
「なんで姫花までタオル一枚なんだ?」
「え? 服着てお風呂場に来たら服が濡れちゃうじゃん」
うん、当然ちゃ当然だな。
俺が間違っているのか……?
『ふへ、ふへへっ。玲の体、硬くて男らしい……。って、いけないいけない。そんなこと考えているってバレたら、絶対に嫌われちゃう。すでに嫌われてるかもしれないけど、これ以上好感度を下げるのは絶対に駄目。これからいっぱい恩返しして、少しくらいは認めてもらわなきゃいけないんだから』
あの、そんなことを考えてるの、バレバレですよ。
昭和の空き地の土管くらい筒抜けですよ。
まあ、そんなことを考えたくらいじゃ嫌いにはならないけど、小っ恥ずかしくなるからやめてほしい。
多分、側から見ても分かるくらいには顔が真っ赤になっていると思う。
風呂場で心底良かったと思ってる。
風呂場なら、のぼせたと言って誤魔化せるからな。
――そう。
俺は結局、退院した後、姫花と同棲することになった。
ちゃんと家を解約してから提案されたから、断る術はなかった。
今日がその初日だ。
初日からこれじゃあ、本当に先が思いやられる。
「はい、洗い終わったよ」
「あ、ああ。ありがとう」
「それじゃあ、ゆっくり湯船に浸かってね」
そう言って姫花は風呂場から出て行った。
その後、彼女はトイレに行ったらしく、ピンク色の思考が怒涛のように押し寄せてきたが、そのことは深くは語るまい。
間違いなく言えることは、俺は自分の自制心をここまで試されるとは思ってもみなかった。
風呂から上がると、姫花が夕食を作ってくれていた。
どうやら今日はハンバーグらしい。
エプロンを着て鼻歌を歌いながら料理をする姫花の後ろ姿に、思わず新婚生活という文字が頭に浮かんでくる。
なんてことを俺は考えて――って、この思考、姫花のものが感染っただけだった。
自分の思考なのか姫花の思考なのか、ちょくちょくない混ぜになって分からなくなるんだよな……。
なかなかに不便だ。
「はい、夕食出来たよ」
「ありがとう。わざわざ悪いね」
「ううん、これくらい構わないよ。命の恩人だからね」
そう澄ました顔で言う姫花は、裏で――
『きゃあぁああああぁあああ! ありがとうだって! ありがとうだよ! 感謝されちゃった! これでひとつ、恩返しができた! やった! 我、成し遂げたり!』
……ハッピーな思考が繰り広げられていた。
しかし、ありがとうの一言でここまで喜んでもらえるなら、これからもたくさん言ってあげたほうが良さそうだな。
俺がそんなことを考えていたら、姫花が箸をこちらの皿にまで伸ばしてきて、ハンバーグを一口サイズ摘んで俺の口元に持ってきてくれた。
「はっ、はい、あーん」
「……え?」
「いや、左手が使えないと食べづらいと思って、食べさせてあげた方がいいでしょ?」
しかし、澄まし顔で言う姫花の内面は――
『わぁああああぁあああ! あーんだって! あーんだよ! うわぁ、恥ずかしいっ! てかてか、こんなこと、しちゃっていいの!? いや、これもお世話のため、仕方がないの、うん、仕方がないことなんだから! はー、顔が熱い!』
かなり照れていた。
そんなに照れるならやらなきゃいいのに。
しかし助かるのは事実。
俺はパクりとハンバーグを口に入れた。
「あっ、美味い」
咀嚼して、俺は思わずそう呟いていた。
それを姫花は聞き逃さなかった。
『え!? 今美味しいって言った!? 言ったよね、聞き間違いじゃないよね!? 美味しいって、美味しいって言ってくれた! やったぁ!』
うおっ、すごい喜びようだな。
その脳内の喜びように、ふと気になってチラリと姫花の顔を盗み見る。
……うん、やっぱり、めちゃくちゃ澄まし顔だ。
さも、気が付いていませんよ、と言った風だった。
しかし、ほんのわずか、口角が上がっているのが分かる。
この脳内の喜びようを知らないと絶対に気付けないレベルだが。
なんだが逆に面白くなってきたな。
俺はもっとと言うように、口を開いた。
『……これってもっと食べさせろってことかな? それだけ気に入ってくれたってことだよね? ちゃんと 美味しいって思ってくれてるってことだよね? 良かった、順調に恩返し出来てる気がする!』
そうして俺は、やけに愉快な夕食を楽しむのだった。
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