序盤で闇堕ちする悪役巫女を全力で救った結果
AteRa
case.001 闇堕ち回避
上下左右が分からない。
何だ?
感覚が死んでいる。
今、俺は寝転がっているのか?
それとも立っているのか?
「――――・・・・――――・・・・ッ!!!」
声が聞こえる。
誰の声だ?
てか、さっきまで俺は何をしていた?
意識が飛んでいたのか。
頭が、高熱に魘されるかのように、薄らぼんやりとしていて、考えることすら億劫だ。
このまま寝てしまいたい……。
しかし、頭の片隅で、このまま寝ては駄目だと、頑張って起き上がれと、意識を蹴り続ける自分がいるのも感じ取った。
何をしていたんだっけ……?
俺は、今、どんな状況なんだっけ……?
…………あ。
そうじゃん。
このまま寝ていたら、俺は、俺たちは、間違いなく死ぬ。
目を開いた。
目の前に怪異が見えた。
怪異。
それは人間が溜めきれなくなった負の感情が分離して現れる、不定形の生物。
目の前のそれは、ブヨブヨの体に無数の口をつけて、そこから悲痛な叫びを漏らしていた。
『愛して、私を愛して、私を見捨てないで』
ノイズ混じりの声が聞こえる。
そうだ。
此奴は俺が倒すって決めたじゃないか。
怪異は自分を生み出した人間を取り込み、宿主として寄生する。
怪異に寄生された人間は、妖怪として、祓魔師に処分されることが決定される。
「玲、左腕が、左腕がぁ! 何で!? 私なんかのためにそんな、傷を負う必要なんてないのに! 私を助ける必要なんてない! そのまま、妖怪として処分してよ! 私は、私は……調子に乗って、みんなに迷惑をかけて、空回りして、生きている価値なんてないのに! どうして私のためにそこまで頑張るの!?」
弘明寺姫花。
彼女は、この最恐の鬱ゲー〈日本怪異譚〉に出てくる序盤の噛ませ役だ。
悪役の巫女として登場し、主人公たちに嘘の情報をばら撒き、混乱に貶めた本人。
しかしそれは、真の黒幕に嘯かれていただけであり、彼女自身は至って真剣に力になろうとしていた。
だが、このゲームに慈悲はない。
彼女が悪くないことが発覚した頃にはもう、怪異に取り込まれて妖怪になってしまっていた。
俺は転生者だ。
このゲームを何度もプレイしてきた。
だから、全て知っていた。
彼女が悪くないことも、いつどこで闇堕ちしてしまうかということも。
そして、彼女を助けるために、俺はこうして怪異と戦っている。
しかし、俺の左腕は怪異に寄生されてしまった。
俺の全身にはいまだ〈風来ノ命〉の神力が満ちていて、完全には侵食されていない。
だが、左腕から徐々に怪異に染まっていっているのが手に取るように感じ取れた。
残り数分といったところか。
結局、俺は〈風来ノ命〉の力を間借りしているに過ぎない。
怪異の直接の寄生には、長くは耐えきれないだろう。
立ち上がった。
よろよろとだが、立ち上がれた。
怪異と対峙する。
目のない身体が、こちらに向いた。
『愛じで、愛じで、愛じでぇええええええええええええええええええええぇええ!』
空気を震わすような叫び。
その声は悲痛だった。
姫花の負の感情から生まれたものだ。
当然と言えた。
姫花の方をチラリと見る。
完全に戦意喪失していた。
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
死んだ目でずっとそう呟いているだけだ。
使い物にならないか。
俺はなけなしの力を振り絞り、神器〈風呼びの鈴〉を呼び出す。
すぐさま召喚されたそれを手に取り、チリンと、ひとつ鳴らした。
瞬間、周囲に風が吹き、結界が生まれた。
これを〈境内顕現〉と呼ぶ。
半径十メートルほどの結界の中で、俺は怪異と向き合う。
そして、俺は、風となった。
一瞬で怪異の背後を取った俺は、風呼びの鈴を剣状に変質させ、思い切り貫いた。
「あがぁあああああああああああああああああああああああああああああぁああ!」
怪異は汚い叫び声を上げる。
この結界の中であれば、俺は風になれる。
怪異が振り返った時には、すでに俺は反対側に回っていた。
斬ッ!
今度は袈裟斬りだ。
ザックリと怪異の肉が引き裂かれ、切断面からドス黒い液体が零れ落ちる。
距離を取る。
そして今度は鈴を弓状に変質させると、風の矢を放った。
「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああぁあああああああ!」
よし。
もう少しだ。
もう少しで、殺し切ることが出来る。
おそらく、侵食され切る前に倒せれば、この左腕も元に戻るだろう。
もし左腕が戻らないとしても、それくらいの犠牲で姫花を救えるのであれば、安いものだ。
俺は最後の力を振り絞って、神力を結界内に満たした。
俺を中心に、暴風が吹き荒れる。
小石が飛び、怪異すらも吹き飛ばされる威力だ。
天高く舞い上がった怪異は、小石やら何やらに体の表面を削り取られ、すでに虫の息だった。
そしてそのまま、地べたに叩きつけられて、黒い液体を撒き散らしながら絶命した。
「……勝った、のか?」
怪異の残していった黒い液体は高温に熱されたように蒸発していく。
どうやら闇堕ちを回避できたみたいだ。
よかった。
俺は結界を解き、姫花の方を向く。
彼女の表情はまだ、恐怖で固まっていたが、俺は安心させるように微笑みかけた。
「大丈夫、もう倒し切ったよ」
「う、う、うし……」
「うし……? 一体、どうしたんだ――ガッ?!」
背後から、俺は心臓をひと突きされた。
ポタポタと、口から血がこぼれ落ちていく。
再び、痛みで、身体が熱されていく。
「あ……え……?」
急速に、肉体が、精神が、侵食されていくのを感じる。
拙い、まだ生きていたみたいだ。
おそらく、自分の体の一部を切り取って、生き永らえていたのだろう。
「やらか……した……」
そうして、俺の意識は完全にそこで途絶えた。
――そう思っていたのだが、どうやら少し状況が違ったみたいだ。
+++
意識が浮上するとともに、脳内に何か異物が混ざっていることを感じ取った。
『ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい』
何これ?
めちゃくちゃ謝罪されてる?
脳内に変な声がずっと響いていた。
この声、どこかで……。
って、姫花の声じゃないか。
何で姫花の声が俺の脳内に直接……?
俺は目を開いた。
どうやら俺は病院のベッドに寝かされているらしい。
清潔な消毒液の匂いが鼻に刺さる。
そして、目だけを動かして周りの様子を伺うと、傍に寄り添うように姫花が座っていた。
目が合った。
瞬間、俺の脳内の声が変わった。
『よかった、生きてた。よかった、生きてた。ああ、よかったよかったよかったよかったよかったよかったよかったよかったよかったよかったよかったよかったよかったよかったよかったよかった、よかったよぉ……』
現実の姫花は目を潤ませて、突如として俺に抱きついてきた。
「よかった、生きてた……。よかった」
俺が生きていたことに喜んでくれるのは、純粋に嬉しいし、心配かけたとも思う。
しかし、それ以上に大事なことがあった。
この脳内に聞こえる声が、おそらく姫花の脳内の独りごとだということだ。
どいうわけか、俺は姫花が生み出した怪異に侵食されて、彼女の感情が直接伝わるようになってしまったらしい。
『ごめんなさい、ありがとう、何で私のために、よかった、嬉しい、いやでも、何で私のために……』
今の彼女の脳内の状況はこんな感じだ。
完全に混乱している。
俺はいまだ抱きついてくる姫花を引き剥がそうとして、左腕が動かないことに気がついた。
右手は動くみたいだ。
布団を剥がして左手を見てみると、真っ黒に変色していた。
どうやら怪異に侵食された結果、使い物にならなくなってしまったらしい。
「あっ……あう……ご、ごべんなざい、ごめんなざい、ごめんなざいいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃいいいい!」
俺がその左腕を見て、責められると思ったのか、姫花は泣きながら必死に謝ってくる。
「あ、いや、責めようとか、そんなつもりはないから。安心して」
「……ぐすっ、ほんと?」
「もちろんもちろん。たった左腕くらい、姫花を助けられたと思えば安いくらいだよ」
言うと、姫花は感極まったように再び俺に抱きついてきた。
「うわぁあああああああああああああああああああああああぁあん! もう絶対にあんなことしないからぁああああああああぁ! ずっと、ずっと、ずっと離さないからぁああああああああああああああああああああああぁああ! ごべんなざいいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
俺はそう泣き叫ぶ姫花の頭を撫で、何とか宥めようとする。
しばらくして、ようやく泣き止んだ姫花だったが、泣き止んでもピッタリと俺に抱きついていた。
『もう絶対に離さないんだから。ずっと一緒にいるんだから。一生、離れるつもりなんてないんだから』
現実ではじっと黙っているのだが、そんなことを呟いている脳内が完全に筒抜けだった。
あ、愛が重い……。
一生か、一生ね……。
俺としては、もう少し、楽しく気楽にいきたいんだが、どうやらそうもいかないらしい。
はあ……どうしたものか。
ずっと、彼女の脳内環境を覗き見し続けるわけにもいかないしなぁ……。
しかしこれを伝えるのも、如何なものか。
元に戻る確証もないのに、ずっと聞かれていることを知ってしまうのも気分が良くないだろう。
これは解決方法が見つかるまで、黙ったままの方がいいのかもしれない。
『一生一緒。一生一緒。絶対に離さない。ずっとずっと離れないから』
俺はそんな姫花の独りごとを聞きながら、一人頭を悩ませるのだった。
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