久美子の意見

第2話 林檎一個のメッセージぐらいで

 それは、久美子くみこが大学に入って初めての秋のことだった。

 久美子のお母さんは、桑畑を買って、桑を育てて、その桑でかいこを育てて、その蚕から採った絹で着物を作る、というプロジェクトを進めている。

 その完成はまだ遠そうだ。

 大学に入った久美子は、その日、古典文学だか古典文化だか、そういう授業で聴いた「パリスの黄金の林檎りんご」の話をしてくれた。

 場所は、いつもの、年季の入ったビルの屋上のカフェテリアだ。

 「で」

と、わたしは久美子にきく。

 「そんな林檎をテーブルに投げ入れられたら、久美子ならどうする?」

 どう答えるか、興味があった。

 ところが、久美子が言ったのは

「林檎を投げるなんて失礼なことをしたやつに投げつけ返してやる。できるだけ、眉間みけんに強力に命中するように」

ということだった。

 そんなことばを何のいやみも感じさせずに言ってしまう、というのが、この子の美少女らしいところであって。

 しかも、言うことが久美子らしい。

 気が強い。

 「いや、そういうことじゃなくて。じゃあ、店員さんが、あちらの方からここのテーブルの方にプレゼントですよ、とか言って持って来たら? いちばん美しい方へ、ってメッセージを書いた林檎を」

 「もらっとくけど?」

 やはり、とても平気で言うところが久美子らしい。

 こういうのはもう慣れてしまっていて、ぜんぜんカチンと来たりはしないのだが。

 「じゃあ、わたしもその林檎がほしい、って言ったら?」

 軽く気にさわったようなふりをして、テーブルに身を乗り出して、言う。

 「ああ、じゃあ、アキさんにあげる」

 アキというのはわたしの名だが。

 拍子ひょうしけするようなことを軽く言う美少女。

 高校生のときにも美少女だったが、大学に入って、美少女から大人になろうとしている久美子。

 美少女から、もっと美しい大人になるのだろうか。

 その美しい大人候補がアンニュイに言う。

 「林檎一個のメッセージぐらいで、アキさんとケンカしたくない」

 これって……。

 もしかして、久美子って「黄金の林檎」の神話の寓意ぐういがわかってないのでは?

 だから、わたしは言う。

 「だって、だれがいちばん美しいか、って問題だよ? いちばん美しい、って、世界に一人しかいないんだから」

 ところが、久美子は平然と

「おんなじこと」

と言う。

 「アキさんと、どっちが美人かなんてことで、ケンカしたくない」

 はあ。

 これって。

 自分の美しさに自信があるから言えることだよね。

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