23.気まぐれ
勧められるまま、ふかふかのマットレスに腰掛ける絢世。
「
「はい、どうぞ。あの」
「なぁに? あ、さっきのでびっくりしたかもしれないけど、あたし女の子には優しいの。だから、緊張しないで気軽におしゃべりしてくれると嬉しいわ。ねぇ、高校ってどう? 楽しい?」
「……
絢世へ向ける笑顔は非常に魅力的なのだが、ドアの外から口を挟む勇哉には絶対零度の眼差しが飛ぶ。
「うっさいわね、あんた。何様のつもり? つまみ出されたくなかったら黙ってなさいよ」
「はいはい。でも、俺を追い出して困るのは萩野だぜ? 俺は、お前を運ぶ役割を任せられてるんだからな」
「運ぶ? あたしを?」
今日決まった流れだから、当然
「……という訳なんですが」
「素敵じゃない! なんだか物語みたいね! いいわ、あたしその子に会ったげる」
「……
「でも可愛いんでしょ?」
「可愛いです」
「ならいいじゃない」
渋い顔をする勇哉。理不尽だ、と呟く声が微かに聞こえたが、当のお嬢様はそんなことを気にしたそぶりもない。
「えーと、じゃあ、橙珂さんに公園まで来てほしいんですけど」
「橙珂って、あたしのこと?」
そういえば、まだ本来の名前も知らなかった。
「あ、すみません。翠羽君がそう呼ぶみたいで、つい。お名前、なんていうんですか?」
今更のことに赤面しつつ絢世が問いかけると、しかしなぜかそこで彼女は整った眉をしかめてしまった。
「その、橙珂ってのでいいわよ。あたし、自分の名前嫌いなの」
「えーと、わかりました。じゃあ橙珂さん、で」
よくわからないが、この話題は地雷のようだ。絢世と勇哉が当惑気味の顔を見合わせていると、お盆にティーセットを載せた朔夜がようやく戻ってきた。
「お待たせしました、お嬢様。新しく仕入れたバニラの香りのブレンドティーと、お気に入りのアールグレイです。どちらをお淹れしましょうか?」
「いらないわ。朔、あたし出かけてくるから」
「えぇ!」
悲痛な表情の朔夜。
「ちょっと、そこのでかいの」
「……三条勇哉」
「勇哉。入ってきていいわよ」
「そりゃどうも……」
明らかに彼の方が年上だが、橙珂は当然のように呼び捨てだった。勇哉の手から奪い返したクッションを部屋の隅に放り投げ、うんざり顔の相手に対して細い腕を広げてみせる。
「ほら、運ぶんでしょ? くれぐれも丁重にお願い」
「……いや、車椅子とかねぇの?」
「す、すみません、探してきます」
「こないだだって見つからなかったじゃない。朔の探し方じゃ一生出てこないわ。待つだけ無駄」
あからさまにうろたえる勇哉。無理もない。滅多に出歩かないという話だったから、車椅子もしばらく出番がなかったのだろう。加えて、橙珂の体は小柄で華奢な手足とは裏腹に、出るべき部分はしっかりと出ているのが服の上からでも明らかだった。抱きついたら気持ちよさそう、と同性の絢世ですら思う。
「流石にまずいだろ、なぁ?」
「何よ、あんたが先に運ぶって言ったんでしょ」
しどろもどろの勇哉がなんとかしてくれ、と目線で訴えてくる。対する橙珂は余裕の笑みで、無茶を承知で彼を挑発しているのだとわかる。絢世は少し迷った末に、勇哉へ助け舟を出すことを選んだ。
「勇哉さん、諦めておんぶしてあげたらどうでしょう」
「あ? ああ、それなら、まあ」
お姫様抱っこよりは気が楽だろう、と思ったが、案の定彼は拍子抜けしたように小さく息を吐いて、軽々と橙珂を背負いあげた。逆に、悲鳴を上げたのはお嬢様の方である。
「きゃあ! ちょっと、丁重にって言ったでしょ!」
「充分丁重だろうよ。……っていうか」
「何よ。重いとか言ったら許さないわよ!」
耳元で騒ぐお嬢様に、顔をしかめて、違う、と首を振る勇哉。察した絢世が、手を伸ばして自分のバッグを橙珂の胸の下に挟む。財布と携帯しか中身はないのに大きすぎるそれが、変なところで役立った。
「……悪い」
「いえいえ」
一方、橙珂は突っ込まれたバッグをまじまじと見つめて言う。
「ねぇ、これどこで買ったの」
「え? えーと、駅ビルだったかな」
「あたしも同じのが欲しいわ。買いに行きましょ」
「おい、翠羽に会うんじゃねぇのかよ」
「交換条件よ。買い物が先。終わったら会ってあげてもいいわ」
「お前もか!」
どこまでも気まぐれなお嬢様に、彼女を背中に乗せたままの締まらない格好で、大きくうなだれる勇哉だった。
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