22.橙珂

 さすがにお屋敷と表現されるだけあって、目当ての住宅は立派な作りをしていた。まず門から玄関までが遠く、その間を占める庭は迷路になりそうな低木の壁が続く。途中、つやつやと黒光りした高級そうな車とすれ違った。

 

慧哉けいやにスーツ貸そうかってからかわれたんだけど、そっちのが正解だったかもな……」

 

 隣を歩く勇哉ゆうやがぼやく。それに冗談を返せないくらいには、絢世あやせもこの空間に圧倒されていた。

 

 結局、約束よりも幾分早く到着することになったが、手動の重いノッカーを鳴らすとすぐに出迎えられたことからして、どうやら朔夜さくやの方もすでに玄関で控えていたらしい。

 金色の髪と瞳を持つ彼も当然のようにきれいな顔立ちをしていた。弟にあたる風璃ふうりのような研ぎ澄まされた美貌ではなく、どちらかというと翠羽すいはに近い柔らかさが印象に残る。

 

「……勇哉さん、私服でよかったです」

 

 互いに自己紹介などをすませた後、絢世はこっそりと勇哉にささやいた。朔夜は仕事柄か黒いベスト姿だし、ここで勇哉にまでフォーマルな格好をされてしまうと、非現実感に圧倒されてしまうだろう。金髪の二人が並ぶと、それだけで充分目にまぶしいというのに。


 洋風のお屋敷なので靴を脱がなくても良いらしい。絢世たちを案内して絨毯引きの廊下を進む朔夜が、嬉しそうな笑みをこちらへ向けた。

 

「すぐにお会いになりますか? 奥様が帰られたので、今、お嬢様はちょうど機嫌がよろしいんですよ」

「ああ、さっきの車の人か? 親とは別居してるのか」

「ええ。えっと、朔もそれほど長くお勤めさせていただいていないので、詳しいことまでは存じ上げないのですが。……風様からはどうお聞きですか?」

「実はあんまり。足が不自由だってくらいしか……」

 

 ぴた、と朔夜が歩みを止め、絢世はその背中にぶつかりそうになる。見上げると、顔だけで振り向いた彼は困ったような微笑みを浮かべていた。

 

「すみません、その通りではあるのですが……、どうか、お嬢様の前ではあまりその話題は出さないでくださいね。気丈な方ですが、やはり気にされていらっしゃいますから」

「……はい、すみません」

「いえ。……生まれつきお悪いようなのです。残念ですが、奥様もお忙しい方ですから。それで、朔たちがお世話させていただいています」

 

 簡単な説明をすませると、朔夜はちょうどそこにあった扉をノックした。わざわざ注意するために立ち止まったのではなく、単純に目的地へ着いただけだったようだ。

 

「朔です。お嬢様、お客様がお見えです」

 

 返事はない。

 

「……お嬢様? 開けますよ?」

 

 もう一度声をかけ、朔夜はゆっくりとドアノブを回す。その瞬間、部屋の中から飛んできた何かが、彼の顔面に直撃した。

 

「わふっ!」

 

 尻餅をつく朔夜。その膝の上に、ピンク色のクッションが転がり落ちる。

 

「……えーと?」

 

 どうしたものかと迷い、絢世は勇哉と顔を見合わせる。とりあえず、このクッションが部屋の主から投げつけられたものだということは理解できたが。

 澄んだ高い声が響いた。

 

「あんたが当たっちゃダメじゃないの、朔。避けなさい。あたしはそこの図体でかい男を狙ったの!」

「俺かよ……」

 

 嫌そうにつぶやく勇哉。大方、窓からこちらの来訪は見えていたのだろう。

 クッションの勢いで扉は全開になってしまい、部屋の様子も思い切り晒されている。ピンクで統一されたお嬢様の私室はやや散らかっており、その辺りは普通の女の子と変わりないようだ。そして、豪華な天蓋付きのベッドの上に、問題のお嬢様の姿があった。

 色素が薄いのか、オレンジとはいかないまでもシーツに広がる長い髪は淡いブラウンで、肌も透き通るように白い。つり上がった茶色の瞳は大きく、淡い桜色の唇は反比例するように小さい。まとったライラック色のワンピースはいかにも品が良いものだが、気まぐれそうな彼女には幾分不釣り合いでもある。信じられないことに、実物の橙珂とうかはクローヴィスの手による肖像画に輪をかけた美少女だった。

 最近、見目の良い男性にはなぜか縁の多い絢世だったが、同性でここまできれいな人間を見るのは初めてである。同様に勇哉も、彼女に視線を奪われているようだった。


「お嬢様ぁ、危ないじゃないですか、突然こんなもの投げたら。朔だったから良かったものの……」

「だから、あんたじゃダメなのよ。あたし、同じくらいの女の子が来るっていうから招待してもいいって言ったのよ? こんな筋肉が来るとか聞いてないわ。帰って貰って頂戴」

「あー……」

 

 お嬢様の言葉通り、勇哉はまさに筋骨隆々だし、一方絢世は女子としても細身な方だ。存在感にも体格にも圧倒的な差がある。扉越しの位置だと、勇哉ひとりが訪れたように見えたのだろう。

 

「すみません、いまーす」

「あら」

 

 身を乗り出して手を振ってみると、ふくれっ面だったお嬢様はころっと態度を一変させ、蕾が綻ぶような笑顔を見せた。

 

「なんだ、早く言ってくれればいいのに。あたし、ほとんど部屋から出ないから友達いないのよね。だから今日すごく楽しみで。……朔! へばってないでお茶!」

「は、はいっ!」

 

 容赦なく命令された朔夜は、勇哉の手にクッションを押しつけ、つんのめるように駆けだしていく。

 そんな様子を見もせずに、絢世を手招くお嬢様。こちらの困惑などお構いなしなその様子に、話に聞いていた儚げな印象が音を立てて崩れ落ちていくようだった。

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