猛猛猛猛猛猛猛猛猛猛暑

伊藤沃雪

猛猛猛猛猛猛猛猛猛猛暑

 今年の夏の最高気温は100℃だ。

 馬鹿言ってんなと思われそうだが間違いではない。僕もこの未来世界に転移した時、アホか、と思った。


 永続的な地球温暖化と、地球の地熱?核?が刺激されて熱を発したとかで、上からも下からも温められた我が星は、サウナのように温められてしまった。とっとと宇宙に避難できれば良かったのだが、全人口を乗せて漂うほどのステーション建設は間に合わず、半数程度はサウナアースに残されることになったそうだ。せっかく異世界転移するなら、僕も宇宙の方に行きたかった。

 かくして残された人類は熱気対策を急いだ。まず逃げ場がない。深海は地熱、上空は日射熱で溶けそうに暑い、というか実際に溶けた。結論としては間をとった。ボール状の居住空間……居住球(コロニーボール)を地上から数百メートル浮かせて、何本もの支柱で支える。蜘蛛みたいな形状と思ってもらえればいい。さらに、外からの熱気を遮断するため幾重にも殻をかぶるようにフィルタを重ねた。とにかく、そんな奇妙な生活空間を作りあげた。

 次に食糧だ。当然ながら100℃の環境で動植物は死滅した。よって人類が居住球に保護した分だけは、植物や動物たちは生き延び、また食物にされている。海は干上がったが、その分雨もほぼ常に降ってくるので、地上は洪水だらけだ。そういう時は、居住球は支柱を引っ込めてゆらゆらと漂い、身を任せる。外から地球の様子を眺めたことはないが、人類の暮らすボールがいくつもいくつもプカプカ流されているので、滑稽なことだろう。

 まあ、無茶苦茶な条件下ではあるが、人類はよく生き延びていると思う。だというのに人はどうして、更なる冒険を侵そうとしてしまうのだろうか。


 戻る方法なんて見当もつかず、僕はそのままここに居着いた。言い忘れていたが僕の名はハヤトという。転移後に名乗った時、語感が冷やっとしてていいね、と言われた。どういう褒め方なんだ。

 この日も僕は日課である散歩をしに、コロニー内の公園を歩いていた。ちなみに仕事はしていない。

「おはよう、ハヤト。お前聞いたか?」

「はよ。何を」

「外界探索隊が出るって話」

「外界……って嘘っ⁉︎」

 ここへ来てそろそろ一年、ちょっと怪しい出自の隣人くらいの扱いを受けるようになった僕に話しかけてきたのは、隣に住む青年・マイクだった。金髪碧目の美青年で、性格も申し分ない。非常にモテるが、彼女はいないらしい。密閉空間で新規流入の存在しないここの住人達には、繁殖は重大な問題だ。まあそこは置いておこう。

「人類が居住球(コロニーボール)に移住して数百年だろ。研究者が、外気温とか洪水が少しは収まっているんじゃないかって言うんだよ。で、探索隊を出そうってなったわけ」

 マイクは期待満々という感じで輝いた目を向けてきたが、僕は思わずドン引きしてしまう。

『外の世界はきっとマシになっているはずだ!』『バカやめろ無謀だ!』『止めてくれるな、俺は行く!』は完璧な死亡フラグじゃないか。僕のいた二〇〇〇年代から遥か何千年も経過しているそうだから、死亡フラグなんて概念が存在しないんだろうが。いやでも、その特攻野郎達が出ていくのは勝手にしてもらうにしても、完璧に閉ざされた居住球をオープンしてしまうのは危ないんじゃないか?


「そっ、それさ、止めた方がいいよ! 絶対危ないって! 僕ちょっと首長に取り合ってくる!」

「えっ? どうしたんだハヤト! おっオレも行く!」

 ハヤトは踵を返し、公園の土を蹴り上げて駆け出した。首長は各コロニー毎に存在している、コロニー内の一切を取り仕切る管理責任者だ。たいてい、コロニーの真ん中を陣取る、一番背の高い建物である球政府(きゅうせいふ)に居る。見た目は立派なお髭をたくわえたお爺さんで、常に冷静沈着なイメージの首長だが、まさかそんな提案にGOを出すとは。僕自身、コロニーで起きること、ましてや球政府のやり方に口出ししたりしない人間なのだが、今回ばかりは住人全員に関わる事態になる気がしたのだ。


 コロニー内で食べたりする為の牛、豚、鶏や魚たち、虫たち、小麦や植物や野菜などが育てられている広大な農場を横目に見ながら、僕とマイクは懸命に走る。この場所だけ切り取って見たら、僕の時代でいうアメリカやオーストラリアの農場風景だ。世界がボール状に収められて、もっと外側は水だらけで100℃になっているなんて信じられない。今見えている景色と現実のギャップに一瞬、頭がくらっときたが、僕は再び球政府のシンボルたる高層建築を目指して手足を動かした。



 球政府の施設内に辿り着き、駆け込むようにしてエレベーターに飛び込んだ。僕に続いてマイクが滑り込み、エレベーターの扉がチンと音を立てて閉まる。僕らは二人して項垂れ、肩を上下して荒い息を吐いた。

「はぁ、はぁ……本当にどうしたんだよ、ハヤト。お前、普通じゃないぞ」

「はっ、はっ、はあ……僕にも分かんない」

 マイクの声色は少々うんざりしている様子だった。彼は基本的に心が広いので、よっぽど僕の振る舞いに辟易したんだろう。


 エレベーターがするすると上昇していって、僕らの息が整うころに、最上階へ到着した。また小気味良いチンという音を立てて、機械音声が告げた。

『最上階、首長室でございます』

 何の慈悲もなくさっさとドアが開くと、だだっ広い部屋の正面奥に、首長がどっしりと座っていた。

「どうした? お前達」

 突然の来訪に驚いたらしく、首長のほうが眼をまん丸くしている。

「しっ……首長! 外界への探索隊を出すって本当ですか⁉ 絶対やめた方がいいですよ! 僕の時代じゃあ、そういうのは死亡フラグって呼ばれてて、帰れる確率がめっぽう低くて……」

 何でかわからないが、喋り始めたら止まらなくなった。僕は矢継ぎ早に思いつくままを訴え、首長にわかってもらおうとする。首長のほうは初め面食らっていたが、徐々に前のめりになって何かを考え込む姿勢になった。

「よし。ハヤト、お前さんも探索隊に参加しなさい。マイクも」

「それでっ、危険性が——え?」

「は??」

 僕だけならいざ知らず、付いてきただけのマイクも巻き添えをくらった。首長の鶴の一声で、まさかの展開となってしまったのだった。




 こうして僕らは外界へ旅立った。

 普段はガチャガチャのカプセルよろしくぴっちりと閉められた居住球が、一部分だけパズルのように形状を変えて、開いていくさまは圧巻だった。SF映画、PS5の高級ゲーム、そんなイメージだ。冒険が始まる感じがしてワクワクした。


 でも、正直、楽しかったのはそこまでだった。

 外界は予想通り洪水ばっかりの危険地域で、全然まったく水が引いてなんていなかったし、気温は100℃あった。

 外界探索隊は僕とマイクを含んで6名いて、僕ら以外は全員大人だ。洪水ばかりの地上を移動する際は小さい居住球みたいな水陸両用船に乗り、自分の足でなにか調べたい時などは100℃に耐えうる分厚いボディスーツで全身を包む。自分自身から蒸発する発汗・呼気などあらゆる水分を飲料水として再生成し、マスク内にあるチューブでいつでも飲めるようになっている。これでマスクを外さずに活動が可能だ。

 こんな過酷な環境に出されてしまって、僕はあのとき進言してしまったことを死ぬほど後悔していた。マイクの方は意外にも、外に出てから興奮しっぱなしで楽しそうにしていた。やっぱり居住球以外の世界を見るのは好奇心が疼くものらしかった。

 目立った成果はなかなか得られなかった。一月経つころには、外の世界は洪水だらけで依然危険、ということが分かっただけでも良かったんじゃないか、と、探索隊内でも戻る機運が高まりつつあった。


 ところが、そんなある日のことだった。僕らは世紀の大発見をした。何と、廃墟になった研究所跡から、時空を捻じ曲げて転送できる装置が発見されたのだ。

 そんなわけあるか、と言いたくなったが、ここは遥か未来の世界。この時代の人からすると、割と受け入れられる技術だったらしい。探索隊の面々は、地球脱出に希望がみえたと歓喜した。


「でもこの装置、ちゃんと動くかな?」

「試しに使ってみる、ってわけにもいかないしな。一度でも転送がなされれば、確認できるんだが」

 ふと隊員が口にした一言で、場の雰囲気が重くなった。どうやら試運転が必要なようだ。確かに、使おうとしたら失敗して訳のわからない時空に飛ばされてしまったんじゃ、意味がない。あまりに酷い仕打ちだ。

「あ……じゃあ、僕使ってみますよ。もともと昔の時代の人間ですし」

「ハヤト⁉」

 僕が挙手してそう言うと、マイクが素っ頓狂な声をあげて僕に掴みかかってきた。

「ハヤト、何言ってんだよ! 僕ら、ここまで一緒に苦労してきて、やっと成果が得られたんじゃないか! 何で今になって、別時代がどうとか言い出すんだよ‼ もうそんなの関係ないだろ‼」

「マイク……」

 辛そうに顔を歪ませて叫ぶマイクに、僕はじんときてしまった。この世界にやってきて以来、みんなとても良くしてくれたが、やはり転移者であるという壁は感じていた。そりゃそうだ。突然、前触れなく目の前に見知らぬ人間が現れたら、誰だって不審に思うだろう。

 でもマイクは違った。本当にただの友人として僕に接してくれた。

「マイク、本当にありがとう……。でも僕、行くよ。戻れる可能性があるなら賭けてみたいし、その結果、みんなの役に立つなら、僕はとても嬉しいんだ」

「ハヤト……!」

 マイクが顔をくしゃくしゃに歪める。僕自身、嘘偽りはなかった。この100℃世界の人々はとてもいい人達ばかりだった。役立てるというなら、これほど誇れることはない。


 転移装置を起動した。装置の上に楕円形の出入り口のようなホールが出現し、周辺の時空がばちばちと音を立てて歪んでいる。

 僕はホールに片足を踏み入れ、一度後ろを振り返る。分厚いボディスーツで身を包む人々。外ではじゃばじゃばと水が流れ続け、猛烈な暑さが終わりなく覆っている。さようなら、サウナアース。さようなら、未来の人々。僕は思い切ってホールに飛び込んだ。





——「ん……んん?」

 僕はゆっくりと瞼を開いた。何が起こったんだろう。転移装置に飛び込んでからの記憶がない。白い壁と医療器具が目に入る。どうやら、病院に寝かされているらしい。


「あら、目が覚めたのね!」

 僕が目覚めたことに気づき、女性が駆け寄ってきた。白い看護着を着ていることから、とりあえず看護師であると仮定する。

「あなた、突然街中に現れたんだけど、防寒装備を何も付けてなかったから気を失っちゃったの! 一体どうしたの? 大丈夫?」

「防寒……?」

「当然よ! だって、外は−100℃なんだもの!」

「は?」


 なんと僕が時空転移して辿り着いたのは、元の地球ではなかった。遥か未来、氷河期を迎えた世界線——気温−100℃になってしまった地球だったのだ。



 <了>

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