5.こんにちは、マルちゃん
「えっ、なにこれえええええ!」
空一面に広がる鋭利な刃物がアムとイブキ目掛けて降ってくる。花御子は頑丈なので多少なりとも体が切れようが、先程のような自己回復能力で治してしまう。しかし、それには花羽で作られるエネルギーが必要だ。雷を操ったイデアと首の怪我を治した分で、イブキの花羽はエネルギーを大量に消費したので萎れてきている。
とりあえずアムを安全な場所に連れて行かなければ。とイブキは思い切り地面を蹴り、アムを小脇に抱えて降刃確立100%の空から脱出しようと試みる。
だが、残念な事にイブキの体は限界を迎えていた。
「…ぁ?」
視界が揺らいで大きくバランスを崩し、顔面から地面に着地しそうになる。目を硬く瞑り、せめてクッション代わりになればと花羽でアムごと身を包むイブキ。
しかし、数秒経っても地面にぶつかる衝撃も刃物が突き刺さる痛みもない。代わりに雨上がりの独特の匂いが風に乗せられて舞い上がってきた。
不思議に思ったイブキがゆっくり目を開けると、数cm前に地面が広がっていた。浮いているのかと思ったが、それよりは地面との間に何か見えない壁があるようにイブキは感じていた。
「若者よ、ここはアムさんに任せときなさい」
いつの間にイブキの腕から抜け出したのか、アムの声が上から聞こえる。イブキが身を翻して空を見上げると、いつもの青空が広がっていた。あの嫌な輝きはどこに消えたんだと、周囲を見回すと、それは自分たちを取り囲むように無惨に地面に散らばっていた。
「これって……」
「私の『魔物の方の』力だよ」
アムが片方の口角を上げて、いかにも悪そうな、だがそれにしてはどこか威厳のない感じで目線をイブキに送る。
「……やっぱり気にしてるよね。ごめ……いたっ!?」
「これで許してあげる」
アムの言葉にイブキの血色感のない青白い肌が更に青くなり、慌てて謝罪の言葉を述べようとしていたが、突然地面との間にある空間が無くなって尻餅をついたので、最後まで言い切れなかった。
それに、アムはしてやったりといった様子で、どこか嬉しそうに笑顔を浮かべている。
イブキはその笑顔に心底ホッとして、心の隅に生まれつつあったアムに対しての不安が消えるのを感じた。
「さて……。こんな事をするのは1人しかいない」
「え、誰か分かってるの?」
手を腰に当てて神妙な顔をするアム。イブキは出会ってからずっと笑っていたアムが初めてするその表情に釘付けになった。
「うん。それでは呼んでみましょう、マルちゃーん?」
しかし、またいつものようにおちゃらけた雰囲気に戻りこの襲撃の犯人に呼びかける。
「その名前で呼ぶなと何度も言ってるだろう!」
凛としたテノールの声が、木々の中を掻き分けて現れる。
肩までの癖毛に、オーバサイズの動きやすそうな服。服のジッパーを上げて、顔の半分を隠しているので表情はよく分からないが、大きい猫目を吊り上げて、木の上からこちらを見下ろしているので、きっと怒っているのだろう。声を聞かなければ女の子と見間違ってしまうほど可愛らしい顔が台無しだ。
確かに標的がこんなにも元気であれば不機嫌になるのは当然だが。
「久しぶりだねぇ!元気してた?」
「見た通り元気だ、お前こそ元気そうだな!」
アムは相変わらずニコニコ愛嬌を振りまいて、その少年に話しかける。
しかし当の『マルちゃん』はイライラして、どこからか取り出したナイフをアムに向かって投げる。
そのナイフは、アムが人差し指を立てて、少し動かすとどこからか吹いた風によって軌道が変えられてしまった。
その様子を見て、きっとさっきのナイフもこうやって回避したんだろうなとイブキは思った。
「もうこんなことやめなよ、危ないよ」
「それはお前次第だな、俺だってもうお前の顔は見飽きたんだ。大人しく身を差し出せ」
「へへん、残念だけどそれは無理」
「……なら、今日で終わらせる!」
木の上からアム目掛けて飛び降りてくる『マルちゃん』を、本人は難なくヒラリと交わし、同時に彼は音をほとんど立てずに静かに着地する。
そして即座に短刀を手に構えて、アムに飛び掛かるが中々当たらない。だが決して彼が遅いのではなく、アムの反応速度が異常に早いのだ。だから、ただいたずらに体力を消耗しているだけで肝心な一撃は与えられていない。
そんな2人の攻防をイブキは静かに葛藤しながら見ていた。
アムに加勢しに行くべきだろうか?だが、そこまで助けが必要そうには見えない。表情からはむしろ余裕さえ見える。逆に自分が割って入って邪魔になってしまわないか。
時々半歩前に出たりして、もじもじしながら何か状況を好転させるチャンスを伺っているがタイミングが掴めないでいた。
そんな時、マルちゃんと目が合った気がした。
すると、彼はアムを突き飛ばして距離を取るとイブキの方へ近づき、素早く背後に回って彼女の花羽の生え際あたりを乱暴に鷲掴んだ。
「ちょっと!何!?」
「だまれ。お前は今から人質だ」
「はぁ?……っ!?」
花御子相手に脅しとは随分間抜けで命知らずなやつだと思ったが、彼がナイフで花羽を切り落とそうとしていることにイブキは気がついた。
「何で知って…」
「花羽は肉体のどんな怪我も治す花御子の唯一のエネルギー源。それを切れば多少なりともダメージが与えられるのはどんな馬鹿だろうと簡単に推測できる。…まぁ実際にできるかどうかは別としてな」
イブキより若干低い身長の彼は、依然としてナイフを彼女の背中に突き立ててアムがやってくるのを待っている。
「いったー、何で突き飛ばしたん?もっと本気で向かってきなよ……って何これ。どういう状況?」
髪や衣服に葉っぱや小枝やらを付けてアムが戻ってきた。結構な距離を飛ばされたのだろうか。
マルちゃんは花羽を引っ掴んだまま、アムに見えやすいようにイブキの膝を崩し、地面に押し付ける。
イブキは咄嗟に手をついて受け身を取ろうとしたが、後頭部を踏まれ地面に顔を擦り付けざるを得なかった。彼は細身の体型の割に重たく、今の弱っているイブキでは起き上がることも抜け出すことも難しい。
「こいつの命が惜しければ、俺に殺されろ」
「……あのねぇ、マルちゃん」
アムがため息混じりに言う。
「ターゲットは私でしょ?その子は関係ない。巻き込まないで」
「ハン、よくそんなことが言えるな。お前にとってこの花御子は恵殿への復讐の為のただの道具だろ」
「そんなこと思ってない。第一、私は復讐なんて考えたこともない」
「よくそんなことが言えるな。昔あんな大事件を起こしておいて」
「……あれは」
2人の間に流れる刺さるような空気感。そんな雰囲気を気に留めずイブキは口を挟む。
「復讐って何?アムは単に恵殿が嫌いなだけじゃないの?」
「おい、人質が勝手に喋るな」
「……そうだよ、私は今の恵殿が嫌い。だから、変えたいの。本来の、あるべき姿に」
「今の?」というイブキの問いはマルちゃんの声にかき消された。
「そんな綺麗事言ってるが、所詮お前はただの人殺しだ。……俺と同じ。違うか?『花嵐』」
イブキはその言葉に聞き覚えがあった。イブキがまだ小さく、うまく飛べない時に花姫や年上の花御子から「そんなんじゃ花嵐に攫われるぞ」とよく揶揄われていた。イブキはその時、自然現象とか魔物のことかと思っていたが、まさかアムがその正体なのか?
イブキは無理やり顔を上げてアムの方を見る。せっかく繋がりかけていた首の繊維が少しちぎれた気がした。
急に風が吹いて、アムの顔は綿毛のような髪の毛に半分隠されていたので一体どんな表情をしているのか、イブキには分からなかった。
ただ、隠れていない方の目は沼地の底の様にじっとりと彼を見つめていた。
その目に流石の彼も怯えたのか、声が少し震えていた。
「……っ、な、何だその目は!脅しのつもりか?」
「別に。確かに私はそう呼ばれてるけど……、誰も殺したりしてない。…それだけは信じて欲しい」
アムの表情がいつもの優しいものに戻り、イブキの方を見て眉尻を下げて訴える。
イブキは未だ2人の関係性や話の内容に付いていけていなかったが、今のイブキはアムしか信じる相手がいないのでとりあえず首を縦に振っておいた。
するとアムはニコッと小さく微笑み、手のひらをマルちゃんに向かってかざす。
「それじゃあ、今日はここまでね。……お互い頑張ろうね、マルちゃん」
「なっ!おい!待て!」
アムのその言葉と共に、周辺にびゅうびゅうと大きな音を立てて突風が吹き荒れ、アムの手に風が集まっていく。そしてアムが彼を指差すと、そのまま勢い良く標的に向かって風が放たれた。
「……!!」
その暴風はイブキの頭上を通って髪を靡かせ、彼を真正面から吹き飛ばした。
顔面から風を受けたので息も出来ず、声のない叫び声をあげて彼は森のどこかへ飛ばされていった。
「次は結構早く会えそうだな〜、3ヶ月後とかかな」
アムはマルちゃんが飛んでいった方向をぼんやり見ながら呑気に呟いたので、イブキは押し寄せた疑問を一気にぶつけた。
「ねぇ、今の人だれ?それに、『花嵐』ってアムのことなの?私てっきり、自然現象のことかと思ってた。あと、アムって恵殿にいたことがあるの?ほら、昔とか言ってたか…むぐっ!?」
「う〜ん、そうだね。流石に何もかも喋らないって言うのも失礼だよね。……よし分かった。じゃあピラトまでの道中、マルちゃんの事から順に話そう」
今度こそは何か話してもらうと意気込んだイブキが鼻息を荒くしてアムを押し倒す勢いで接近したので、アムはイブキの口を手の平で塞いでいなし、今回こそは観念してぽつりぽつりと少しずつ話し始めた。
crush on buds 与作 @yousuck
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