かつては天使がいた

「まずはその格好をどうにかしないとね。さすがにそのままって訳にはいかないでしょ」

 アムの目には、首から流れた血で白色の着物を赤く染めているイブキが映っている。まるで幽霊のようだ。

「それに怪我の治療もー…って、その必要はないか!」

 イブキの首の傷跡からは、びっしりと隙間なく花弁が生えてきていて、うごめきながら体の切れた繊維同士を繋いでいる。花御子の回復能力だ。もうすでに血は止まっており、イブキは首をぐるぐる回して、普段の行動なら支障のない程度まで回復していることを確認する。

「うん。大丈夫そう。服も別にこのままでいいんだけど……」

「駄目に決まってるでしょ!悪目立ちする!」

あくまで自分の基準で物事を進めようとするイブキにアムは釘を刺す。

「ここからだと、ピラトが近いかな」

「ピラト?」

「麓の町だよ。さては君、地上を全く知らないね?」

「だって……、極力関わらないようにしてたから」

 茶化すアムにイブキは顔を赤くして、罰が悪そうに口ごもる。

「これから知っていけばいいんだよ。さっ、行こ。麓までひとっ飛びだ!」

 イブキの手を掴みそのまま繋いだ手を天に突き上げ、意気揚々と喋るアム。イブキは促されるままに崖を登ってきた時と同じようにアムを抱え、今度はゆっくりと飛び始めた。

強風ではなく、そよ風を舞い上がる髪の毛で感じながら、イブキが問いかける。

「そういえば、アムは人里に降りて大丈夫なの?」

「なんで?」

「だって、空気がどうのって言ってたから」

「あ〜、別にずっと滞在しなかったら大丈夫だよ。それに、これもあるし」

「いや、そもそも花羽って有毒なはずなんだけど」

 イブキのフワフワ羽ばたく花羽を指差してアムが言ったが、当の本人は怪訝な顔をしていた。

「そもそもこんな状況自体がおかしいというか。たぶん普通の人間なら意識失ってると思うんだけど」

「まだ解明されてないことの方がこの世には多いんだよ、世界は広い!行け!イブキ号!」

「うわっ!?ちょっと!やめろ危ない!」

姫抱きにしているアムが急にわざとらしい大きな身振り手振りをしたため、バランスを崩しかけるイブキ。

 またもアムの強引さに振り回されている。

 イブキも対抗してアクロバティックな飛行をすればいいものを、先ほどのアムの具合を悪そうな様子を見たのでそれができずにいた。

 

「そろそろ歩いて移動しようか。この辺から人の目につきそう」

 山をほとんど下り終え、ちらほらと空き家か民家か分からないが、人間の住まいが見えてくる。イブキは花御子が来たと町人を混乱させたくないので素直に聞き入れ、森の木の隙間を縫って着陸した。

「この辺はそんなに山の上と空気が変わらない気がする」

「そうだね、ピラトはまだそんなに技術が発展してないから。大きい国になると全然違うんだけどね。もう煙まみれ。こんな森も少なくなってる」

 鬱蒼とした木々に囲まれ、イブキは息を深く吸って息を整える。アムも元からテンションが高めではあるが、さらに調子がいいようでフラフラとイブキの周りを漂っている。

「人間ってよくこんな環境で暮らせるよね」

「きっと強いんだよ」

「そうなの?すぐ死ぬのに?昔なんて天使がいないと生きてけなかったんでしょ?」

「それは言えてる。でも、天使が味方になったほんのちょっとの期間でこんなにも地上を発展させたんだよ?それに魔物に対抗する力も身に付けた。これってすごいことだと思わない?」

「そりゃ、すごいかもしれないけど……」

 急に熱に浮かされたように捲し立てるアムに、イブキは賛同以外の返答が許されなかった。

 人間の血が半分入っている複雑な身分だからだろうか、アムは割と人間の歴史にやけに詳しそうだった。

 そこでイブキは少し意地悪な質問をして、アムの困った顔を拝んでやろうと思った。

「アムはさ、魔物の血が混ざってるのに人間の味方なの?」

「もちろん人間だよ、当たり前じゃん」

 アムの間髪入れない返答に面食らって、目を見開くイブキ。薄曇りの地上では彼女の灰色の瞳が濁って見える。

「え……でも、他の魔物から嫌われないの?」

「……?それが何か関係あるの?」

「えっと……」

 アムの純粋な瞳の追求に、むしろ逆に困らされているイブキ。てっきり、頭を抱えて悩むと思ったのだ。なぜなら、もしイブキがアムの立場だったら自分を形成する両方の種族を尊重したいと思ったからだ。だが、アムはむしろ片方を切り捨てて断絶するような素振りさえ見える。その違いにイブキは新鮮さを覚えた。

「そもそも生まれた時から人間としか関わりなかったから、大体の魔物に愛着とかはないんだよね」

「そう……」

「あ、もしかして軽蔑した?」

「いや。……うん。そっか、そうだよね。さっきの蜘蛛も容赦なく倒してたし」

「アハッ。確かに」

 アムの爽やかな笑顔に、ざわめく木陰が影を落としている。血管が透けるほど薄い肌が春の陽光にさらされて、赤みを帯びてきている。

「ごめん」

「え?何が?それにしても天気良すぎ、眠たくなってきた」

イブキの謝罪もそこそこに、小さい口をめいっぱい開けて酸素を取り込むアム。その様子は本当に心の底から何も気にしてなさそうだった。

 しかし、『あくび』という現象に縁のない花御子からすると、顔を歪めた後に目尻に溜まった涙を指で拭う、その一連の行為が、悲しみの感情から成り立っていると勘違いするには充分であった。

 自分の軽い思いつきがこんなにも傷つけてしまったと、イブキはアムを直視することができなかった。

 やはり、自分は他者と関わり合うのに向いてないのだ。いつも自分が原因で相手を遠ざけてしまう。

 このままではアムもどこかへ行ってしまうのだろうか。


「おーい、ちょっとー、イブキさん?聞いてます?」

 アムのおどけた呼びかけに、イブキの意識は陰鬱とした日陰から陽の当たる外へと向けられる。

「な、なに?」

「今から走って逃げた方がいいかも」

「なんで?」

「私を狙ってる魔物が来るから」

「『狙う』?どういう……」

 アムの突拍子のない誘いに理解の追いつかないイブキだったが、話の途中で自分の頬を何かが掠めて真下に落下したことで合点がいった。

 刃渡30cmはありそうなナイフが地面に突き刺さっている。ナイフが降ってきた真上を見上げると、昼間なのにキラキラと輝く星が見えた。それが大小さまざまなナイフが太陽の光を反射して落下してきているからだと気がつくのに、数秒も要らなかった。

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