脱出


「…さて、さっさとここから逃げないと。アイツ、私を今日のランチにするつもりなんだ。悪いけど手を貸してくれない?私飛べないんだ」

 数十m上の崖を見上げてアムが言う。太陽はちょうど真上に登ろうとしていて、確かにそうであるならば時間はなさそうだ。それに、小さい体躯に見合ったその小さな手では、この険しい崖を登ることは到底できないだろう。

「いいよ。ほら、掴まって」

「……え、そんな真正面から?流石にちょっと恥ずかしいかな〜…、なんて。私、こんな見た目だけど結構大人だし!」

 快く両手を広げたイブキに若干戸惑うアムは、なかなか近寄らない。だが、イブキはアムが何をそんなに躊躇しているか理解できなかった。

「……?何言ってるの?ほら、早く行くよ」

「ちょっ!まっ、うわぁっ?!」

 無理やり抱き上げたアムは思った以上に軽く、危うくバランスを崩しそうになったが、咄嗟に花羽を広げて蜘蛛の巣に絡まることを回避した。

「ねぇ、大丈夫?重くない?」

「大丈夫。むしろ、その反対だから」

 イブキはそう言い残し、一気に崖上目掛けて上昇した。

 トンっと軽やかに着地して、アムを地面に下ろしたが、アムは突然の急上昇に体がついていかず、ヨロヨロとその場に寝転がる。

「……丁寧な案内どうもありがとう」

「いいのよ、気にしないで」

アムの恨み節をイブキは華麗にスルーし、むしろ「人助けを生まれて初めてやり遂げてしまった」とどこか誇らしげな表情さえ浮かべていた。

 

情けないうめき声をあげながら、両手両脚を広げて仰向けになるアムがポツリと口を開く。

「……ねぇ、イブキはなんでこんな何もないとこに居たの?他の花御子みたいに、ほら、えっと……」

 だが、途中で失礼に当たると思ったのか会話の終着点を見失って口ごもる。

「『自由』にやらないのかって?」

 イブキがわざと濁した言葉にアムが小さく「そう」と返事したが、互いに黙ってしまい沈黙が2人を包んだので、風が周りの木々をザワザワと揺らす音がやけに大きく聞こえる。

 そのざわめきが一通り落ち着くのを見計ったように、アムが再び口を開いた。

「イブキ達はこれを探してるんでしょ?」

 もう気分が回復したのか、勢いよく上体を起こしてあぐら座りをすると、パーカーに手を突っ込み胸元から少し大きめのロケットペンダントを取り出して、その中身をイブキに見せる。

 中には円状に展開された丸い仕切りが12個あり、その内3つに小さな石がぴったりと収まっていた。そして、よく見るとその石の中には5枚の花弁を有した花の結晶が埋め込まれている。

「あっ!」

「そっ、花石!3つもあるの。いいでしょ!あっ、見せただけね!」

 駆け寄ってきて、今にもペンダントを奪いそうな勢いのイブキを警戒し、パチンとペンダントの蓋を閉めて悪戯っぽく笑うアム。

「なっ、なんでそんなに持ってるの?」

「頑張って集めたの、旅をしてね」

「ありえない!私達でも見つけることさえ苦労してるのに。3つもあるだなんて」

「ふっふーん、アムさんは勘が鋭いからね。それに強い!」

 目元でピースサインを掲げておちゃらけるアム。

 イブキはそんな様子に突っ込むこともなく、花石に興味津々だ。

「そもそも、なんで集めてるの?…それを一つでも恵殿に渡せば一生安泰なのに」

 ぼそりとイブキの口から出てきた言葉をアムは聞き逃さなかった。

「んー、それはこっちの台詞」

「は?」

「な〜んで、あなた達はこれを集めてるの?」

 アムは片手で持つのが精一杯のペンダントを顔の前でかざし、首を傾げる。

「なんでって……それは……花姫が欲しがってるからで」

「その花姫とやらが欲しがれば、何をやってもいいんだ?」

「……っ!」

 元々無表情気味なイブキの顔が引き攣って硬直する。

 アムの柔らかな表情から一転、槍のように鋭い口調に図星をぶっすり貫かれてしまい、そのまま地面に固定されたようになるイブキ。

「そんな訳ない」とは過去の自分を思い返すと、はっきりと言い返せなかった。

 アムはいとも簡単に、イブキの心にしつこく生えている葛を引っ掴んで、その繊細な心を白日の元に曝け出してしまったのだ。

 だが、当の本人のアムはイブキの返答を待っているのか、もしくは返答を期待していないのか、膝を抱えて崖の下をじっと見つめている。

 先ほどから強く吹き始めた風に、綿毛のような髪だけがワサワサと揺れている。

 

「……あの」

 ずっとだんまりを決め込むのもよくないと、イブキは硬直してしまった口を無理やりこじ開ける。

 きっと今ひどい顔をしているだろうなと思いながらも、沈黙を続けることは嫌いな花姫を肯定することに繋がっている気がしたので意地でも口を開く。

「たしかに、よくないとは、おもう」

 震える声を抑えようと裏返り、だんだん小さくなる声。

 アムが振り返ったのできっと聞こえているのだろう。

 その黒々とした目に見つめられた時、イブキは頭の先まで瞬間的に熱くなるのを感じていた。

 自身のみっともなさに恥ずかしくなり、目頭が特段熱くなる。

 だが、その情けない声を出した瞬間、イブキの中ですっと抑え込んできた何かが堰を切ったように溢れ始めたのだ。

「私は、花姫が……嫌い。人を見下して、常に自分のことばかり。今だってそう。自分が欲しい宝石の為に、地上なんて、どうでもいいと思ってる。」

 ぽつりぽつりとイブキの口から溢れ出た言葉が、段々と熱を持ち始める。

 普段のイブキなら、はっと我に返り、もうこの辺で話を切り上げているはずだが今日は違った。

 目の前の無害そうな人間に、自分の全てを無責任に受け止めて欲しかったのだ。

 アムも別に言葉を挟まなかったので、完全にイブキの独壇場だ。

「私は自分たちの為に、他がどうなろうと関係ないって感じが嫌だった。だから、1人を選んだ。……だれか、同じ考えの人がきっといるはずと思っていたけど誰も耳を貸してくれなかった。むしろ花石探しを建前に、喜んで人を……殺したりしてる」

 イブキは俯いて目をギュッと瞑り、今まで自分の視界を歪ませていた涙を全て絞り出した。そして、輝きを放つ瞳でまっすぐ前を向くと、再びアムと目が合った。

「私は……誰も傷つけたくない。せっかくこの体と力があるなら、私は誰かの喜びを守りたいんだ」

 アムはその輝きをそのまま受け入れたかのような笑みを浮かべると、イブキの腕を掴んで自分の方に引き寄せた。

「あっはは!ひっどい顔!」

「はぁ!?」

 ぐしゃぐしゃになった顔がアムの胸に埋まり、もがいて抵抗する。しかし、アムは華奢な割に力が強く中々脱出が叶わない。

 笑い続けるアムの腕の中でしばらく頭を撫でられた後に、ようやく解放された。

「いやー、まだイブキみたいな花御子がいたんだね」

 笑いすぎたのか、目尻に浮かんだ涙を指で拭うアム。

 イブキは自分の決意を笑われたと少し気分を悪くしたが、心の底から楽しんでいるような笑顔を前に、怒る気になれなかった。

 

「私もさ、嫌いなんだ!恵殿」

片腕を伸ばし、手のひらの隙間から空にぽつんと浮かぶ恵殿を見るアム。

「だから、『これ』は私のささやかな抵抗なの」

イブキの方に振り返り、ペンダントを見せるとウインクを投げかける。

「でも……そんな理由で?命の危険もあるのに、そんなの」

「馬鹿げてる」と言う言葉をイブキは直前で慌てて飲み込まざるを得なかった。

 目の前の真っ黒色の不敵な眼差しに、何かしらの信念を感じ、これを馬鹿にすることはきっと許されないんだろうと息を呑んだからだ。

 そしてそれよりなにより、アムの背後に大きな魔物のシルエットが現れたことが一番の理由かもしれない。

「蜘蛛!!」

 イブキがそう声を張り上げた瞬間、アムの体が糸に拘束されると、そのまま宙を舞ってどこかへ吹き飛んでいく。

「アム!!」

「あ〜、木の上の巣に引っ掛けるつもりがやりすぎた。まっ、いいわ。鮮度は落ちるけど後で回収すれば」

 じっとり濡れた黒髪に映える、鮮やかな化粧を施した顔はアムが飛んでいった方向を向いて顔を顰めている。

 黄色と黒の縞模様の蜘蛛の下半身に、赤色が目を引く派手な着物を妖艶に身に纏う人間の上体。まるで女郎蜘蛛だ。割と長身のイブキよりも一回り大きい。

 イブキも花羽の邪魔にならない程度に、着物を肩が出るようにして着崩しているが、中にインナーを着ているので蜘蛛のような色っぽさは全くない上に、化粧っ気もまるでない。

 「さて……どこの馬の骨かと思ったが、アンタ花御子じゃないか」

 顎を突き出してイブキを威嚇するように見下す女郎蜘蛛。

 イブキは生まれて初めて対峙する知能のある魔物に怯んでいた。

「花御子だったら分かってるだろう?アタシは『ベーゼ』の一員。つまり、アンタの介入は禁忌ってこと」

 蜘蛛は手の甲にある、コインを咥えるキスマークの刺青を見せると真っ赤な唇の片方の口角を上げた。

『ベーゼ』とは、花石を花姫に献上した魔物が作った集まりで、その構成員は蜘蛛が見せたものと同じ印が入っている。

 

 数年前、突如として恵殿は花石を献上した者にのみ永遠の加護を与えるという約束を一方的に地上と交わした。

 今まで恵殿によって平和の均衡が保たれていた地上は、その恵殿の御触れにより一気にバランスを崩した。

 その約束は、花石を差し出さない者はどうなろうが知ったことではないということで、逆に、花石を差し出せば魔物であっても、その身を脅かすものがあれば恵殿が味方になるという恐ろしいものだったのだ。

 なので人間はもちろん、花御子により抑圧されていた魔物でさえも花石を探し始める事態となり、混乱を極めた。

 そのため、今まで群れることを好まなかった魔物でさえも、邪魔な花御子が介入しなくなるならばと各々がコミュニティを作り上げ、花石探しに邁進した。

 そして、とうとうとある1人の魔物が、花石を恵殿に献上した。その魔物にプライドを捨ててまで、忠誠を誓った魔物たちの集まりがベーゼだ。

 つまり、イブキが目の前の蜘蛛に攻撃を仕掛けることは恵殿の約束を破ることになり、ゴロツキの魔物軍団を敵に回すだけでなく、恵殿に不信感を抱く地上の人間達の反乱を起こすきっかけにさえもなりかねない。

 地上は恵殿により、常にヒリヒリとした緊張感を帯びてしまっているのだ。ささいなきっかけさえあれば、それがいつ爆発してもおかしくない。

 

 イブキはまさに、蛇に睨まれた蛙。鷹下の雀ようかのすずめ。蜘蛛の糸に絡められた花御子。

 思考はホワイトアウトし、自分の背中を伝う一筋の汗を感じながら、目の前の女郎蜘蛛をただ見つめることしかできないでいた。

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crush on buds 与作 @yousuck

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