4-3.「自分では、彼女には釣り合いませんよ」

「大変お待たせ致しました、エリス様。こちらが夏夢草を用いた、呪術の緩和薬になります」


 シノと共に夏夢草を採取した数日後、クラウは再びエーデルリス家長女エリスの元を訪れていた。

 約束していた、彼女を蝕む病を和らげる薬である。


 私室の椅子に腰掛けもてなしてくれたエリスは、まあ、と瞳を煌めかせ淡く微笑む。

 長年、苦しめられた彼女としては、喉から手が出るほど欲しかったものだろう。


「本当にありがとうございますわ。実は先生からお薬を頂いてからというもの、身体の調子もよくなりまして」

「それは良かった。こちらの薬を服用した後であれば、外の散歩くらいは叶うかと思います」

「まあ! それは素晴らしい話ですわね」

「ええ。……ところで、以前ご相談させて頂いた件はいかがですか」


 小瓶をテーブルに乗せつつ、進捗を問う。

 実は今回のポーションを用意する前に、彼女にお願いした調査がある。


 一つは、エリスの体調がクラウの薬で改善された後、再び悪くなることがなかったか。単純な経過観察だ。


 もう一つは――

 体調が改善した後、怪しい者が、頻繁に屋敷に出入りしている気配はないか?


「まず一つ目ですが、先生から薬を頂いて以降、悪くなったことはございません。本当にありがとうございます」

「それは良かった」

「それと、不審者の出入りはございませんでしたわ。お兄様が徹底的に調査しましたもの、出入りしているのは私の信頼おける使用人のみです」


 推測が当たっていたことに、クラウはほっと胸をなで下ろす。

 大丈夫だろうと思っていたが、裏付けがあるのは有難い。


「ですが、先生。不審者の出入りとは、穏やかではありませんが……やはり?」

「ご想像の通り、エリス様の症状が呪術であれば、かならず、術者がいるはずです。その人物が身近にいないかの調査ですね。……そして、それに伴い、自分はひとつ、エリス様に謝らねばならないことがございます」


 心苦しさを覚えつつ、頭を下げる。

 エリスが何事かと眉をひそめ、クラウは些かの罪悪感を覚えながら。


「じつは、夏夢草をきちんと用いれば、エリス様にかけられた呪術を完全に解くことが可能です。しかしながら今回の薬は、あえて効能を落とし、緩和にのみ留めました」

「……その心は? 納得頂けるご説明はありますわよね?」


 当人に告げるには、本当に心苦しいのだが。

 呪い、という要素だからこそ考慮すべき事実がある。


「人を呪わば穴二つ、という諺がございます。それに準じた訳ではありませんが、呪術の中には、完全に解呪をすると術者自身にその呪いが跳ね返る場合があります」

「あら、それは良い気味ではありませんか。……先生はよもや、わたくしを呪った憎き相手に慈悲をかけると?」

「問題は、呪術を返したことで術者に、呪術が解除されたことがバレてしまう点です。それがどういう意味かは、お分かり頂けるかと」


 エリスの表情が影を帯び、意図が伝わったことを理解する。

 呪術をかけた犯人――その正体が掴めないまま、エリスの呪術が解かれたなら、相手はどう動くか?


 より強力な呪術をエリスにかけてくる可能性も、否定できないだろう。


「ですので完全に解呪するのではなく、相手にバレないよう緩和する。それが自分の方針ですが、いかがでしょう」

「ええ。理にかなっている話ですわ」

「……呪術の使い手がエリス様のことをきちんと監視しているなら、エリス様の体調が最近改善されたことにも気づくはずです。その気配がないということは、犯人は遠方にいるとは思うのですが……」

「逆に、厄介ですわね。尻尾を掴みにくい」

「はい。――ちなみに、エリス様の発症は、貴族院に通っている途中で起きたと聞きました。とすると、犯人は王都にいる可能性もあります……心あたりは、ありませんか」


 結局、呪術を放った当事者を捕まえなければ解決しない。

 エリスが唇を噛み。不愉快そうに眉を寄せる。


「心当たりが多すぎて、分かりません。青派に属するわたくしたちはそもそも、赤派や緑派と敬遠の仲ですもの。陰湿ないじめなどよくある話ですし、呪われる理由に事欠きません」

「だとしても、呪術まで持ち出すのは相当な恨みかと……」

「ハルモニアお兄様はわたくしの体調不良を、シノと仲良くなった時期と被るので、ウィノアール家を疑っているようですけれど」


 成程、それでエリスの兄は、シノのことを毛嫌いしているのか。

 納得したクラウに、エリスが溜息交じりに髪を掻く。


「確かに、シノ以外のウィノアール家とは良好な関係とは言いがたいものでしたわ。……とはいえ、確証はありません」

「畏まりました。では本件につきましては、また別途、調査法を探したいと思います」

「……先生は薬師ですのに、そのようなことも出来るのですか?」

「おそらく、ですが」


 幽術と呪術は、相容れない関係にある。

 人間の悪意や妬みを精霊達が嫌うせいか、呪術を扱うものは特有の”腐臭”とでも呼ぶべき匂いを纏っている。

 多分だが――直に顔を合わせれば、分かるかもしれない。


 犯人さえ掴めば、あとは、王都にいるチェストーラに確認すればいい。

 ……そういえば、かの友人に最近連絡を取っていないが、息災だろうか。


「エリス様も、もし疑わしい方と顔を合わせましたら、ご連絡ください。もっとも、貴族の方々は腹芸も得意かと思いますので、そう簡単には尻尾を掴めないかと思いますが」

「あら。腹芸でしたらわたくしにも心得はございますわ。先生から助言を頂けただけでも、目星はつけられようというもの。……そしてもし犯人を見つけた暁には、そうですわね。この世から消えて頂こうかしら?」


 ふふ、と瞳を細めて笑うエリス。

 シノによく似た笑い方ながら、その裏に潜んだ苛烈な殺意を隠そうともしないのが、彼女らしい。


「では、自分はこれにて失礼致します」

「ええ。先生のほうも、シノのことを宜しくお願いいたしますわ」

「世話になっているのは自分の方ですけどね」

「そうでしょうか。わたくしには、お互いにお似合いの関係だとお見受けし舞うけれども」

「自分では、彼女には釣り合いませんよ」


 冗談で返すエリスに一礼し、部屋を後にするクラウ。


 その胸中に疼くのは、予定通りに話が運んだ安堵感と――

 やはり呪術は手強い、という不快感。


(紛争が終結し、呪術に悩まされることもない思っていましたが……こんな所で、顔を合わせるとは)


 王国において呪術は卑式魔術の筆頭、忌まわしき野蛮な術と嫌われている。

 幽術以上にその扱いは厳しく、発動するだけで重罪とすら呼ばれるのに、まったく……。


 厄介なものだ、と、クラウは頭を抱えながら帰宅する。

 と、


「あ、お帰りなさい先生。エリスの調子はどうでした?」


 笑顔のシノに出迎えられ、クラウは慌てて「ただいま」と挨拶をした。

 その僅かな遅れが気になったのか、彼女がおやと不思議そうに。


「もしかして、何かありました?」

「いえ。経過は順調です。まだまだ全回復とはいきませんけれどね」

「そうですか。でも先生なら必ず、エリスをよくしてくれると信じてますから」


 では食事に致しましょう、と鼻歌交じりに店の奥へと引っ込んでいくシノを眺めながら。


 ……もし。

 シノが、エリスと同じような目にあったら――


(そんなことは、させない。……必要かはわかりませんが、呪術に対抗できる魔薬も、作っておきますか)


 ぐっと、クラウは拳を握りしめると、同時に。

 彼女のことを、必ず守ろう――そう明白に意識するほどに、彼女の存在が自分のなかで大きくなっているな、と。


 らしくもない感傷に浸りながら、クラウはシノの背を追いかけ、店の奥へと足を運ぶのであった。

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