4-2.「そういうことに、しておいてください。でないと私も恥ずかしいので」

 本当は分かっているんです、と、シノがすこし寂しげに囁いた。


「ウィノアールの名を捨て、実家に束縛されず自由に過ごしたい。そう願いながら、私はいまもウィノアールの名をお借りして過ごしています。それって、私の力じゃないんですよね」


 薬草集めを一通り終え、森の広間でのんびり昼食を採りながら。

 シノはお手製のサンドイッチを手にしつつ、ゆっくりと思い返すように、クラウに心中を告げていく。


「私の元手も、元はウィノアール家のお金です。アルミシアン領の領主様にも、エーデルリス家に顔が利くのも、私の力ではなく家の名があったから。……それは私の力ではありませんし、向こうも、私個人に価値は見出していないでしょう。”赤派”のウィノアールをこちら側に取り込める、くらいに考えているかもしれません」


 青派は穏健派と呼ばれているが、それでも上院議員に名を連ねる者だ。

 自領にウィノアール家の者が越してくると知れば、警戒すると同時に、自陣営に取り込むべく便宜を図ることくらいはするだろう。

 シノもそれを見越した上で、利用している。


「薬局の方も、うまくいっているのは先生やアミッタさん、ダンさんのお陰です。私が行ったのは、ただ、他人の力を借りて下準備を行ったに過ぎません」

「…………」

「だから私は、自分の力でできることを増やしたいんです。ウィノアールの名が本当になくなっても、ちゃんとお役に立てるといいますか。自分の技術を持ちたい、そう思うのです」


 それに汗水流して働くの、嫌いじゃないんです、と笑うシノ。

 ウィノアールの名を使うのでなく、自らの腕と実力で何とかしたい――それが、彼女の望みなのだろう。


「なので、先生。これからも不束者ではございますが、ご指導のほど、よろしくお願いいたします」


 膝を抱えたままふぅと息をつき、クラウにはにかみながら頭をさげるシノ。

 帽子を外し、亜麻色の髪を夏風に委ねて微笑む姿は物事に疎いクラウでも、綺麗だな、と思ってしまうほどに目映い。


 ……彼女の悩みは、何となく分かる。

 忌み嫌っている名を、一方で利用している罪悪感だろう。


 けれど、クラウは決してそうは思わない――というか。


「シノ様。……失礼ながら、シノ様は大きな勘違いをされているかと思います」

「へ?」

「自分の思い違いかもしれませんが……いまの話だとまるで、ウィノアール家の姓を外した自分には、価値がない、と仰っているように聞こえるのですが」

「ええ。とくに間違ってはいませんけど」


 それが何か? と、こてんと可愛く首を傾けるシノ。

 どうやら、気づいてないらしい。


 彼女はそんな要素がなくとも、とても有能で、魅力的だということに。


「……確かに、シノ様が行っていただいた助力には、ウィノアールの名が必要だったかと存じます。それを否定はいたしません。が、一方で、ウィノアールの名だけに、価値がある訳ではありません。大切なのは、使い方かと」


 シノの眉間に皺が寄る。よく理解できないらしい。

 が、クラウにはあまりにも明白すぎる事実であり、彼女がどうして理解できないかが分からない程だ。


「宜しいですか? 例えお偉い貴族様の名を使おうと、実際に手助けをしようと決めたのは、シノ様ご自身です。その気持ちと行動力そのものは、シノ様の善意に基づいて行われたものでしょう?」

「…………」

「シノ様の後ろめたさは、理解します。ご自身はウィノアールの名に束縛されたくないと言いながら、それを利用していることに思うところがある。……しかしそれでも、助力しようと決めたことまで否定する必要は、決してないと考えます」


 例えるなら、刃物のようなものだろう。

 料理に使うこともできれば、人を殺すこともできる――それが本人にとって忌まわしい道具なのは分かるが、大切なのは、使う者の意思だろう。


 彼女は自分の名を捨てたいと思いながらも、自分の未来のため、クラウを助けるために、ウィノアールの名を用いた。

 シノ本人は嫌がるだろうが、その気持ちまで否定する必要はない。


「それに現実問題として、いきなり全てを捨てて一人で生きるのは、無理があります。使えるものは使う――それ位、強欲であってもバチは当たらないと思いますよ」


 彼女の理想は理解できる。

 クラウも魔薬師として薬の精製だけに勤しみ、実力だけで全てを成せればどれだけ楽なことか。


 しかし現実は、自分一人の力ですべてを担うのは難しい。

 魔薬師であるクラウもシノに環境を整えて貰い、シノのツテがあったからこそ仕事にありつけている訳であり、決して、自分一人の実力だけではない。

 同じように。

 例え、借り物の権威であろうと――その動機まで、後ろめたく感じる必要はないだろう。


「ですので、シノ様がご自身で何でもされる必要はないかと。そもそも、シノ様が幽術を扱えるようになったら、自分は完璧に不要になってしまいます。それは、自分も困りますので」

「…………」


 だから、月並みな言葉ではあるけれど。

 今のシノであっても、自分は十二分に感謝をしていると、クラウは伝えたい。


 ……まあ、そこまで言うのは少々、恥ずかしさが先立つのでやめておくが。


「自分もまだまだ、シノ様に恩返しできてないなと思いますし。……今後も頑張らせていただきます」

「…………先生はもう十分、力を貸してくださっていますよ?」

「シノ様は理解されていません。自分が受けた恩は、そんなものではないので」

「あら。でしたら私など命を救われてますから、恩など返しきれないほどありますが?」

「それは自分の記憶にないので、別件で」

「でもそうなりますと、一生、恩を頂いて返しての繰り返しになりません?」


 確かに。

 でも、そういう生活も悪くない……なんて考えるのは、高望みのしすぎだろうか。


 シノが肩を揺らし、笑う。


「先生はお世辞がとても上手ですね、相変わらず」

「世辞ではありませんが」

「……そういうことに、しておいてください。でないと私も恥ずかしいので」


 え、と顔を上げた時には、シノがうーんと両腕を上げて背伸びをしていた。

 こちらに背を向けていたため表情は見えないが、亜麻色の髪を指先でくるくる回す様子からは、照れ隠しのようなものが見えた気がする。


 それを指摘するのは野暮だし、自分もこれ以上、恥ずかしい台詞は言いたくないので黙るが――


 顔をこっそり見てみたい、なんて思った自分は、邪だろうか。


「さて、先生。目的の薬草は集まりましたけれど、午後はどうされます?」

「そうですね。昼食も取りましたし、もうすこし散策しても良いですが……お疲れですか?」

「いえ。今日はなんだか、もっと歩きたい気分ですね」


 シノの弾んだ声に、クラウも気分が高揚していたのもあり同意する。

 何となく、彼女と過ごす時間をもう少し延ばしたい気分だった。

 その感情がどういった原理に基づくものか、クラウ自身よく分からなかったが……居心地は、悪くない。


(彼女といると、いつもは意識していない気持ちにさせられます。不思議なものだ)


 年齢的にはクラウが上のはずだが、彼女からはいつも新鮮な発見を貰える。

 医院勤めの頃とは全く別の、心が軽くなるような。


(……やはり自分はまだ、シノ様に頂いてばかりだ。となれば、彼女に恩を返さねば)


 幽術を教えることが、彼女にとって喜ばしいことかは分からない。

 それでも彼女の選んだ道なら応援したいと思うし、それくらいしか、自分に返せるものはない。


 クラウはふっと薄い笑みを零しつつ、シートを片付け腰を上げた。

 少々強くなった日差しを見上げつつ、優しく、精霊達に魔力を渡す。


 クラウの元を訪れた夏風の精霊達が、びゅう、と亜麻色の髪を揺らがせた。

 木陰に遮られてるとはいえ、多少暑いだろうと善意で行ったのだが――それに驚き、振り向いた彼女はまぜぁぷくっと頬を膨らませ、ちょっと、不機嫌そうに。


「先生。……いま幽術を使いましたよね? 私に見せびらかして、じつは自慢してます?」

「いえ。シノ様が暑そうだったので、善意で風をお呼びしただけです」

「本当ですかぁ?」


 本当なのだが、妙なすね方をしていた彼女が可愛くて、クラウはあえて黙った。

 そのことが不満だったのか、シノはますます目を尖らせるも、本当が半ば楽しんでいるのがよく分かったので。


(相変わらず、ご自身の魅力に無自覚な方だ。ある意味、タチが悪い)


 後ろ髪を掻きつつ誤魔化すように、薬草採取を続けましょうと提案するしかない、クラウであった。

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