4-1.「私、昔から一つ、叶えたい夢があったんです」

 わああ、と、シノの弾んだ声が一面の森林地帯に広がっていく。

 王国北方に位置するアルミシアン領は、その後方に雄大な山岳地帯を有する、自然に満ちた土地だ。


 そんな自然の入口。

 登山用に整備された道を前に、わくわく、という音が聞こえそうなほど元気なシノが、両腕を広げて空気を堪能していた。

 お姿はいつもの登山スタイル。

 大きなリュックに専用ブーツ、亜麻色の髪はきゅっとひとまとめにして帽子を被り、長袖長ズボンに軍手とまさにフィールドワークにやってきた町娘さながらの格好である。


 いつもの薬草採取――ただし今回は、夏夢草という特殊な薬草を目的にしていた。


「夏の匂いがしますね、先生! やっぱり魔薬師たるもの、薬草を採ってこそ元気が出ると思います!」

「いえ、魔薬師の仕事は薬の調合が主でして、採取は専門家に任せるのが普通ですが」

「細かいことはいいんですよ、お日様がきれいだという話ですから!」


 くんくんと自然の香りを堪能しつつ、よく分からないことを仰るシノ。

 まあいつものことか、とクラウは苦笑しつつ、さっそく森へ分け入ろうとするシノのリュックを掴んで止める。


「目についたものばかり追ってますと、迷子になりますよ。アルミシアン領は獣が少ないとはいえ、熊くらいは出るそうですし。それに今日の目的は夏夢草ですので、普通の薬草はさほど採らなくても大丈夫です」

「でもせっかくですし、多少は採ったほうが満足感ありません?」


 その言い分は若干、認めざるを得ない。

 内勤を好むクラウではあるが、たまには心地良い散歩を楽しむのも良いだろう、と二人でゆっくり歩き出した。




 そして今回、クラウ達がわざわざ自ら薬草採取に来たのには、他の目的もある。


「先生、夏夢草って普通の人には見つけられないんですよね?」

「ええ。夏夢草は弱いながらも精霊術をまとい、景色と完全に同化して見えなくなってしまうんです。発見例も、たまたま何もないところを踏んだら違和感があって、といったものです」

「でも、先生の幽術なら見つけられると」

「夏夢草は、まさに夢幻の草と呼ばれるほどです。見えないものには、見えないもので見破るしかないかなと」


 そこまで説明した後、クラウは彼女に笑って続きを促した。


「やってみますか?」

「……いいんですか?」

「ええ。前に、幽術を学びたいとお聞きしていましたので」


 薬屋を始める傍ら、クラウは度々シノから相談を受けていた。


『クラウの扱う幽術を、自分も扱ってみたい』


 話を聞いた時は、返答に困ったものだ。

 シノは生粋の王独貴族。王独魔術を学び、それ以外を学ばないことこそ美徳とされる生粋の貴族院育ちだ。

 貴族のお披露目会では、いかに優雅な王独魔術を決められるか――その差で貴族としての格が定められるとすら聞く。


 そんな彼女に、卑式魔術を教えてよいものかどうか……と。


 が、彼女はクラウの懸念をあっさり笑い、「実践で役に立つ方がいいです!」と。


「お飾りの魔術がいらない、とは言いません。ですが私の命を救ってくださったのは、煌びやかな魔術ではなく先生の魔術ですから」


 そう言われると返す言葉もなく、幾つか手ほどきを行い――今日、初の実践日を迎えた。

 人目につかない意味でも、最適だろう。


 クラウ達はしばし獣道を歩き、この辺か、と彼女に合図をかける。


「ではそろそろ、精霊に語りかけて薬草を探してみましょう。幽術の基本は、改めておさらいしますか?」

「大丈夫です! まずは魔力を貯めて、けれど、魔術のように指向性を持たせない、ですね」

「はい。野生の猫に餌をあげる感覚です。相手を警戒させず、まずは信頼を得ることが大切です」


 はい、とシノが元気よく返事をして瞼を閉じる。

 意識を集中しながら両手を前にかざし、ゆっくりと自身の魔力を手のひらに集めていく。


 幽術を扱ううえで最初に躓くのが、この魔力集中だ。


 ――通常の魔術は、魔力を集めると同時に何らかの指向性を持たせる。

 炎の魔術なら、炎の熱さを。

 水の魔術なら、水の清らかさを具体的に思い浮かべるのが一般敵だ。


 対して、幽術――精霊術は、魔力を集めつつも指向性を持たせず、そのまま精霊に差し上げるのが最大の特徴だ。

 それゆえ、向き不向きがハッキリと出る……とくに自意識が強すぎる者には向いておらず、大半の貴族が、性格的にも適性がない。


 その点、シノは魔力量こそ並なものの、相手に耳を傾ける気質は十二分にある。


「魔力を集めました、先生」

「では静かに、耳を澄ませてください。魔力を求めて揺れる、精霊の呼吸。ささやきを、身体で感じてみてください」


 精霊達は、嗅覚が鋭い。

 餌を見せれば寄ってくるが、下心ありと悟られた途端、途端に消えてしまうだろう。


 そんな存在に敵意がないと示し、まずは受け入れて貰う――


「ひゃっ……!」


 小さな悲鳴をあげるシノ。

 見れば、彼女の肩から背中にかけてふわふわと、薄水色の煙がイタズラをするようにまとわりつき、周囲にぐるぐると渦巻く風を作り上げていた。


「先生、なんだか風が私の周りを回ってます!」

「夏風の精霊です。シノ様の楽しげな雰囲気にあてられて、近づいてきたのでしょう。……好奇心旺盛な精霊ですと、イタズラ目的に近づいてくることも多くあります」

「そ、それで、これからどうしたら良いのでしょう?」

「そうですね。魔力をお譲りしたのち、簡単なお願いをしてみてください」


 精霊を懐かせることが出来たなら、あとは力を貸して貰えないかと願うだけだ。

 彼等、彼女らが応じてくれれば良いが――


「あっ……」


 シノの呟きと共に、つむじ風のような渦が彼女から離れ、ちりぢりに消えていく。

 失敗したらしく、彼女のちいさな溜息が、ふぅ、と零れた。


「すみません、うまくいきませんでした……」

「何をお願いされましたか?」

「すこし風が強すぎたので、弱めてください、と」

「それは不躾なお願いだったかもしれませんね。風の精霊は自由を好みますから、抑えつけられるのは苦手だったかと。……それを差し引いても、素晴らしい成果だと思います」


 魔力を消費し、うっすらと汗をかくシノにタオルを渡しながら、クラウは微笑む。


 初手から精霊を呼び寄せられる術師は、滅多にいない。

 稀にクラウの幽術を真似しようという酔狂な者もいたが、ことごとく失敗に終わったのを思えば及第点だ。


「もともと、シノ様は精霊と相性が良いのでしょう。以前、自分に傷を癒された時も精霊の加護が強く働いたようですし」

「そうなのですか? よく分かりませんけれど、先生にそう言われるのはお世辞でも悪い気がしません」

「自分は、魔術や治療について世辞は言わない方です。……ではそろそろ、本題に入りましょうか」


 クラウはシノに代わり、大地に手をあて幽術にて語りかける。

 人間の目からは姿をくらます植物も、地下へと伸びた根の存在まで隠すことは叶わない。


 ほどなく魔力の反響音を捕らえたクラウは、シノとともに獣道へと踏み入れ、木の裏を覗き込んだ。

 一見なにもないが、手を伸ばせばさらりと指先にあたる感覚がある。


 地面を掘れば、大地から途切れたような格好の根が姿を現した。


「わ。こんなに簡単に見つかるんですね」

「今日は運が良かったですね。必要数はひとつですが、将来に備えてもう少し採っておきましょうか」




 それからしばらく、二人は目的の薬草を探すことにした。

 その間、シノは何度か幽術に挑んでみたものの、大した成果は得られず。


「すみません、全然うまくいきませんでした……」

「いえ。初めてで精霊に声をかけられるだけで十分かと。それに幽術を使い続けていると、いずれ精霊達の方からこちらに寄ってくるようになりますから、あとは繰り返しの訓練ですね」


 この調子なら、簡単なものであれば一月経たずに使いこなせるかもしれない。

 伸びしろは大きいな、とクラウはつい笑みを浮かべながらも……


 やはり、懸念があって尋ねる。


「にしても、本当に宜しいのですか? 幽術を取得すると、一般的に、ふつうの王国魔術は扱い辛くなると言われます。自分はどちらも使えますが……シノ様の身で、本当に良いのかなと」

「ええ。私が見ていますと、幽術のほうが実用性が高そうですし」

「ですが……」


 幽術は、王国では嫌われ者の術だ。

 アミッタやダンという例外はあれど、人前で見せるには向かないのという懸念に、しかし、シノはふるりと否定する。


「私、昔から一つ、叶えたい夢があったんです。――自分の手で、きちんと、成果を出すこと、ですね」

「といいますと」

「王独魔術が全くダメ、とは言いません。ですが、魔薬屋としての仕事も当てはまりますが、私は、家の名の力でなく私自身の力でずっと、何かを成したいと思っているんです」


 凜と語るシノの淡い笑顔は、クラウの心を妙にむず痒くさせ。

 返答に困っていると、彼女がそっと笑いながら、胸の内を明かしてくれた。


「だって、私は普段とても偉そうなことを口にしていますけれど……ウィノアールという名がなければ、何一つできない小娘にすぎない……そんなの、嫌じゃないですか。ね?」

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