幕間3-1.(お父様ったら、本当に愚かで無防備なんですから)

「ねえ、カテリーナ。シノはいつになったら帰ってくるのかしら? あの子がいなくなって、もう三ヶ月よ? お爺様には特別授業に参加してて帰れないと伝えているけれど、いつバレてしまうか……それにしても、どうして実の親にこんな迷惑をかけられるのかしら? ねえ、カテリーナ。ねぇ……」


 アストハルト王国、王都ヴェローチ貴族街の一角。

 カーテル家のリビングにておろおろする母に、カテリーナは侮蔑の眼差しを向けながらドレスの袖を小さく掴んだ。


 発端は、およそ三月ほど前のこと。

 カテリーナの姉、シノ=ウィノアールが行方不明になった。


 実父と汚らわしい平民の間に生まれた子ではあるが、表向きはカーテル家の長女だ。

 日頃は煩わしい存在だと妬んでいたが、実際にいなくなると母のヒステリーをカテリーナが全面的に受けねばならず、鬱陶しいことこの上ない、と苛立ちを隠せずにいた。


(いてもいなくても、本当に鬱陶しい女)


 昔から、姉とは価値観が合わなかった。

 ウィノアール家の娘に産まれながら他派閥と仲良くなることを拒まず、さらには、王独貴族という身にありながら一般貴族とも分け隔てなく接する姿勢が、気にいらない。


 八方美人――綺麗事を重んじるあまり現実が見えておらず、どこか、ふわふわと夢見がちなくせに。

 いざ話をすれば、妙な芯が通っている姿勢が、カテリーナには理解できない。


 だから、幾つもの嫌がらせをした。

 彼女の悪評を流し、実家にいるときにはお爺様の前で恥をかいて貰うべく、料理に細工をし彼女の顔色を変えてやった。

 もちろん正規の跡取りに亡くなられては困るので、少々、体調を悪くする程度のイタズラだったが――なぜか、彼女にはやがて悪戯も通じにくくなってしまった。

 実家、ウィノアール領の私有地たる森に自ら入り、薬草を集めて対処したなんて噂を召使いから聞いたが、さすがに冗談だろう。


 そんな姉が、三月ほど前に家出した。


 誘拐事件なら、話は早い。

 ご当主様に相談し、ウィノアール家の総力を尽くして捜索すればいい。


 厄介なのは、姉の押印つきで定期的に、手紙が届くことだ。



『私は元気に暮らしているので、ご心配なさらずとも結構です』



 簡素な内容だが、姉は健在であること。自分の意思で家を出たことを明白に物語っていた。

 となると、単なるお家騒動であり――”家族愛”を大切にされるご当主様の目に触れたら、大目玉ではすまないだろう。

 さらにもし、義姉が父と平民の子の間に生まれたと、世間に漏れれば……。


(冗談じゃないわ。あのお姉様、本当に勝手なことばかりして……!)


 どうして、愛すべき家族に迷惑をかけるのか。

 ウィノアール家という、王国の柱とも呼べる姓に仇成すようなことを平然とできるのか。


 苛立ち紛れに爪を噛み、でも所詮は子供だまし。

 上流貴族の生活が染みついた姉が、世間でやっていけるはずがない――と、タカをくくっている間に三ヶ月が過ぎ、いい加減、母のヒステリーに付き合うのにも疲れてきた。


(それに、そろそろウィノアール家の親族会議の時期ですし)


 自領にて開かれる親族会議には、家族の誰一人として欠けることなく顔を揃えるのが習わしだ。

 ウィノアール家当主、ブラグマース=ウィノアール氏はその気質に些か問題がある――とくに、家族に対する異様な執着をみせる。

 会議の座席まで決められ、空席があるのは一家の恥であり、それで詰められるのはカテリーナである。


 面倒な、と苛立つカテリーナの前で、母がおろおろと貧乏揺すりを始めてしまった。


「ああ、シノ。どうしてわたくしを困らせるの? 私、あなたに何かしたかしら? ねえ、思うところがあるなら素直に仰ってくださいな? ねえカテリーナ、どうして向こうの手紙は届くのにこちらからは返事が返せないの? ねえ、カテリーナ。本当はあなたが隠しているのではなくて……? いえ、疑っている訳ではありませんのよ、でもね……」


 母は相変わらずこの調子。

 父は面倒事を嫌い、仕事だからと顔を見せない、いつもの手口。

 屋敷の使用人たちも、最近は腫れ物を扱うように母どころかカテリーナにまで接するため、本当に……。


(どうして、世の中馬鹿ばかりですの……どいつもこいつも、使えない)


 臆病な父に、無能な母。迷惑をかけてばかりの姉。

 名高きウィノアールの名を冠しながら、まともな人間が自分しかいない……なんと欠陥だらけな家族だ、と己の人生を嘆くあまり、ソファにどかっと座り目頭を押さえる。


 そこに、召使いの女がおそるおそる会釈をしてきた。


「カテリーナお嬢様、お客様がお見えで……」

「あなたは言われないと理解できない馬鹿なの? 約束もなく訪れる礼儀知らずなど、追い出せばよいでしょう」

「し、しかしお相手様は、シノ様とのご面会を望んでいて、自らも王独貴族の一人だと」

「――名前は?」


 関心はないが、義姉を求めているのは興味を引いた。

 行方をくらましている義姉に関わる情報なら、少しでも聞いておきたい。


 薄い期待を抱きつつホールへ向かい、カテリーナは来客らしき少女を伺う。

 黄金色の美しい髪をした、いかにも気弱そうにこちらを見上げる姿は、なんとも虐めがいがありそうだ、というのがカテリーナの第一印象だ。


「お、お初お目にかかります。私、ライラック家長女の、ヴェーラ=ライラックと申します……」

「初めまして。カテリーナ=ウィノアールです。それで、私の姉に何の御用でしょう?」


 ライラック家は、治癒術師を牛耳る”緑派”の独王貴族だ。

 ”赤派”がいわゆるタカ派なら、”緑派”はハゲタカ派――金銭的利益が得られるならどちらに転ぶ蝙蝠でありハゲタカであり、綺麗事ばかりの”青派”よりマシながらも獅子身中の虫といった存在である。


 ただ、姉との繋がりはなかったはずだが……?


「お、お聞きになられていませんか? 先日、私の務める西方ライラック治癒医院と、シノ様の間でトラブルがありまして」

「存じていますが、それが?」


 知らない。

 けれど、自分が知らないことを相手に諭されれば不利になる。

 シノについては行方不明になる直前まで、貴族街の街外れに足繁く通っていたとしか聞いてないが……。


 と、ヴェーラがカテリーナの手を掴み、懇願してきた。


「カテリーナ様。どうかシノ様とお会いさせて頂けませんでしょうか? じつは例の医療過誤の裁判で、大変なことになっていまして……い、いえ、私達は決して悪いことなどしていないのですが、世間はそうは思っておらず……」

「……整理のため一度詳しくお話をお聞きしても? 人払いは致しますわ」


 客用の笑顔を浮かべ、ヴェーラを私室に案内し事情を聞く。


 要約すれば――西ライラック治癒医院にて起きた診療録改竄事件に、なぜか乱入した義姉から訴訟を受けているという。

 当人は不在ながらも”青派”の連中が本件を利用し、ライラック家を追い詰めているのだとか。


 よくある派閥争いの一環だが、証拠があるぶんライラック家は相当に不利らしい。

 ヴェーラがそっと、ハンカチで涙を拭いながら訴える。


「当のシノ様と直接お話ができれば、誤解も解けると思うのです。そうすれば、このような不毛な争いをする必要もなくなりますわ……それに、私の母が大層お怒りで……ウィノアール様の名を汚さぬためにも、一度きちんとお話し合いをしたくて……」


 涙ぐむヴェーラに、カテリーナは興味がない。

 まあ義姉の性格からして、嘘をついてるのはこの女だと思うが、そんなことより。


 ――こいつは、利用できる。

 カテリーナが唇の端を歪めて、笑う。


「ヴェーラ様。お話は理解しました。しかし現在、お姉様は長期の国外研修に出られております」

「そうなのですか? 連絡は……」

「いつ届くか分かりません。しかしながら、ヴェーラ様が直接お会いにいく方法はございますわ」


 カテリーナが囁き、自宅の倉庫へと足を運ぶ。

 当家の父、ブルックは世間に見栄を張るせいか交友関係が深く、妙に高価な品を送ったり頂いたりすることが多い。

 その中には、世間様にお見せできない品も……。


(ありましたわ。お父様ったら、本当に愚かで無防備なんですから)


 倉庫の奥より黒い羽根を模したネックレスを手にしたカテリーナは、その足でヴェーラの元に戻る。

 そして彼女へ、善意のフリをしてお渡しする。


「こちらは当家に伝わります、秘蔵の魔具になります。この羽根に強い想いを願えば、あなたの探し人を見つけることができるでしょう」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

「ええ。ただ少々、この魔具には癖がありまして……一度願ったからには、ヴェーラ様ご自身が直接、姉と会わなければなりません。この魔具は人の想いを強く受け止めるものだからこそ、自ら動く必要があるのです」

「まあ。それは大変……でも、ありがとうございます。私、頑張ってみますわ」


 ぱっと瞳を輝かせ、安堵の息をつくヴェーラ。

 愚かな笑顔を前に、カテリーナは心中でほくそ笑む。


 人捜しの魔具などではない。

 そんなものがあれば、既にカテリーナが使用している。


 彼女に渡したのは……魔術や精霊術とも異なる、人間の負の感情を集約して発動する、負の力。

 ”呪術”と呼ばれる、東の蛮族が得意とした忌まわしき卑式魔術を込めた道具だ。


 心清らかなカテリーナとしては、触れるだけで顔を背けたくなるものだが利用価値は高い。

 事実、名前は忘れたが――義姉であるシノが仲良くしていた”青派”の娘にたわむれで別の呪術をかけたことがあったが、効果は抜群。女は病に倒れ、いまも自領に引きこもっていると聞く。いい気味だ。


(これで上手くいけば……まあ仮に問題が起きても、知らぬ存ぜぬを通せばよいのですわ)


 呪術の利点は、一般魔術と比べて感知しにくい点にある。

 精霊術に知見があるものであれば見抜くことが可能とも聞くが、王国魔術を扱う者にそのような人物は多くない。いや、存在しないはず。


 その上で、あの姉を探すついでに”事故”で呪ってくれれば――


 ふふ、とカテリーナは薄ら寒く唇をつり上げながら、ヴェーラに優しい笑みを返すのであった。

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