3-5.「自分は、頂いた仕事をこなすのみですので」
それから一月が過ぎ、クラウ薬局はアミッタ薬局と手を組んだこともあり順当な成長を遂げていた。
クラウとしては、薬局が有名になりすぎるのもどうかと思うが、人の口に戸は立てられない。
一日に精製できる魔薬の量にも限界があり、最近は生産量不足に悩まされるほど。
(嬉しい話ではありますが、改善が必要ですね)
自分の薬が評判になるのは喜ばしい。
しかしながら、評判だからと買い占めに走る客もいるらしく、まだまだ問題は山積みだ。
本来、薬とは必要な人の元に届くべきもの。
クラウも来客に合わせて薬を調合しているものの、行き届いたと呼ぶには不十分だ。
(それでも、以前の仕事に比べればやりがいはありますか)
他人に認められ、求められる。
魔薬師としてこれほど嬉しい話はない、と、楽しげに働くシノを横目に、クラウはそっと唇を緩めるのだった。
*
一方その頃。
妹の見舞いに訪れた長兄、ハルモニア=エーデルリスは、今日もお手製の魔薬を口にするエリスを苦々しく見つめていた。
「やはり、気に入らん。ウィノアールの娘の身内が処方する薬など……」
「お兄様。いくらウィノアール憎しといえど、その言い方は宜しくありませんわよ? それに先生から薬を頂いて以来、調子がとても良いのですわ。お屋敷からは出ないよう、クラウ先生には申しつけられましたけれど」
最愛の妹が口にしているのは、例の怪しげな魔薬師から定期的に届くポーションだ。
ハルモニアは当然、絶対に服用するなと主張したが、妹はそれを聞き入れず……最近たしかに、身体の調子が良さそうではあった。
酷いときにはベッドから起き上がれない程だったが、いまは屋敷内であれば自由に歩くことすら可能だ。
はっきり言って、かなりの改善と言える。
そのことが、喜ばしいはずなのに苦々しい。
特に、恩を受けた相手がウィノアール家、というのが。
「奴らのことだ、あとで法外な要求をしてくるに違いない。或いは、エリスの調子がよくなったのを期に、つぎの薬が欲しければ言うことを聞け、と脅してくるか」
「それは疑り深すぎでは? シノが本当にウィノアール家の意向で動いているのなら、このような回りくどい手は使わないでしょう。そもそも私を貶めたところで、ウィノアール家に得もありませんし」
「だが、奴らは赤派の頭だぞ。先のくだらぬ紛争に加担した……」
ハルモニアが憤りを隠さないのは、先の紛争――東の蛮族を討滅すべし、と旗を振ったのが赤派の連中だからだ。
結果、紛争は泥沼の様相を呈した末、内容は事実上の敗戦。
戦争に反対したはずの青派までも責任を問われる事態となり、しかも、赤派は悪びれもせず庶民から税を取ればよいと主張する始末。
青派は腰抜けばかり、と裏口を叩く連中の愚かさを、ハルモニアは貴族院時代から今に至るまで嫌というほど耳にした。
「奴らのような無責任な者達が、王独貴族などという古い権威を振りかざすから王国は腐っていくのだ」
「お兄様。お気持ちは分かりますが、シノはわたくしの大切な友人にございますわ? 貴族院時代に、わたくしを助けてくださったのも彼女です。……その彼女が、家を出たい、協力してくれと申し出たのです。受けない理由はないでしょう?」
「エリスと父上が独断で決めたことだ、私は聞いていない」
「お兄様に聞いても反対しかされないでしょう、理由も聞かず」
頭が堅いのですから、と、エリスは呆れたように首を振る。
妙に頑固なところだけ似たものだ、とハルモニアは苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをする。
「とにかく、あの女にあまり頼るな。それに、噂によると最近、城下に腕のいい薬屋ができたと聞く。エリスに必要な薬は、そちらに相談してやる」
「あら? ……お兄様、そのお店は誰が運営してるかご存じで?」
「いいや。だが噂によれば、かのアミッタ薬局すら認める腕前だと聞く。安心しろエリス、お前のことは俺が必ず守る」
「まあ。何だかんだ妹想いのお兄様、嫌いではありませんわよ?」
「家族だから当然だろう」
「ふふ、ありがとうございます。でも相変わらず、お兄様はちょっと情報が古いのですわねぇ」
くすくすと笑うエリス。話の意味はわからないが、まあ良いだろう――と、ハルモニアは席を立つ。
これ以上、ウィノアール家の者に頼ってなるものか。
噂の薬屋とやらが本当によい腕を持っているなら、店ごと買い取り、妹の専属薬師にしてでも引き剥がしてやる。
と、ハルモニアは憤慨しながら自宅を後にし、足早にその店へと向かい――
「いらっしゃいませ。……あら、ハルモニア様。フードまで被られて大層なお格好ですが、お忍びでの来訪は、相手にお顔がバレていると意味がないと思いますよ?」
「…………な、なっ……」
最近、地元で噂になっている薬屋。
その入口を開いたままハルモニアは呆然と立ち尽くし、対するシノはごくごく当たり前の笑顔で迎えてくれた。
「どうしてお前がここにいる!」
「どうしても何も、ここは私と先生のお店ですよ?」
「畜生、エリスの奴め、知ってて黙っていたな……!」
あの妹のことだ、今ごろ自室で大笑いしてるに違いない。
くそ恥ずかしい真似をさせやがって、と憤慨しつつ、ハルモニアは平静を装い鼻を鳴らす。
「失礼した。腕のいい魔薬師がいると聞いたのが、俺の勘違いだったようだ。いつも通り、アミッタ薬局に行く」
「そうですか。最近アミッタ薬局のほうでも、先生お手製の薬をお届けすることになりましたので、宜しくお伝えください」
「ぐっ……!」
格好がつかないにも程がある。
どうする。どうするべきか。
じっとりと汗を流して固まるハルモニアだったが――店の奥から、思わぬ助け船が来た。
「おや……? 確か、エーデルリス家のお兄様、でしたか。妹様の体調はいかがでしょうか?」
薬屋の奥から顔を出したクラウに、これ幸いだ、とハルモニアは急ぎ近寄る。
シノに聞こえぬよう声を顰め、ぼそぼそと耳打ち。
「丁度いい。貴様に聞きたいことがある」
「……エリス様に何かございましたか?」
「いや。お陰で体調のほうは良好だ。ウィノアールの娘はともかく、貴様には一応礼を述べておく。そのうえで問いたい」
大切な質問だ――と、ハルモニアは青年を睨み、腰元に下げたサーベルに腕を添え。
「貴様は何が目的で、ウィノアール家の娘とともにいる? 狙いは何だ。貴様はそもそも何派だ」
「ふむ……」
「申し訳ないが、貴様について私は殆ど情報を持っていない。下級貴族だという話は聞いているが、何の変哲もない者が、分家とはいえウィノアール家の長女とともに行動をしているのは理屈に合わぬ。……悪いようにはせん、話してみよ」
推測だが、この男はウィノアール家に誑かされた善人だ。
魔薬師の実力を買われ、アルミシアン領にウィノアール家の一派を招くための呼び水――もしかしたら、そもそも何も事情を知らないかもしれない。
それなら、自分達の派閥に取り込んだほうが早い。
が、男の返答はハルモニアの予想にないものだった。
「……実をいいますと、自分自身、よくわかっていないんです」
「は?」
「彼女は自分の恩人であり、また、彼女も自分を恩人だと慕ってくれている。その上で、ともに王都から逃げた逃避行の最中……でしょうか。いえ、きっと話しても理解できないと思いますが」
できん。さっぱり分からん。
「ただ一つ言えることは、自分は彼女に感謝している、ということだけです。……まあ、ある意味では騙されているのかもしれませんけど、ね」
「…………」
彼の語ることは、荒唐無稽に等しい。
が、不思議とそこから悪意の類いは感じない。
ハルモニアは自身の目に絶対の自信を持っている訳ではないが、それでも、独王貴族がもつ腐った果実のような気配を、嗅ぎ取れないはずがない。
が、男にはそういった下心が一切なくむしろ、清々した清らかさすら覚えるほど。
「エリス様の治療に関しては、もうしばらくお時間をください」
「治るのか?」
「いいえ。医療に絶対はありませんが、尽力は致します」
治る、と断言しないのは、彼が誠実である証だろう。
ゆえに、ハルモニアは疑い辛い。
(妹の体調が、この男のおかげで良くなったのも事実だが……)
ハルモニアは眉間に皺をよせ、苦い顔をしたのち――
溜息ひとつ挟んで、クラウから離れる。
「邪魔をした。この店は、よい薬を売っていると聞く。……今後とも領民のため、尽力して頂きたい」
「自分は、頂いた仕事をこなすのみですので」
クラウの返事に、ハルモニアは妙に居たたまれない気持ちのまま、背を向ける。
認めた訳ではない。
だが、答えを出すのは、まだ、先でいいだろう。
そう自分に言い聞かせつつも、ハルモニアは妙に負けた気持ちになりながら。
(必ず、裏を暴いてやる。……と、言いたいところが)
もし本当に、裏がなかったらどうしたものか。
悪人を裁くのは得意だが、善人を無実の罪で問うのは向いていない――むず痒いものを覚えつつ、首筋を掻きながら、彼は渋々、店を後にするのであった。
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