3-4.「……すみません、何でもありません」

「そういえば、ソラさんはどうして、ドグラさんと薬屋を始めようと思ったんですか?」


 アミッタ薬局と交流するようになって、はや数日。


 クラウがダンに誘われ、薬草採取屋との交渉に向かい席を外した時――

 アミッタに何気なく尋ねられ、シノは、どうしたものかと天井を見上げた。


 薄く唇をつり上げ、興味津々とばかりにシノを覗き込んでいるアミッタ。

 どうして、と問われると……。

 生活のため。

 自分の人生を生きるため。

 実家から逃げるため。それから――


「そうですね。ひとつは、自分の手で何かを初めてみたいと思ったから、でしょうか」

「どういう意味です?」

「私、じつは元箱入り娘のお嬢様でして」

「ああ、シノさんって何となくそういう気配ありますよね」


 じつは私も元お嬢様なんです、と、元気に応えるアミッタ。

 お互い元貴族らしくないな、とシノは笑いつつ。


「でも、自分一人では何も出来ないことも知っていました。それに家族仲も険悪でしたので、一度、家を出てみたいと思っていまして」

「それで、ドグラさんと?」

「ええ。ちょっとしたご縁がありまして」


 本当は半ば強要だったけど、という点は伏せておく。


「……ただ実際に仕事をして感じたのは、私は結局、ただの小娘に過ぎないということでしたね」

「そうなんですか?」

「ええ。技術的な面はすべて、先生に頼りきりです」


 シノの持ち駒は、元ウィノアール家の長女という繋がりのみ。

 しかも、その名を捨てたがっているにも関わらず、ウィノアールの名を使って家を借りている――矛盾していると分かっているのだが、生活の基盤を作るために、と自分に言い訳をしている。


 はぁ、とシノは珍しく溜息をつく。


「もっと、私にも出来ることがあれば良いのですけどね」

「う~ん。ドグラさんはそんなこと考えてないと思うけどなあ。……まあ、それはそれとして」


 アミッタの頬がゆるむ。

 あまり、今の話題を深掘りして欲しくないな――と懸念したシノだが、次の話題は全く予想してないものだった。


「それでそれで? ソラさんは、ドグラさんのどんなところが好きになったんですか?」

「……? 好き、ですか?」

「あれ? 一緒に住んでるから、そうなのかなって。そういえば結婚はしてるんでしたっけ?」


 名家の元お嬢様と、名もなき男性の逃避行……と、妄想を拗らせているアミッタに、シノは困惑のまま眉を尖らせる。


 結婚。シノがクラウ宅に押しかけ口にした言葉だ。

 しかしシノは、好き、と、結婚話の関連性がよくわからない。


 確かに、シノはクラウを慕ってはいるが……。


「恋愛感情、ですか? そういうものはありませんけれど」

「え? どういうこと?」

「そもそも結婚と恋愛は、まったくの別物ではありませんか?」


 ウィノアール家で育ったシノにとって、婚姻とは、己の家系を繁栄させる契約手段のひとつという認識だ。

 実家の線を太くするため。

 商業的、あるいは政治的な結びつきを強めるため。


 特に、より上位の存在――ウィノアール家であれば、それこそ王族に取り入る程の気概が求められるものであり、シノ自身もまた、貴族院時代から多くの男性にアプローチを受けたことがある。


 それらをふまえ、シノがクラウに婚姻を申し込んだ理由は、単純だ。

 シノ自身が、実家と縁を切るという覚悟を持つためであり――同時に、シノの知らぬところで覚えのない事実婚をされてはたまらない、という防衛策でもある。


 ……という話をかいつまんですると、アミッタは、


「ぜんぜんわかんない。え、好きで結婚するんじゃないんです?」

「アミッタさんは、どうなんですか?」

「あたしも元貴族だけど、普通に旦那が好きになって結婚しましたよ? 同じ魔薬師で、元々はライバルだったんだけど、うちの実家がまー色々あってすったもんだの末、愛が爆発した感じで」

「なるほど……?」


 頷いてみたものの、実は、さっぱり分からない。

 結婚って、恋愛を経てするものなんですか?


「……? ……???」

「ソラさん? え、普通そうじゃないんですか?」

「すみません。まるで理解できなくて……」


 クラウ家を初めて訪れた時は、正直、シノも慌ただしい状況にあった。

 彼と縁と繋ぐ方法は、結婚しかない! と、思い込んでいたのもある。


 ……とはいえ、先生のことだ。


「まあ、さほど問題にはならないと思います。先生も、私に対する恋愛感情はないでしょうし」

「そう……かなぁ?」

「ええ。先生はご覧の通り、魔薬師としての仕事に誠実な方ですし」


 シノは人として彼を慕い、クラウに頼る形でいまの環境に身を置いた。

 手を引いた者こそシノだが、魔薬師として生活基盤を整えてくれたのは、クラウの尽力に他ならない。


 言うなれば業務上のパートナーであり、そこに恋愛感情は含まれていない、というのがシノの見立てだ。


「そうですか? うーん。ドグラさん、ソラさんに全く気がない、とまではいかないと思いますけどぉ……」

「先生に限ってあり得ませんよ」

「えーでも、ソラさんめちゃくちゃ美人で可愛くて綺麗じゃないですか。そんな子にお世話されたら、あ、この人自分のことが好きなんだなーって勘違いしちゃうもんですよ?」


 うちの旦那もそうでしたし、とくすくす笑うアミッタ。

 そういうものだろうか?

 けど、シノから見てもクラウは明白に、恋愛事に疎い……以前に、恋愛感情そのものを理解していない節があるし、シノ自身もそれ以上の欲求を抱いたことはない。


 そもそも……シノとクラウの間に、恋愛事情を挟んで良いかが、分からない。


 シノは、己の身勝手な事情でクラウを連れ出した。クラウは巻き込まれた側だ。

 外聞だけは逃避行だが、だからといって何でもかんでも恋愛と結びつけるのは違うと思う。


 というニュアンスの内容を語ると、アミッタは途中からなぜかニマニマと、意地悪げにシノを覗き込んできた。


「ソラさん。恋っていうのは、そういうものじゃないんですよ」

「と、仰いますと」

「気がついた時には止まらない、ドキドキが止められない。側にいるだけで気がついたら顔が熱くなって、意識しないように~と考えているのに、相手から目が離せなくなっちゃう……ていう状態に、勝手になっちゃうんです」

「なら、私は大丈夫ですね。そのような病に陥ったことはありません」

「わかってないなぁ。発症するときは一発ですよ? しかも、知らない間に病状は裏でしっかり進行しているんですっ」


 恐ろしい病気ですよぉ、と脅かすように両手を挙げるアミッタに、シノは苦笑を抑えられない。


 よりにもよって自分が、そのような感情に囚われることはないだろう。

 シノとクラウは、あくまで協力関係。

 シノが彼を慕っているのは事実だが、それは人として好感を持っているだけの話だ。

 恋愛感情のような――貴族社会の愛憎が絡む、醜聞の塊のような感情に囚われることはないだろう。


(そもそも、愛だの想いだ、なんて話は、義母と義妹でこりごりです。……家族だから、と身勝手な愛情を押しつけられては、たまりませんし)


 クラウも、似たような感想を抱くはずだ。

 かのガルシア局長のように、面倒臭い感情を煩った人は総じて、愛というものを押しつけてくるのだから。


(私は、押すときは押しますが、相手が嫌がるようなことは決して致しませんので)


 シノがそう決意した時、カラン、と玄関のベルが鳴りクラウとダンが姿を見せた。

 今日は薬草の仕入れ先との交渉で、そう遅くない予定のはずだけど……と振り返れば。


 肝心の男二人は、なぜか靴底のあちこちに葉っぱや雑草をこびりつかせ、足下を泥だらけにしていた。


「わあっ。どうしたの、ダン!」

「ごめんね。薬草取りの人と話してたら、この季節は珍しい薬草があると聞いて、みんなで見にいってしまって」

「もう、ダンったらすぐそういうのに引っかかる。ドグラさんまで連れてって、こんなにして」

「……いえ。自分も興味がありましたので」


 揃って予定外のフィールドワークに勤しんだらしい。

 シノはつい、私も一緒に行きたかった……という寂しさ半分に、クラウを小突く。


「先生。あまりふらふらしないでくださいよ?」

「すみません。……着替えは、自分でやるので結構です」

「いえ、私が預かります。先生、食事も洗濯も適当なんですから」


 まったくもう、と、軽く叱りつけながら彼のコートを奪いつつ、ふと。


(これはこれで、新妻みたいなことをしているのでは?)


 ぴたりと手を止める、シノ。

 隣を見れば、本物の夫妻であるアミッタとダンが似たようなことをしており、シノは何となく居心地が悪くなる。


 もちろん、意図したわけではない。

 シノがクラウ家に押しかけ、ご飯を用意したのは、あくまで彼との関係を築くためのであり、そういった意図はないのだが。


「ソラ様?」

「……すみません、何でもありません」


(まったく。アミッタさんが、変なことを言うから)


 別段、意識しているわけではないのだ――と、シノはクラウから預かったコートの肩をぎゅっと掴みつつ、悔しそうに唇をひん曲げるのであった。


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