2-5.「いえ。不法侵入され家出した、しがない下級貴族です」


 後ろ手に扉を閉じ、一呼吸ついたシノはふと、自分がひどく緊張していることに気がついた。

 胸元にあててもう一度、深呼吸を挟んで、ふーっと吐く。


 扉の向こうでは、クラウがエリスの診察を始めている頃だろう。

 彼は魔薬師であり、治癒術師や医者ではない。

 それでもクラウなら、という淡い期待を抱いている。


(過度な期待は、宜しくありませんけれど。……それにしても、色々と強引すぎたでしょうか)


 クラウの対応が終わるまで、シノは今までの経緯を振り返る。




 実を言えば――アルミシアン領移住を含め、シノの行動はかなり場当たり的であった。

 大胆なように見えて、内心はヒヤヒヤものだ。


 そもそも、シノは自分のことを臆病な性格だと考えている。

 肝心なときに一歩を踏み出すのに躊躇し、機会を逃し、義母や義妹にねちねちと言われ続けてしまったのは、彼女の優柔不断さが招いた結果だ。


 その環境から踏み出せたのは、昔、クラウと出会ったこと。

 貴族院にて、クラウの姿を見かけたこと。

 最後に、クラウが西ライラック治癒医院から追放されたことが、きっかけだ。


(本当は、どうなることかと思いましたけれど)


 貴族院でたまたまクラウを見かけたシノは、彼の動向について情報を集めていた。


 必ず、遭いに行こう。

 顔を合わせ、あの時のお礼をしよう。

 ……けど、顔を合わせた後にどんな話をすれば良いのか――

 そんな折りに起きた、クラウの追放劇。

 局長の娘に口出ししたから、という理不尽な話を聞いた時、今しかない、とシノは直感的に走り出した。


(まあ、おかげで不法侵入を疑われてしまいましたけれど。……いえ、本当に不法侵入ではありましたが!)


 でも結果は面白いように転がり、シノはクラウを連れて王都を出た。

 出れた。

 クラウから見れば、シノが引っ張り出したように見えただろうが……シノの視点では、クラウがいなければ最後の踏ん切りがつかなかった。

 その上、薬屋の話にも協力してくれている。


(本当は私こそ、何の特技もない小娘なのですけれど。……いま少し手持ちのお金があるだけで、養われるのは私の方なのですけどね)


 彼は少々、ぶっきらぼうだけど。

 本当に、人がいい――と、シノがやんわり思い浮かべていると。




「見覚えのある顔かと思えば、ウィノアールの犬が何の用だ」


 思索に耽るシノに、荒々しい声が響く。


 細身の青年がシノを睨み、舌打ちを零す。


 ハルモニア=エーデルリス。

 エーデルリス本家の長男にして、エリスの兄。

 次期当主にあたる男が忌々しげにシノを睨み、あからさまな嫌悪を浮かべこちらを睨んでいた。


 不仲の理由は語るまでもない。エーデルリス家は次女のエリス、当主のワルプス卿を含めてシノに好意的だが、本来”青”派の立場だ。

 対極にある”赤”派、ウィノアール家の娘と顔を合わせて、気分がいいはずもない。


 理由を察しつつも、シノは客人として礼をする。


「お久しぶりにございます、ハルモニア様。お顔を合わせるのは、貴族院ご卒業の時以来でしょうか」

「俺は父や妹のように優しくはないぞ。貴公らウィノアール派の悪名、益々、盛んなようで何よりだ」

「身内が失礼しております。もっとも、私も彼等を身内とは呼びたくありませんが」


 シノは曖昧に笑う。

 彼に敵愾心を持たれるのは、仕方のないことだ。


「して、ウィノアールの娘。今日は何用だ? まさか、我が妹に顔を合わせに来た、等と言うまいな。証拠こそないが、エリスがあのような容体になったのも、元をたどれば――」

「じつは、腕のよい魔薬師をお呼び致しまして」

「……なに? そこをどけ」


 エリスの私室に踏み込もうとするハルモニアを、シノはさりげなく妨害する。

 中ではクラウが診察中だ。

 依頼人として、邪魔をさせるわけにはいかない。


「すみません、ハルモニア様。私のことは信用なさらずとも構いませんが、どうか、いまエリスと話している先生のことは信用して頂けませんでしょうか?」

「ふざけるな。貴様らウィノアールの手の者など、信用できるか。そこをどけ。妹に何かあったら、ただでは済まさんぞ」

「お気持ちは分かりますが、エリスは私の友人でもあります。不愉快かとは思いますが、今だけはご配慮をお願いいたします」


 言葉尻は柔らかく。

 けれど一歩も引く気はないと妨害するシノに、ハルモニアが苦い顔を浮かべる。


 気質は荒いものの、彼が紳士であることはエリスからよく聞いていた。

 非道を嫌い、正義感にあふれ、勇猛。

 断じて、女性に手を荒げるような真似はしないはず――


「……悪いが、妹のためだ。力尽くでもどいてもらう」

「え?」


 腕を無理やり掴まれ、シノの瞳が丸くなる。


 しまった。そういえば、エリスはもう一つ、彼について語っていた。

 曰く、若干シスコン――妹のことになると、周囲が見えなくなると。


「ち、ちょっと待ってくださ……」

「ウィノアール家の話など、聞く必要なし。そこをどけ」

「っ……」


 乱暴ではないが力強く、身体を押しのけられ。

 シノが小さな痛みを覚えた、瞬間、



 ボフン! と。



 白い煙が爆発し、廊下中に広がった。


「「は?」」


 まるで、小麦粉を散乱させたような。

 もうもうと吹き上がる煙のなか、シノも、え、何これ!?

 とびっくりしている間に、白いもやが晴れていき……


 シノの前に。

 巨大な、白いキノコが横倒しになっていた


「「は???」」


 呆けるシノの姿は丁度、キノコの傘にあたる位置に隠されている。

 丁度、柄にあたる部分がシノの側にあり、相手に対して大きな壁になったような格好だ。

 しかも微妙にうねうね動いている。


 ……何これ?


「な、なんだ貴様、この珍妙な魔術は!」

「いえ、私にもよく……――あ」


 何かを思い出したシノは、懐に仕舞った小瓶をつまむ。


 先日クラウから、お守りと称して頂いたガラス瓶。

 見れば、中に詰めたはずの小玉が割れ、白い霧となって吹き出している最中だった。


(もしかして、先生が守ってくださったのでしょうか)


 気づいたシノの背から、扉の開く音。

 診察を終えたクラウが、シノと巨大キノコと男を見比べ、何事かと目を瞬かせる。


「これは何事でしょうか。自分の術が開いているようですが……」

「貴様か、この怪しげな魔術を使ったのは!」


 白キノコに押されていたハルモニアが、クラウを睨む。

 けれど、その身体は真っ白な粉を頭から被ったせいで悲惨なことになっており、迫力に欠けていた。


 失礼ながらちょっと笑いそうになるシノを、クラウが庇うように背に隠す。


「事情は存じませんが。失礼ながら、彼女に危害を加えるのでしたら、自分も遠慮はできません」

「貴様、何者だ。ウィノアール家の女に肩入れするということは、貴様も一家の者か?」

「いえ。不法侵入され家出した、しがない下級貴族です」

「はぁ……?」

「しかし、彼女には恩がありまして。ウィノアール家の者かどうかなど関係なく、彼女に手を出させる訳には参りません」

「――といいますか、お兄様? 勝手に誤解されないでくださらないかしら?」


 クラウに続き、私室からエリスが顔を覗かせる。


 廊下に溢れる白い粉に、なにこれ? と煙たそうに顔をしかめつつもエリスが睨めば、ハルモニアがぐっと気まずそうに口をつぐんだ。

 この兄、そういえば家族想いなだけに、妹に弱いのだ。


「っ……しかし、エリス。この男はウィノアール家の者の使いで、お前に不埒なことを」

「されていませんし、そもそも病の相談相手を求めたのはわたくしですわ。にも関わらず、不敬を働いたのはどちらで? お兄様は、相手がウィノアール家だからという理由だけで、家の名を汚すようなことをなされるので?」

「そ、それは……そんなつもりは……」

「人を身分や外見のみで判断するような方を、わたくし、お兄ちゃんとは呼びたくありませんわ」


 んぐあっ! と胸を痛めたハルモニアがあたふたしつつ、シノとクラウを伺い。


「くっ……こ、今回の件は謝罪する。だが、もし何かあったら許さん――」

「お兄ちゃん?」

「失礼した。お詫びする……ぐぬっ……」


 渋々といった体で頭を下げ、油汗を流しながら、兄ハルモニアはいそいそとその場を後にしたのだった。






 ……残されたシノは、ほっと一息つき、クラウを見やる。

 彼は床にしなしなと崩れた白キノコに触れながら、困ったように眉を寄せて。


「この幽術、防護性能はそれなりですが、掃除が大変だという観点に欠けていたかもしれません」


 真顔でそんなことを口にするものだから、つい、吹き出してしまった。


 いや違うでしょう! と突っ込みたい。

 ――本当に。

 本当にそういうところだ、とシノは含み笑いを必死に堪える。


 クラウという男は大変ぶっきらぼうで口数も少なく、一見して、意思が薄いようにも見える。

 でもその本質は、大変に真面目で律儀であり、いざという時、必ず力を貸してくれる。


 だから自分は、彼に頼ったのだ――


「……ありがとうございます、先生。お守り頂いて」

「いえ。それより、お屋敷を汚してしまいました……その。弁済できるほどのお金が、自分にあるかどうか」

「兄に払わせますわ。どうせ向こうが勝手に、シノに突っかかってきたのでしょう? いい気味ですわっ」


 エリスが目くじらを立て、それでも申し訳なさそうにあたふたするクラウの様子を。

 シノは不思議なほどに温かい気持ちになりながら、じっと、いつまでもいつまでも眺めながら、ふふっ、と笑った。


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