幕間2-1.「んまあああっ! なんておぞましい女!」

「ねえ。これはどういうコトなの?

 あのねぇ。わたくしはあなた達を虐めたいわけではないの。本当はね、こんなこと言いたくないのよ。ねえ。わたくしだって辛いのよ? でもね? わたくしは責任ある者として、厳しいことを口にしなければならないの。

 なのにどうして、あなた達は、わたくしの苦労を分かってくださらないのかしら?

 そんな風にへらへら笑っていられるのかしら?

 きちんとみんなで話し合って、努力すれば解決できるはずでしょう? ねえ、あなた達は王立魔術学院の治癒部を卒業した、優秀な術師でしょう? ねえ……」


 魔薬師クラウ=ドーラが院を去って、およそ二月。

 ライラック西方治癒医院局長、ガルシア=ライラックはその巨体を揺らし、親指を噛みながら苛立たしげに貧乏揺すりを繰り返していた。

 どうして。

 どうして、わたくしばかりがこんな目に、と。




 西方ライラック治癒医院。

 王都ヴェローチの貴族街に窓口を構えて三十年、歴史ある建物として多くの患者を救ってきた――そう語れば聞こえは良いが、その成果は微妙と言わざるを得ない。

 とくに近年、中央独王ライラック治癒医院――ライラック家当主が力を入れる本家施設に顧客を奪われ、運営は年々傾いているのが実情だ。


 ライラック家当主、デミタル=ライラック氏の忠告が、ガルシアの脳裏をよぎる。


『ガルシア局長。君の悪評は聞いているよ。やはり、ろくに回復魔術も使えぬ女には荷が重い話であったか』


「……わたくしの苦労も知らず、あの爺め……!」


 ガルシアはライラック家本家の娘ながら、魔術適正が低い。

 ゆえに治癒術師でなく局長として院の運営を預かり、己の夢は愛娘ヴェーラに托し、同院に勤める術士達を厳しく指導しているのだが――努力に反し、成果は落ちる一方だ。


 原因は何か。考えるまでもない。

 術師達の、質の低下だ。


「ねえ。あなた達は本気で仕事に励んでいるの? 努力が足りないのではなくて? わたくしが頑張っている姿を見て、あなた達は何も感じないのです? ねぇ、それって人として間違っていると思いませんこと? ねぇ、こんなことまで言われないと分からないだなんて、あなた達は子供なのです?」


 局長は日々、努力している。

 毎朝の朝礼は欠かさず行い、出来の悪い治癒術師をその場で叱責しては対策を必ず提出させる。

 彼等は、自分では何もしようとしないので毎年きちんと目標を設定し、達成できなかったら理由を書かせ、それが理由になってなければ心を鬼にしてきちんと伝える。


 相手は人間なのだ、言えば理解できるし、自分の気持ちが分かってくれるはずなのだ。

 なのにどうして、伝わらない?


 人手不足。環境が悪い。上司が悪い。患者が悪い。

 他人に責任を求める前に、どうして自分で解決しようとしないのか。


(わたくしがこれだけ悩んでいるのに、あの治癒術師どもと来たら、目の前のことしか考えてないんですから……!)


 しかも最近、西方ライラック医院には厄介な噂が流れている。

 曰く、治療中に不正行為が行われ、裁判沙汰に巻き込まれているとか――確かに、それは真実だが――


「きちんと次までに対策を考えてきなさい。宜しいこと? わかりましたら、さっさと仕事に戻りなさい!」

「…………」


 居並ぶ術師達を追い出した後、ガルシア局長はひとり頭をかきむしる。

 馬鹿。馬鹿。ばかばかバカ。

 どいつもこいつも頭が悪く、思い込みが激しく、そのくせ、何であんなに偉そうなのか。


 愛娘ヴェーラ以外、どれも使えない奴ばかり――悪態をつきながら、ガルシアは本日届いた書類を確認する。そして、


(っ……!)


 叩きつける。


 診療録改竄事件。魔薬師クラウが絡んだ件は、どうにも旗色が悪い。

 ガルシアは、ウィノアール家の娘がその権限をもって証拠を捏造していると訴えているのだが、どういう訳か話が通じない。


(全ては、あの女が悪いんですわ!)


 ガルシアは今でも思い出すだけで、頭の中が真っ赤に染まる。

 シノ=ウィノアール。

 自分を辱め、院内の問題をわざわざ公にし、愛娘ヴェーラに不意打ちをしかけた卑怯な女だ。


 先日の一件以降、どういう訳か姿を見せないが……きっと、口を開けば裁判が不利になるから行方をくらましているのだろう。

 お陰で西ライラック治癒医院の評判はだだ下がり。

 ヴェーラですら、スタッフの間では腫れ物のような扱いをされていると聞く――


(くそ、くそっくそっ……!)


 ――腹立たしい。腹立たしい。

 魔薬師クラウも心の底から腹立たしいが、それ以上に、あの女の態度が憎らしい。


 あの手の女はどうせ、裏で男をいいように操り、猫なで声で誘惑しているに違いない。

 要は、目狐。

 人様に嫌がらせをして、裏でほくそ笑む、タチの悪い女。


 ……もしかしたら。

 魔薬師クラウもあの女に騙され、ガルシアに嫌がらせをするためにそそのかされて……


 ……それで、実は当院の診療録を改竄させた……?


「んまあああっ! なんておぞましい女! ひどい、わたくしを辱めるために、無関係な男やうちの娘まで巻き込んで……!」


 真実にたどり着いたガルシアが悲鳴をあげ、飛び上がる。


「そうですわ。考えてみれば、わたくしやヴェーラに原因があるはずありませんもの。誰かが悪評を流し、当院の評判を貶めている。そう考えますと、全て辻褄が合いますわ。ええ、悪いのはすべてあの女! ああ、どうしてわたくしはこんな簡単なことに気づかなかったのでしょう!?」


 自分は、あの女にはめられた。

 裁判沙汰を仕掛けられ、愛娘を材料にガルシアを恐喝し、ウィノアール家の名をちらつかせ院の評判を落とす。

 その目的は?

 決まっている。ウィノアール家による、ライラック家への侵略行為――ああ、なんと浅ましい!


「許せません。わたくしは、あのような汚い女に負けるわけには……!」


 頭の中まで真っ赤に染まり、髪をかきむしるガルシア。

 このままでは、いけない。

 真実を白日の下に晒し、正義はこちらにあると訴えなければ、ガルシアは今度こそライラック家における立場がなくなってしまう。


(……ですが、相手はかのウィノアール家。しかも、当人は行方知れずときたものです。一体どこへ……?)


 これも全て、計算の上か――だとしたら何と恐ろしい女だ。


 ガルシアが肘をつき、思わず悶えたところに、控えめなノック音が響く。

 魔薬師から届いたのは、吉報だった。


「ガルシア局長様。先日お尋ねされた、新薬についてですが」

「何か分かりましたの!?」

「まだ絞れていませんが、出所がアルミシアン領だということまでは、掴めました」


 十日ほど前、とある貴族から噂を聞いた。

 王国北方アルミシアン領から、近年、僅かだが非常に効能の高い魔薬が出回っているという噂だ。

 もちろん当初は無視したがガルシア、偶然にも一品手に入れることができ、調査を命じたところ――これまでにない画期的な薬だと判明した。


「ああ、それは素晴らしい成果ですわ。では急ぎ、アルミシアン領の調査を。そして精製している薬師がわかりましたら、すぐにわたくしの下へ連れてきなさい。間違っても、エーゼック家に抑えられてはなりませんわよ?」


 かの地は青派に属し、ライラック家の威光が届きにくい地だ。

 そのぶん魔薬師も治癒術師も少ない。調査はそうかからず終わるだろう。

 後は相手に金を積み、本医院へ来て貰うだけだ。


(見ていなさい。すべての正義は、わたくしの元にありますわ。愛娘ヴェーラを馬鹿にした奴らの悪事なんかに、負けてなるものですか……!)


 自分が、そして愛娘がいる限り、西ライラック治癒医院に揺らぎはない。

 巨体を揺らし、瞼の裏に焼き付けた者達への怒りを滾らせながら、ガルシアは席を立ち院内の巡回へと向かうのだった。

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